本当に、それはほんの些細なことで。けれど確実に、ルートヴィッヒのスイッチを押し込んでしまったらしかった。
 ──逃げよう。
 そう思った時にはもう、遅かった。グッと痛いくらいの力で肩を掴まれ、俺はびくりと体を跳ねさせる。あぁ、そんな反応したらマズい。今のこいつには興奮剤にしかならない。
 俺はそろそろと視線を動かして、自分よりも若干高いところにあるルートヴィッヒの顔を見る。そこに浮かんだ表情を捉えた途端、喉がひ、と鳴った。だからそんな反応はルートヴィッヒを煽るだけなんだって。けどつい反射的に悲鳴を上げてしまったのは、しょうがないことだったと思う。
 いつも仏頂面に近いってのに更に表情が消えた顔。なのに血に飢えた獣みたいに碧眼がギラギラしてて、口元が歪んだ笑みの形に吊り上がっていて。
 ヤバいヤバいヤバい、本気でヤバい! 俺の全身が盛大に警鐘を鳴らしている。でも逃げることは出来ない。何故ならルートヴィッヒにしっかりと捕まっているから。
 そして。

「途中で根を上げるなよ、兄さん」

 欲情に掠れた声が俺を屈伏させる、から。



 ぎ、と腕を縛り上げた縄が軋む。背中側で縛られるのは嫌いだ。正常位の時に自分の体重が掛かって痛い。いや、別に胸側で縛られるのは好きって訳じゃねぇぞ。というかお兄様を縛るな。ルートヴィッヒがそういう性癖なのは分かってるし、随分慣らされちまったが。
 目一杯絞ってからしっかりと結び目を作り、ルートヴィッヒは俺の背中から膝を退ける。力入れ難いからって俺にがっつり体重かけるんじゃねぇよ。お前を楽々抱き上げられた俺とはもう違うんだ。
 まだ張られた時のままの綺麗シーツを見つめて、俺は小さく溜め息を吐く。親父、俺は一体どこでこいつの育て方を間違えたんでしょうか。自分の兄貴を縛って犯して漸く満足するような奴に育てた覚えはないぞ、断じて。あぁ、小さい頃は可愛かったのにな。俺が帰ってくると自分なりの満面の笑みで出迎えてくれてさ。それが今じゃ。

「何を考えている?」

 これだよ。別に身長を抜かされたりはいい。けどな。けどな、ルートヴィッヒ。頼むからその加虐癖をお兄様に発揮するのは止めてくれ。愛してくれんのは嬉しいけどよー。髪引っ張って顔上げさせるのとか、マジで勘弁しろ。痛い。絶対何本か抜けたろ、髪。
 俺は背後にいるルートヴィッヒと目を合わせようと首を捻る。が、それはシーツに顔を押し付けられて阻止された。余りにいきなりのことで軽く噎せる。

「っ、てめ、いきなり……!」

 怒ってやろうと顔を上げたら、狙い澄ましたかのように視界を覆う闇。
 何だこれ。………目隠し?きゅ、と滑りがいい布を結んだ音が耳を掠める。それから俺の視界はほぼ完全に閉ざされた。今すぐに毟り取ってやりたいが、如何せん腕は縛られていて使えない。
 俺はルートヴィッヒがいるであろう方向に顔を向ける。

「何のつもりだよ」
「たまには趣向を変えるのもいいだろう?」

 くすり、微笑と共に低音の声が耳元で紡がれて、俺は僅かに睫毛を震わせた。けど、ルートヴィッヒは気付かなかっただろう。俺が何も見えないってことはルートヴィッヒには俺の目元が見えないってことだからな。いつも「貴方が誘うような目をするからいけない」とか何とか抜かしやがるから、そうやって盛られる心配がないのはいいかもしれない。なんて、考えた俺が馬鹿だった。
 何も見えない、という状況下では、視覚以外の感覚が異常なまでに研ぎ澄まされる。戦場で感覚器が鍛えられている俺に、それはさながら拷問だった。布擦れの音、肌に触れる指先、その体温、耳朶を打つ声。ルートヴィッヒから与えられる一つ一つの刺激に、過敏なまでに反応してしまう。その度にルートヴィッヒはくすくす笑って俺を詰った。
 この変態ドS野郎。どこの誰のせいで俺がこんな反応するようになったと思ってんだ。今ここで俺を甚振ってるお前だよ。

「くっ……ん…ぁ、あ…」

 肩口にキツく歯を立てられて、俺は息を詰める。クソ、遠慮なく噛みやがって。なかなか痕消えねぇんだぞ。そんな思考はつけられた歯形をねっとりと舐め上げる、イヤらしい舌の動きに押し流される。今日はとことん焦らしてくれるつもりらしい。
 まだ一度も前に触れられていない。もうイきそうなくらいに勃っちまってるの、知ってる癖に。すり、と頭を擦り寄せると、ルートヴィッヒはわざとらしい声音で問い掛けてくる。

「どうした、兄さん?」

 それはどちらかと言えば要求に近かった。して欲しいことがあるなら言え、と。そう言外に告げるも同然の、口調。
 俺は小さく息を吐く。こういう時のルートヴィッヒは、言わなけりゃ本気で素知らぬ振りを続ける奴だ。後込みして困るのは、俺の方。

「も…触れ、よ…っ」
「それが人に物を頼む態度か?」

 冷たい声と共に容赦なく尻を叩かれた。
 おい、なら聞くがな。お前のそれはお兄様に対する態度か? 違うだろ。明らかに自分より下──部下とか捕虜とか奴隷に対する態度だろ。俺はそのどれでもないぞ、誰が何と言おうと。絶対、多分…きっと、その筈。
 もやもや悩みながら俺は口を開く。請われるままに与えてやるとか俺様優し過ぎるぜ。

「触って、下さ……っぁ…、」

 焦らす様に内腿を撫でていたルートヴィッヒの手が、自身に触れる。強く握り込まれて俺は背中をのけ反らせた。ルートヴィッヒが手を動かす度にぐちゅぐちゅと水音が上がる。
 ヤベ、も、イきそ…。
 何に興奮してんだかよく分かんないまま、思考が白み始める。ルートヴィッヒがそんな簡単にイかせてくれる訳がないと分かっているけど。俺は競り上がってくる感覚に恍惚として──やっぱり、それはルートヴィッヒの指に制された。

「やっ…手、手はな…しっ……んんっ」
「触れと言ったのは貴方だろう」
「ぁ…あっ…ひ……!」

 鈴口に爪を立てられて、俺は悲鳴に近い声を上げる。イけないようにしたままでとか、っこの、ドS。目の端に涙が滲んでくる。それは目隠しに吸収されて零れることはない。
 嫌だと首を振ると、ルートヴィッヒが顔を近付けてきた。吐息が耳元に掛かる。あぁ、何か凄ぇ嫌な予感がする。こういう時の俺の勘はよく当たるんだよな、当たらなくていいってのに。
 そんなことを考えていたら、ぬるり、と尻の狭間にドロドロした感触。ローションか、なんて思えたのは、束の間だった。

「っ、ぅあぁっあ゛ああぁ!」

 入口付近にローションを垂らしただけで碌に慣らしもせずに、ルートヴィッヒが凶悪な太さのものを突っ込んでくる。体を強張らせて俺はその衝撃に耐えた。いきなり過ぎてどうしていいか分かんなくて、浅い呼吸を繰り返すことしか出来ない。
 こいつ、も、マジで、有り得ねぇ。
 なのに萎えもせずに感じちまうのは、俺も大概飼い慣らされているからなんだろう。けど流石にさっきまで何とか体重を支えていた肩が保たなくなって、俺の顔はシーツの波に溺れる。気道を塞ぐ状況になるのを避けようと、俺は必死で首を捻った。何とか呼吸は確保したものの、このままやられたらかなりの高確率で首を痛めそうだ。
 だからルートヴィッヒ、思い直せ。お兄様はまだ体とか心とか、色んなとこの準備が出来てな、

「ひぃい! あっ…、あァああっ! ひぅ…っ」
「、そんなに締め付けるな」

 耳元で甘く囁かれるけど、その言葉をきちんと認識する余裕なんかない。あって堪るか、畜生。もう少し、馴染むまで待ってくれたっていいじゃねぇか。何で一気に最後まで突っ込む。一瞬落ちかけたぞ、俺。
 止めさせたいのに、せめて少し待って欲しいのに、俺は制止の言葉を口にすることが出来ない。半開きの口から零れ落ちていくのは意味を成さない音の羅列だけで。

「ぁ、ぁ、ぃあっ、あぁっあああっ」

 弱いとこばっか、そんなごりごりすんな、馬鹿。分かってる癖に、否、分かってるからそこばっかりを攻められる。ルートヴィッヒの指はまだイけないように根元を圧迫したままで、なのに快楽は後から後から溢れ出してきて。俺は苦しい体勢のまま、好きな様に揺さぶられる。
 がくがく膝が震えて高く上げさせられた腰が落ちそうになるけど、それをルートヴィッヒは許さない。抱き込むようにして更に体を密着させられる。体重、かけるな。ただでさえ辛い体勢なのに、余計苦しくなるだろうが。
 喘鳴混じりの声で喘いでいると流石に気付いたのか、肩の下に固めのピローが突っ込まれる。少しは楽になった、けど、やっぱ無理。感じ過ぎて、ヤバい。

「あぁアっ、あぅ! ひぁあ、や、ゃら、ルツ…!!」
「悦い、の間違いだろう」

 それを否定したくて、快楽を振り払いたくて、俺は力なく首を振る。そうすると、ぱさぱさと目隠しの布がシーツに当たって音を立てた。それは俺の涙を擦って随分重くなっている。
 キツい。ちゃんと慣らされなかった後ろも、イかせてもらえない前も。せめてどっちかだけでもどうにかして欲しくて、俺は無言でそれを訴える。まぁ大体は無視されるんだけど、努力は無駄じゃない。と、思いたい。
 そうしたら気紛れなのか何なのか、するりと指が離れた。びくびくと背筋を震わせて、俺は今まで塞き止められていたものを吐き出す。許可もなしにイったら、とか何とか、そんなことを考える余裕なんてなかった。
けど、ルートヴィッヒにそれを気にする気配はない。これ以上の責め苦は与えられないらしいことに安堵する。あぁ、でも、「仕置」って名目でされないだけか。自分の考えに先の行為を想像して、俺は思考を蕩かせる。一体いつの間にマゾヒストになったんだろうか。結構最近まで自分はサディストだと疑わなかった気がするんだが。

「は、ぁ…ああぁ、っ、ふぁ…?」

 律動が緩くなったと思ったら、パッと視界を覆っていた闇が払われた。と言ったって目は涙で濡れていて、ちゃんと光景を拾いやしない。ぱちぱち瞬きを繰り返すと滴が目尻を伝い落ちていって、視界が漸くいくらかクリアになる。
 最初に目に入ったのは、顔の側につかれたルートヴィッヒの手。それから、顔。酷く深みを増した碧が、愉悦を孕んで俺を捉える。そして顔を上げさせられて、深く深く口付けられた。呼吸を奪い合うような、互いを食い合うような、獣じみた口付け。
 無意識にふっと目元を笑ませると、ルートヴィッヒがつられるようにして笑った。痣がつきそうなくらいの力で腰を引き寄せられて、繋がりが一層深くなる。奥まで犯してくる熱いものに俺は嬌声を跳ねさせた。
 あぁ、自分の声じゃないみたいだ。

「あっ! あぁ、ァ、あああああ!」
「兄さん……、ギルベルト」

 俺の腰を壊すのが目的みたいな注挿、その合間に甘く掠れた声で囁かれる名前。その全てに追い上げられる。きゅうきゅう締め付けると、ルートヴィッヒが最奥に腰を叩き付けてきた。腹の中に吐き出される熱に俺は体を震わせて──ドライの絶頂感に意識を飛ばした。



 俺が気を失っていたのは意外にも短い時間だったらしい。重い瞼を開けると、丁度ルートヴィッヒが縄を解いていくところだった。
 俺はほとんど血が通わなくて痺れた指をゆるゆると握って、ちゃんと動くことを確認する。仰向けに寝転んで漸く一息吐けた。首と肩と、腰がかなり痛い。肩痛めてないだろうな、これ。
 ジロリとルートヴィッヒを睨むと、きょとんとした顔を向けられた。何だその「俺が何か悪いことをしたか?」みたいな表情は。無自覚かよこのドS。
 まぁ今日なんかは手緩い方だけどよー。っていうかよくこれだけで済んだな、今回。あの表情は相当ヤバいと思ったんだけど。

「ったく、」

 呟きながら小さく溜め息を吐くと、隣にルートヴィッヒが横になる。そのまま昔みたいに擦り寄ってきて胸に頭を預けてくるもんだから、怒る気が失せてしまった。確信犯だろ、お前。
 そう分かっているのにまぁいいかと思ってしまう辺り、俺も大分甘くなったのだろう。それでも悪い気は、しない。乱れたルートヴィッヒの髪をぐしゃぐしゃ撫で回して、俺は可愛い弟の額に軽く口付けた。






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