俺の元兄──アーサー・カークランドは、なかなかの酒豪だ。子供の頃にジンをミルク代わりに飲んでたんじゃないかと思うくらいに。だからちょっとやそっとでは酔ったりしない。
 ただその代わりに、酔うと非常に厄介なことになる。現在、俺はその「厄介な」アーサーの隣に座っていた。

「アルのばかぁ…っ」

 彼はカウンターに突っ伏してぐすぐす鼻を啜り、恨み言を零す。呂律は結構前から回っていなくて、酔っていることを表すように頬が紅潮している。それなのにちびちびと呑み続けるんだから、全く意地汚いというか何というか。
 口から紡がれるのはほとんどが俺への言葉だ。昔は可愛かったのにとか、俺を裏切りやがってとか、もう少し空気を読めとか。俺からすれば昔の自分のことなんかいまいち覚えてないし、裏切ったつもりは全くないし、空気は目に見えないから読めない。そう反論したいんだけど、言えば言う程に悪い方向に捉えて勝手にヘコむから黙っておく。本当にメンタルが弱いな、この人は。
 昔は大きくて強くて、無敵のように感じていた。アーサーのようになりたいと思っていた。でもいざ彼の身長を追い越してみたら、アーサーは随分と変わってしまっていた。
 昔なら俺の前で酔うまで呑んだりしなかった。それは俺を一人前だって認めてくれたみたいで、嬉しい変化に入る方だ。昔なら俺の前で泣いたりしなかった。これはどちからと言えば、いや言わなくても、嬉しくない変化に入る。
 俺は昔からアーサーの悲しそうな顔が大嫌いなんだ。アルコールが入ってちょっと心のガードが緩んだからって、すぐすぐ泣かないで欲しいよ。凄く、気不味いじゃないか。俺が泣かせたんじゃないのに口走る恨み言で俺のせいみたいに聞こえるし。
 俺は君を悲しませたかった訳じゃないんだぞ。早く立派になれば、一人前になれば、君は喜んでくれると思ってたんだ。だから可愛いままではいられなかったし、独立もしたかった。なのに君ってば、昔はどうこう言って悲しんでさ。
 俺の気持ちも考えて欲しいよ、少しくらいは。これでも結構傷付いてるんだからな。その口振りじゃ、今の俺はいらないみたいじゃないか。

「昔はっ、まだこんな小さかった頃はぁ…」

 盛大にしゃくり上げたアーサーが、横目でちらりと俺を見る。変わってしまったことを再確認するみたいに。隣に座っているのが、いらない俺であることを再確認するみたいに。あぁ、止めてくれよその目。異様にムシャクシャするんだぞ。
 変わるに決まってるじゃないか、人形でもあるまいし。いつまでも君に擁されてる訳にはいなかったんだよ、俺は。だってそれじゃあいつまで経っても、大好きな君のことを守れないじゃないか。
 ねぇ、アーサー。そんな目で見ないでよ。今の俺を通して過去の俺を見ないで。脳味噌が沸騰しそうなんだぞ。

「アルぅ…」

 くしゃりと顔を歪めたアーサーが、俺の腕に縋り付いてくる。わ、袖で涙を拭かないでくれよ汚いじゃないか。
 離れさせようとしたら、濡れた緑眼にじっとりと見上げられた。恨みがましそうな視線。あぁ酔漢なんて正面に相手にするな。そう思うのに、俺はアーサーをまじまじと見つめてしまう。
 きゅうっと袖を掴んでいる指はやけに白くて、ぎすぎすしている。昔からこんなに細っこかったっけ。昔からこんなに──色っぽかったっけ。俺はついつい食い入るようにアーサーを見つめてしまう。
 彼はちょっと怯んだような顔をして、目を伏せがちにした。拍子に目尻に溜まっていた涙が頬を滑り落ちていく。それが嫌に艶っぽくて、俺は切れちゃいけない何かが自分の中で切れる音を、聞いた。

「アーサー、」

 今でも十分に近い顔を引き寄せる。体重のほとんどを俺に預けていたアーサーは、されるがままに体を寄せてきた。こんなに近付くの久し振りだな。昔は膝に乗せてもらったり一緒に寝たりしてたけど、最近はそんな関係じゃないから当たり前か。
 泣き濡れた瞳が俺を不思議そうに見つめる。アーサー、君って本当に何も気付いてないんだね。だからこうやって、俺に無防備なところを晒せるんだ。
 君は俺がどんな気持ちでいるかなんて知らないし、知る気もないんだろう? これから先ずっと、考えもしないんだろう? 俺がずっとずっとずっとしたいと思ってたなんて。君と、こんなこと。

「、ア……」

 上げかけた声は途中で途切れる。俺が唇を自分のそれで塞いだ、から。
 アーサーは目を見開いて俺を見ていた。訳が分からなくて呆然としているのが分かる。俺は気にせずに火照っている唇を啄んで、そろりと口内に舌を侵入させた。
 途端にビクリと体を跳ねさせたアーサーが俺の腕を振り払う。自分でくっついてきた癖に、俺を突き飛ばすみたいにして体を離した。信じられない、そう語る目が俺をまじまじと見つめる。震える手が唇に触れて、感触を思い出したのか、一気に青褪めた。そのまま口元を押さえてアーサーはどこかに駆け出してしまう。
 そんなおぼつかない足取りでどこにいくのさ。トイレにでも、吐きにいったのかな?
 彼からすればさぞ気持ち悪いことだろうね。弟と恋人のキスんするなんて、さ。だけど俺はずっと、君のことが大好きだったんだぞ。
 君が知ろうとしなかっただけ、目を逸らしていただけ。俺はもう遠慮なんか、しないからな。






無知なのは
(罪なんだよ、ねぇ、アーサー)






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