どうして。どうして。どうして、だろう。何がいけなかった?いつ誤った?どこで間違えた?
禁忌を犯したのは一体、誰?
息を殺して、ただひたすら闇の中に蹲る。神経がやけに冴えていた。代わりに朝になると物凄く眠い。それは夜に寝ていないからなのか。それとも──夜行性の「何か」に変わろうとしているせいなのか。
隣のベッドで眠る弟の呼吸音がやけに大きく聞こえた。それから、脈拍も。とくん、とくん、とくん。それは規則的に続いていく。生命を繋いでいく。血の巡り。
──血。血液。人間の、血液。紅い。酷く、魅力的な、もの。肌の下を流れるそれを一滴残らず飲んでしまいたい。
あぁけれど殺したくなどない。傷付けたくなどない。愛している。愛して、いる。だからその血が欲しい。違う。血が欲しいのは愛しているからではなくて。愛しているけど。愛しているのに。だから。
あぁ、違う違う違う!
闇を縫って白い手が伸びる。それを白い手が止める。右手と、左手。指先は決してその喉には届かない。苛立ったような息遣い。息苦しい。キツく膝を抱く。掴んだ腕に強く爪を立てる。痛い。
でもその痛みもほんの一瞬。すぐに掻き消えて、喉が渇く。喉が、渇く。潤したくて堪らなくて、また伸びかける右手。嫌だ。歯を食いしばる、耐える。獣のようになった聴覚は静寂の中で煩いくらいに音を拾う。
風音。布擦れの音。規則正しい呼吸音。心音──血の巡る音。
喉が渇いている。酷く、喉が渇いている。いくら食べても満たされない。日に日に体力が落ちる。体重も落ちる。食欲だけが肥え太っていく。
欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。
体の奥底から突き上げるような渇望。生命の危機を予感して脳が警鐘を鳴らす。悪魔の声が囁く。
──欲するままに求めればいい。
「……っ、いやだ…!」
耐え切れずに漏らした声は夜闇に絶叫のように響く。ハッとして口を押さえる。
規則的な呼吸音。同じリズムを刻む鼓動。大丈夫。ぐっすり眠っている。聞かれてなどいない。知られてなど、いない。
ほっと息を吐き出す。膝を抱えていた手を握り締める。白い肌。また一段と白くなった?そろりと立ち上がる。ぺたぺた歩いて鏡の前に立つ。息を、飲んだ。
紅い。目が、紅い。充血している訳ではない。いつもは碧い目が、今は紅い。よく見れば髪も銀に近かった。全体的に白が目立つ中で、目の色だけが異様に際立つ。
紅。
紅は血の色、だ。
「……!」
びくりと体を震わせて、俺は瞼を押し開けた。目に入ってくるのは天井と朝の柔らかな日差し。小さく溜め息を吐いて起き上がる。
ふと視線を遣ると隣に寝ている筈のルッツの姿がない。代わりに台所の方からいい匂いが漂ってくる。相変わらず起きるのが早いな。
ふぁ、と欠伸を一つ。寝汗を掻いていたらしい、嫌な感じに肌に張り付く服を脱いで新しいものに着替える。だらしがない、と毎回怒られるから、珍しく鏡を覗き込んでみる。
寝癖なし。ルッツに見咎められそうな、他の何かも一切なし。うん、今日も俺様格好良さ過ぎるぜ。
ケセセ、と上機嫌に笑って俺は踵を返す。
──と、ふっと視界の端を掠めたものに、冷や汗が噴き出した。
おいおい、嘘、だろ?アレは夢の筈だ。俺は今日も絶好調に格好良い金髪碧眼で。ぐらり、体が傾ぐのを感じて慌てて柱に手を伸ばす。倒れるのは免れられたが、立っていられなくてそのままズルズルと床に座り込んだ。
心臓が早鐘を打っている。嘘だ。そんなのは、嘘だ。何も変わっていない。俺はちゃんと俺のままの筈、だ。
「ちがう…、」
脳裏を過ぎった嫌な想像を声に出して否定する。少しだけ落ち着いた。俺は努めてゆっくりと呼吸を繰り返し、そろそろと立ち上がる。そうすれば見たくもないのに、また鏡が目の前にくる。
映るのは──金髪碧眼。よかった。やはり何も変わってなどいない。さっきのは見間違えだったのだ。あんな夢を見たりするから。安堵の息を吐いて、俺は鏡から視線を引き剥がす。
部屋から出て食堂を覗けば、丁度ルッツが朝食の盛り付けを終えたところらしかった。
「お早う、兄さん」
「あぁ…お早う、ルッツ」
軽く頬に口付けあって挨拶する。これが俺たち兄弟の朝一番の日課だ。
他愛もない話をしながら朝食を食べる最中、俺の意識はずっとさっきのことに向いていた。
白い肌。銀の髪。紅の目。鏡の中で歪んだ笑みを浮かべた、俺。
とくん。とくん、とくん、とくん。
向かい合うルッツから、酷く規則的な音。美味しそうな、音。ついぐびりと喉が鳴る。
「…どうした?」
怪訝そうな顔でルッツが聞いてくる。
俺は必死でその首筋から視線を引き剥がしながら、何でもない、と呟くように返答した。
本能は紅
(嘘だと言ってくれよ、お前が「美味しそう」だなんて!)
title by nichola / 5000hit企画リク