「式典?」

 俺の言葉に、ギルベルトは訝しげな表情を隠そうともしなかった。
 元々上司について出る筈だったのだが、緊急の会議が入っていけなくなってしまったのだ。上司は大丈夫だと言うが、俺は何となく不安でならない。そもそも式典の方が先約だったのだ、本当はそちらに行きたい。しかし緊急に開かれるのだから議題は非常に重要かつ難題で、立場的に俺が欠席するというのは不可能である。
 そこで思い付いたのが、兄──ギルベルトの存在だった。彼は一応国の化身というものとして認識されているが、それは有名無実なものだ。将官として軍を指揮していることの方が多いようにも見える。元々の性分もあるのだろう。

「貴方は気も留めていなかったろうな」

 掻い摘まんで説明してやると、ギルベルトはあぁ、と溜め息にも似た声を上げる。

「で? 俺に代役で出ろって?」
「もし暇なら、だが」

 遠慮がちに言うと、ギルベルトはケセ、と笑う。それは自嘲を含んだ笑いだった。暇なことなど知っているだろう、とでも言うような。軍を指揮しているといっても、ギルベルトが抜けたところで支障は何もない。指揮官は他に何人でもいるのだ。
 そんなことは分かっていた。分かっていたが──暇だろうと言う程、俺も馬鹿正直ではないつもりだ。徒に彼の矜持を傷付けたくはない。結局のところ、それはギルベルトに悟られてしまった訳だが。

「いいぜ、別に」

 驚く程あっさりとギルベルトは肯首した。行儀悪くソファに寝転んでいた体を起こして、ギルベルトは背凭れ越しに俺を見る。その視線は僅かに好奇を含んでいた。新しい玩具を見付けた子供のような、純粋な好奇心。
 そういえばギルベルトは最近全く公式な場に出ていなかったか、と俺は思い出す。畏まった場は堅苦しくて嫌いだと言う割に、彼は大勢を動員する行事が好きだ。式典然り大型演習然り。軍事大国としてあった頃の性分か名残かなのだろう。それはいいことだと思う。一時期のように室内に閉じ籠っているような様は見たくなかった。そんならしくない兄の姿を見るなど、ご免だ。

「済まないな、助かる」
「気にすんなって、それくらい。それよりよー、」

 軽く手を振ったギルベルトがソファの陰に隠れる。次に顔を出した時、見慣れた姿は少しだけ様子を違えていた。前髪が大雑把に後ろに流されている。つまりギルベルトは、俺を真似たように髪型をオールバックにしていた。
 昔からよく似ていると言われてきただけあって、その面立ちはやはり俺によく似ている。いや、俺がギルベルトに似ているのか。

「…何をしてるんだ、兄さん」
「髪、纏めた方がそれらしくねぇ?」

 俺様はどんな髪型しても似合うからな。
 そう言って口角を上げるギルベルトに、俺は気が早いと苦笑した。



 そんな出来事があったのは一体何年前だっただろう。
 俺が今現在目の前にある光景に既視感を覚えたのは、どうもたった今思い出した記憶のせいらしかった。記憶の中のギルベルトはまだ金髪碧眼だった。それが辛うじて、そんなやり取りをしたのが冷戦以前のことだと俺に分からせる。今のギルベルトは、銀髪紅眼だ。

「…何をしているんだ、兄さん」
「髪纏めてる。フランシスの奴が宴会だかパーティーだかに来いって煩いんだよ」

 と、ソファに投げ出されていたギルベルトの携帯が鳴る。フラップを開いてげんなりしているところを見ると、フランシスからの催促か念押しのメールらしい。くどい、呟いてギルベルトは携帯を放り投げる。それは緩い放物線を描いて──ソファには乗らなさそうだったから、俺は慌てて手を伸ばす。
 指は本体にこそ届かなかったが、そこから伸びるストラップをしっかりと捉えた。それは黒い革のシンプルなもので、先に小さな鉄十字がついている。流石に戦中のものをつけ続けるのはマズい、ということになった時、代わりにつけ始めたものだ。最初は鍵につけていた気がするが、俺も今では携帯につけている。形は変わっても、あの時から何も変わらない、揃いの鉄十字。かなり簡略化されているから一目見ただけではただの十字にしか見えないだろう。
 俺は受け止めた携帯をそっとソファに置く。

「なぁ、お前も行くだろ? フェリちゃんたちも来るんだぜ」

 近所中に声掛けたらしいからな、とギルベルトが薄く笑う。
 くぅ、と細められる目は、紅い。あの時とは違う色だ。変わってしまった色彩、それは全く戻る気配を見せない。それは撫で付けられている髪にも言えることだった。染み込んだ北国の色は、体調が戻っても心の傷が癒えても、そこから抜け落ちることをしない。
 けれど確かに、そこにいるのはギルベルトだ。あの時から何の変わりもない、俺の兄だ。

「行ってもいいが…」

 俺は着替える為にネクタイのノットを緩めながら、ギルベルトに近付く。鏡を覗き込んでいた彼は視線だけを俺に投げて寄越した。どうした、と言外に問うてくる。

「貴方がオールバックにする必要はないだろう」

 フランシスやアントーニョに冷やかされるのが目に浮かぶ。同じ髪型なんてしていったらいい獲物だろう。ぐしゃりと髪を乱すと、ギルベルトは唇を尖らせながらもそうするとこを諦めたようだった。
 昔も当日になって同じようなことがあったのを思い出して、俺は唇に笑みを乗せた。






瞳の色さえ違うのに
(それでも確かに、貴方は俺のよく知る兄なのだ)






20000hit企画