かち、かち、かち。
時計の針が過ぎていく時を無感動に刻む。
かち、かち、かち。
それは俺たちに残された時間が確実に減っていっていることを示す音だった。
何とも信じ難い話だが、もうそろそろ地球は滅びるらしい。いや、その表現はちょっと間違ってるか。現実、世界は物凄い緊張状態に置かれている。何でも馬鹿デカい隕石が地球に向かって一直線に飛んできているんだとか。それは月の半分くらいの大きさで──正面にぶつかったらクレーターが出来る、だけでは済まないらしい。各国の研究機関が何とか軌道を逸らせないかと躍起になっているが、今のところ成果はない。このまま行くとその隕石は、40分後には地球にぶつかるそうな。
ぶつかったらどうなるか? 取り敢えず人間は生きていられないだろう、と言われている。衝突した衝撃で大爆発が起きて、それが地球のほとんどを焼いてしまう。人間も自然も何もかもが死に絶える。地球が滅びる訳じゃない、けど惑星は生きててもそこからほぼ全ての生命が消え去る。それは地球が滅びるのと変わらないんじゃないかと思う。
国民がいなくなったら、国土がなくなったら、俺たち国という存在はどうなるのだろう。俺なんかは国がなくなってもこうやってずるずると生きてるんだから、意外に平気なのかもしれない。、俺はルートヴィッヒに引っ掛かってるから生きてんのかもしれねぇけど。だとしたら本当に、地球にいる奴等に残された時間は均等に40分なんだろう。今短針動いたな、じゃあ後39分か。
「…ここにいたのか、兄さん」
突然扉が開いたかと思ったら、そこからルートヴィッヒが顔を出した。方々飛び回ってたんじゃなかったのかよ。
よぅ、と呑気に手を上げてやると、ルートヴィッヒは心底から呆れた顔をする。お前とは違って暇なんだよ俺は。
「昼間から何をしてるんだ貴方は」
「秘蔵のビール呑んで同じく秘蔵のヴルスト食ってる」
ソファの肘掛けに足を上げて、半ば寝る体勢。でもクッションをこれでもかと重ねたから上半身はちゃんと起きてる。ビールを煽った時にソファに飛んだら事だ。俺はあんまり気にしないけどルートヴィッヒに怒られる。ガミガミ煩いからそれは避けたいのだ。
それにしても、ルートヴィッヒはたまに俺がお兄様だってことを忘れてるんじゃないかと思う。それくらい怒ると怖い、俺の可愛い可愛い弟殿は。
「馬鹿正直な答えが欲しかった訳ではないんだが」
「知ってる。お前も一緒にどうよ?」
用意してあった空のグラスを持ち上げると、ルートヴィッヒは微妙な表情を見せる。
美味いぞ俺様秘蔵のビールとヴルスト。何たって祝い事があった時にでも、って仕舞い込んどいたやつだからな。忘れてた訳じゃねぇ、断じて。
足を下ろしてクッションを取っ払って、こいよ、と俺は隣をぽすぽす叩く。ルートヴィッヒは主人に手招かれた犬宜しく俺の隣に座る。けどビールにもヴルストにも手を伸ばさない。そんな気分じゃありませんってか。そんな神経細い奴だったっけお前。神経質っぽいとこがあるのは知ってるけどよ。
「よく寛ぐ気分になれるな」
「今更どうしようもねぇだろ。なるようになるさ」
「全く、貴方は昔からそうだ」
ルートヴィッヒが深く溜め息を吐く。
昔から? あぁ、戦場で追い詰められた時のこととか言ってんのか。開き直って無理矢理突破したりとか、してたっけか。同じようなこと言って。懐かしいな、そういうの。最後に戦場駆け回ったのっていつだっけ。
過去を懐かしむ気分は自然に視線を肖像画に向かわせる。そんなにデカくない、それでもかなり緻密に書かれた絵。親父──フリードリヒ二世、俺が父のように慕った人。餓鬼の頃は何つー女々しい野郎だとか思ってたけど、いつの間にか立派な君主になってたなぁ。
人間の一生は短い。の割に色々、後に「偉業」とか言われる類のことをやってのける奴がいる。
俺たちの一生は基本、長い。の、割に、俺たちには小説や漫画なんかに出てきそうな凄い力はない。精々怪我の治りが早いとか、あぁでも経済とか戦争とかのダメージは結構残るな。歴史に精通してるとか実際見てるんだから当たり前だし、そんな知識必要なのは歴史学者くらいだ。
俺たち、国って存在で所謂偉業みたいなのやった奴っているんだろうか。古代ローマ帝国とか? いや、あれも皇帝だったりの力だよなぁ。考えれば考える程分からなくなる。俺たちって一体どんな有益なことをしてきたんだろう。つーか何の為に生きてるんだ?
面倒臭いから深く考えないようにしてたけど、国が人の形してる意味あるのかよ。それ言っちゃお終いか。今までの自分の人生を否定することになる。何かしら意味はあったんだろう、多分きっと。
けど長い長い人生も、もうすぐ幕を閉じる。人間も、国も、皆一緒にサヨウナラだ。俺はちらりと時計に目をやる。後34分。終焉へのカウントダウン。
「お前も食べろって、最期の晩餐。昼だけど」
「冗談を言ってる場合か。人類滅亡の危機だぞ」
「そうだな」
「兄さん」
ルートヴィッヒは苛付いた声を上げる。
何だよ、怖いのか?
からかい半分に聞いてやれば、ルートヴィッヒは違うと切って捨てる。なら何をそんなに思い詰めてんだか。俺たちが悩んだって、勿論人間が悩んだって、結果は何も変わらないんだろう。正義のヒーローだかスーパーマンだかが隕石から守ってくれる、訳がない。アルフレッドの奴、自分をヒーローだとか主張するならこういう時に何かしてくれりゃいいのに。
「皆どうしたんだよ?
会議してんじゃなかったのか?」
「打つ手なしの結論が出て、それぞれ好きにしろと」
「で、帰ってきた訳か。フェリちゃんとか菊といなくていいのかよ」
俺様は楽し過ぎる一人を満喫してるから行けばいい。
言ったら、いきなり抱き寄せられた。おいおいおい危ねぇなビール零れるだろ。ちょ、離せって、痛い!
空いてる方の手でルートヴィッヒの背中をがすがす殴る。けど、力が弱まる気配がない。手加減しろよお前、お兄様は昔より貧弱になってんだぞ。自分で言ってて悲しいけど、ひ弱になったんだぞかなり。
「ルッツ、ルッツ…聞いてんのかよ、ルートヴィッヒ!」
「もう嫌だ。離れ離れは、ご免だ」
「っ、」
絞り出された声は切実な響きを孕んでいた。
思い出すのは、冷たい戦争の時代。聳え立っていた分厚い壁。俺とルートヴィッヒが分断されていた、忌まわしき事実。
抵抗する気が少し失せる。けど痛いものは痛いから、俺はどこにも逃げねぇよ、言って腕の力を緩めさせる。
俺だって嫌だよ、ルートヴィッヒ。あんな想いをするのなんか、もう二度と。あやすみたいに背中を撫でてやると、肩に顔を埋めたルートヴィッヒが小さく息を吐くのが分かる。こいつが小さい時も、あやしたり宥めたりする時こうしてやったっけ、そういえば。刷り込みかな、なんて思ったら微かに笑みが零れる。距離が近いから案の定、ルートヴィッヒに聞き咎められた。碧い目に下からじろりと睨まれる。
「何を笑ってるんだ」
「いや、こうしてると昔に戻ったみたいだと思ってよ」
この部屋は、過去を押し込めた物置みたいな場所だ。もう家の様式に合わない家具やら着られない服やら、何となく捨て切れずに置いてあるものが山積みになっている。親父の肖像画は元々この部屋にあったんであって、決していらないからと仕舞い込んだ訳じゃない。現にリビングにはまだ1枚掛かってる、ひっそりとだけど。
とにかく、この部屋にはそこはかとなく懐かしい空気がある。そこでこんな風にしていると、本当に昔に戻ったみたいだ。俺は痩せて目も髪も色が変わってしまったし、ルートヴィッヒは何もかも俺を追い越したけど。
「なぁルッツ、愛してるぜ」
丁度目の前にあった額に口付けたら、ルートヴィッヒはあからさまに嫌そうな表情をした。ずいっと顔が寄ってきて、物凄い濃厚なのを唇に返される。
子供扱いするなという弟かつ恋人の視線に、俺はまた薄く笑った。
向かう先には
(終焉しかないのだろう)
(それでもお前が側にいれば、)
20000hit企画