突き抜けるような青空が広がっていた。来た時はほとんどいつでも、この新大陸は晴れている。本国のようなどんよりとした曇り空なんて、ここでは目にしたことがない。
だが俺の心には、今までにないくらいに重く暗い雲が垂れ籠めていた。原因なんて火を見るよりも明らかだ。あいつが、アルフレッドが、独立するなんて言い出したから。俺の元から離れるって、俺はもう必要ないんだって。そう言って、よりにもよってフランシスなんかの手を取ったから。
つい最近まであんなに可愛らしかったのに。あんなに、あんなに可愛くて、アーサー!とか言って駆け寄ってきてくれたのに。帰らなきゃいけない日になると絶対帰っちゃやだって引き止められたし。
なのに、それなのに。そんな可愛い可愛い俺の弟はもうどこにもいない。アルは、もういない。アルフレッド・F・ジョーンズ、宗主国に反旗を翻した植民地がいる、だけ。
「………くそ、」
天幕の中、青空を避けて入ったそこで俺は毒吐く。着ているのは軍服──真っ赤な、俺にはちょっと派手な気がする、それ。指揮官として来た俺は、アルフレッドを倒さなければいけない。連れ戻さなければ。
独立なんて、俺から離れるなんて、そんなのは許せない。初めて出来た、俺を拒まない、傷付けない家族。何も知らない無垢な弟。を、アルを、俺は守ろうと決めた。俺みたいな目には、合わないようにしてやりたかった。自分なりにべたべたに可愛がったつもり、だ。教えるべきことはちゃんと教えたけど、無暗にキツくなんか当たらなかった。俺が育てた俺の弟。アル、アルフレッド。
守ると決めた奴に、銃口を向けなければならない、なんて。他の奴ならいい、そんなのは昔から日常茶飯事だった。けど家族は、アルは違う、駄目だ、俺には特別な存在過ぎる。裏切られたのだと思うと、胃がムカムカした。あんなにも愛したのに。どうして今更、こんな形で拒まれなきゃいけない?
いつだって、俺が伸ばした手は払い除けられる。兄貴にも、弟にも。甘い幻想なんて抱かなければよかった。もしかしたらこの子は、俺を愛してくれるんじゃないか、なんて。馬鹿みたいだ、そんなことある筈、ないのに。
「サー、……サー・カークランド?」
「…どうした」
控え目に外から掛けられた声に、俺は努めて感情を押し殺して答えを返す。風に煽られて入口の布がふわりと揺れた。
一瞬差し込む眩い光に目が眩む。吐き気が込み上げるのを、必死でやり過ごす。だがそれでも、俺は視界に捉えたものを見逃さなかった。ちらと見えたのは、参謀として俺につけられた将官だった。俺に用があるらしい彼は、少しばかり躊躇った後で口を開く。
「まだ距離はありますが、敵影を確認しました」
その言葉に、びくり、肩が震えてしまったのは致し方ない反射だったと思う。
戦いたくなくて、出来るだけ傷付けたくなくて、進軍しながらも俺はアルを避けていた。会ってしまったら戦うより他ないから。俺にはまだ決心がついていないから。対峙したら、悲しくて怖くて逃げ出してしまいそうだから。
あぁアル、アル、俺の可愛い弟。脳裏を過ぎる幼い面影を、俺はゆるりと振り払う。思い出に浸っている場合じゃあない。
距離があるにも拘らず俺に知らせてくる、のは。
「『アメリカ』がいるのか」
「…そのようです」
アルでもアルフレッドでもなく、一番余所余所しい呼び方を選んだのは、自分を納得させる為だった。今から戦うのはアルじゃない。俺の弟なんかじゃない。宗主国に反旗を翻した植民地、不届き者の「アメリカ」だ。「イギリス」の俺は、独立を阻む権利と義務がある。だからこうしてここに立っているんだ。俺は間違っていない、自分の誓いにも背いていない。
意を決して天幕の外に出る。強い日差しは容赦なく俺の網膜を焼いた。くらりと視界が霞む、が、何とか踏み止どまる。
ふらついたのは気取られなかったらしい。手を差し出すと将官はすかさず双眼鏡を寄越してきた。燦然と輝く太陽に照らされた大平原、その向こうに小さく人群が見える。あの中に、あいつも。
「こっちが気付いたってことは向こうも気付いているだろうな…いつでも出られるように、全軍に指示を」
「………宜しいんですか」
「何がだ」
俺の心境を窺うような声音を、俺は切って捨てる。将官は複雑そうな顔で小さく首を振り、陣の奥へと向かっていった。
双眼鏡を片手に、俺はじっと広々とした大地を見つめる。弟に会う為に何度も訪れた場所。まさかその弟と戦う為に訪れることになろうとは、思いもしなかった。
アルと過ごした暖かい記憶に俺はそっと蓋をする。今から起こることで汚れてしまわないように。対峙する「アメリカ」をアルと混同しないように。
どこか遠くで、積み上げてきた何かが崩れる音が響いた気が、した。
僕の世界が消える
(弟でなくなったお前に粉々に砕かれて、)
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