互いに剣を握る、それだけで空気が緊張に引き締まる。ルートヴィッヒは隙なく構えながら、どうしてこんなことになったのか、ぼんやりと考えを巡らせていた。
 そもそもの原因は、大掃除だ。
 前からしようと思っていたのだが、生憎の天気が続いて延期になっていた大掃除。休日以外は大概晴天なものだから、鬱陶しいにも程があった。苛立ちを募らせるルートヴィッヒに天気が恐れを成したのか何なのか、約1ヶ月振りに休日が晴れになった。やけに久し振りに感じるのは気のせいでも何でもない。文句を漏らすギルベルトを付き合わせて掃除を始めたのが、確か2時間程前のことだ。
 家の中は普段暇なギルベルトがこまめに掃除をしているから、大して掃除は必要ない。大掃除をする必要があるのは、庭の片隅で風景に同化し掛けている倉庫だった。そこを片付け始めてほとんど済ませてしまった時、古い衣装箱が出てきた。今からほんの10分程前だ。
 それは埃に塗れて、少しばかり錆び始めているようでもあった。それに見覚えがなかったルートヴィッヒがギルベルトに尋ねてみると、彼は懐かしさをその表情に滲ませた。ギルベルトの言によれば、その衣装箱は騎士団時代の物であるらしい。彼は一度家の中へ引っ込むと、古びた鍵を手にして戻ってきた。それは鍵穴に吸い込まれる様に滑らかに入り、衣装箱を施錠している鍵を外す。鈍い音を立てて蓋が開かれ──何百年か振りに仕舞い込まれていたものは外に出された。
 鎧やマントを取り除くと、底に大切そうに寝かされていたものが嫌が応でも目に飛び込んでくる。鞘に納められた剣の二振り。それは随分と使い込まれていて、容易に当時ギルベルトが使っていたものだと推測することが出来た。懐かしいなー、などと言って昔を思い返していたギルベルトの目も、それを捉える。その時、すぐに彼の前から剣を退けてしまうべきだったのかもしれない。横合いからひょいと手を伸ばしたギルベルトは慣れた様子で柄を握り、研ぎ澄まされた刃を鞘から抜き出した。

「久し振りに稽古つけてやるよ、ルッツ」

 喉元に切っ先を向けながら言われ、ルートヴィッヒは盛大に視線を逸らした。



 大掃除を途中やりにして庭の中央で対峙してから、まだ2分も経っていないだろう。その割には随分と神経を磨り減らされている気がする。流石に真剣ではマズいから、と倉庫の奥から引っ張り出してきた模造剣を使ってはいる。しかしどちらにしろ緊張感は変わらない。
 ルートヴィッヒは構えた剣の切っ先を少しだけずらした。膠着状態というのは激しく剣を交わらせているよりも余程気を張ることを強いられる。何せ相手は自分を守り育てた、あの大国の化身であるギルベルトだ。騎士団として鍛え上げられた腕は多少衰えた今も健在である。そのことを対峙して改めて感じさせられる。彼はまだ剣を構えてもいないというのに、細身が発する威圧感は何にも勝る。
 ルートヴィッヒは幼い頃のことを思い出す。優しくも厳しく自分を扱った兄。彼は稽古となると実に容赦がなかった。使うのはいつでも刃を入れていない模造剣であったが、意識を飛ばされたことは1度や2度ではない。挑発してくるギルベルトを、その時ばかりは憎らしく思ったものだ。兄につけてもらう稽古は、ルートヴィッヒからすれば軽くトラウマである。出来ればもう二度と立ち会いたくなかった。

「考え事とは悠長だな、ルッツ。 戦場なら死んでるぜ」
「……、そうだな」

 ギルベルトがやおら上げた声に、ルートヴィッヒの思考は現実に引き戻された。
 地に向いていた剣先がゆるりと上に向けられる。紅い瞳に含有された剣呑さに、ルートヴィッヒはぞくりと背筋を震わせた。悠然と構えを取る姿が、記憶の中のそれに重なる。く、とギルベルトの右足に微かに体重が掛かった。
 ──来る。
 それを感覚的に察し、ルートヴィッヒは合わせる様に自分も前に出る。鈍い音を上げて剣と剣はぶつかった。ギルベルトにとって組み合うのは不利だ。鍔競り合いになると、すぐに力を往なして間合いを取られる。
彼は元々力技で押すよりも手数の多さで圧倒するタイプだ。ルートヴィッヒは距離を詰めようとするが、容易には近寄ることが出来ない。近寄るとこちらが危ない、というのもある。それ故に二人の距離はなかなか縮まらなかった。

「どうした、来いよ」

 どれだけ成長したかお兄様に見せてみろ。
 ギルベルトはそう言って笑う。
 深く息を吐き、ルートヴィッヒは大きく前に踏み込んだ。右下からの薙ぎ払いは軽々と避けられる。半端な攻撃は経験則で躱されてしまう、そんなことは嫌という程に分かっている。
 ギルベルトは体勢を崩す素振りさえ見せず、くんっと体重を落とした。そのまま懐に入り込むように、腕の合間を縫って鋭い突きが繰り出される。飛び退さってその切っ先を回避すれば、僅かにバランスが崩れた。そこに更なる追撃が浴びせられる。全く、剣を握っている時のギルベルトは容赦というものがない。
 ルートヴィッヒは地面を蹴り付けて、大きく間合いを空ける。
 思い出すのはやはり兄に擁されていた頃の記憶だ。何度もこうして剣を持って向き合った。何度も何度も打ち負けて、地に這わされた。けれどいつの頃か──統一以降からだったろうか──次第に負けが減っていった。それはやはり、国情が関わっていたのだろう。
 その頃から少しずつ、ギルベルトは衰えていっていた。大戦からは分かれていたこともあって、剣を合わせるどころの話ではなかった。再会後も不況やら何やらで余暇を楽しむ余裕がある訳もなく。こうして対峙するのは一体何年振りになるのだろう。出来るならもう少し和やかな雰囲気で行いたかったものだ。ギルベルトに剣を持たせたら十中八九そんなことにはなり得ないが。

「手加減はなしだぜ、ルッツ」

 にぃ、とギルベルトの目が細められる。昔からその表情は凶悪に見えたが、紅い瞳だとそれが助長されるようだ。一気に踏み込んでこられ、ルートヴィッヒは軽く息を詰めてギルベルトの剣を受けた。強い打ち込みが平に構えた剣に遮られ、一瞬の膠着が生まれる。このまま撥ね除けて体勢を崩せば、形勢を逆転させられる。ルートヴィッヒはその考えの元、腕に力を込めた。
 が。
 ふっとかけられていた力が抜ける。防御をしていた剣が浮つき、完全な隙が出来てしまう。

「くっ」

 しまった、そう思った時には時既に遅し。
 がら空きになった懐にギルベルトが飛び込んでくる。そして勢いを殺さないまま喉元に突き付けられる、白刃の輝きを宿さない切っ先。とん、と喉仏にそれを押し付けられて、ルートヴィッヒは剣を手放した。
 からん、軽い音を立てて偽物のそれは地面に転がる。

「鈍ってんじゃねぇの、お前」

 それか俺様を侮ってたろ。
 そう続いた言葉に、ルートヴィッヒは彼から僅かに視線を逸らす。昔の記憶から、ギルベルトと対峙する時に感じるのはほとんど畏怖の類だ。けれど、そう。記憶の中の姿を失ってしまった彼を侮っていなかったと言えば、嘘になる。
 あぁだって剣を持つ腕がそんなにも、細い。見るからに落ちた体力、腕力。それを分かっているから、心のどこかに侮りが生まれていたのかもしれない。
 ギルベルトは不満げに鼻を鳴らしたが、すぐに表情を変えて模造剣を投げ出した。
 早くしねぇと日が暮れちまう。
 そんなことを言いながら掃除に戻ろうとするギルベルトを、ルートヴィッヒは呆気に取られて見つめる。知ってはいたが何というあっさりした──悪く言えば飽きやすい性格だろうか。彼の中ではこの立ち会いは完結した事象なのだろう。
 しかしルートヴィッヒには言っておかなければならないことがある。

「兄さん、」
「ん?」
「その…済まない」

 侮っていたことになのか、彼を食い潰すことで成長したことになのか、それとも違う何かになのか。言った本人にもよく分からない謝罪。
 ギルベルトは一瞬きょとんと目を瞬かせた後、穏やかに笑った。

「そんな顔すんなよ、Mein liebe Bruder」






title by nichola / 5000hit企画リク