暗い。暗い。
あの日から俺の世界は、光をなくしてしまった。
兄さんと、共に。
もう何年前になるだろうか、敗戦国となった俺とギルベルトは分断を余儀なくされた。引き裂かれる東と西、兄さんは東側へと、消えた。心底から嫌っていたあの男に誘われて。俺はどうすることも出来ず、ただただその背を見送るだけだった。あの時程自分の無力を呪ったことはない。
ギルベルトは笑っていた。それが俺を安心させる為だったのか、自分を勇気づける為だったのかは、分からない。確実に分かるのは、俺もギルベルトも互いから離れたくないと強く思っていた、そのことくらいだ。だがギルベルトはその思いを断ち切り、あの男の下に向かった。それがどういうことなのか、知らなかった訳ではあるまいに。
ギルベルトがあちら側に行ってしまって暫くして、俺と彼の間には壁が建てられた。こんな分断など長く続きはしないだろう、そう自分に言い聞かせていた矢先のことだった。分厚く、冷たい、壁。それは堅牢に聳えたって、完全に俺とギルベルトとを隔てている。こちらから向こうに行くことも、向こうからこちらに来ることも、敵わない。これだけの幅があれば、叫んだとしても声さえ届きはしない。
完全なる分割、1つだった国は2つになった。それは俺に引っ掛かる形で生きていたギルベルトに、国土と国民を与えることにはなった。けれど、それはただそこに「ある」だけだ。決して支えにも助けにもならない。冬の国に囚われているギルベルトには、何の足しにもならない。
「兄さん、」
西側の主導の下、戦後復興は順調に進んだ。敗戦当時あれだけボロボロだったのが嘘のようだ。国としての俺は、現在そこそこ充実しているのだと思う。
だが個人としての俺、ルートヴィッヒ・バイルシュミットは。充実など欠片も感じられはしなかった。ただただ、喪失感と焦躁ばかりが胸の中で疼く。喉から手が出る程に、俺はギルベルトを渇望していた。
会いたい。もう一度この腕にギルベルトを抱きたい。衝動のままに口付けたら、彼はどんな顔をするだろうか。
そんな夢想のような考えさえ、壁の冷たい感触は打ち砕いてしまう。俺に突き付けられるのは、冷えきった事実という名の刃の切っ先。再会など望めぬと、憎らしい声が耳の奥で嘲笑う。
「またここに来てるのかい。懲りないな、君も」
「……アルフレッド」
気安く掛けられた声に、俺は壁を見上げるのを止めて振り返る。
見上げると言っても余り近付けば射撃の対象になるから、近寄れるぎりぎりのところに俺は立っていた。銃弾の一発や二発受けたところで死ぬような身ではない。だが──ギルベルトは掠り傷でも随分と俺を気に掛けた。会えないのだから知る由もないだろうが、余り心配をさせたくはない。
それに、アルフレッドの奴が煩いだろう。感傷に浸って自分から怪我をしに行くなんて馬鹿みたいだと、笑うに違いない。
俺とギルベルトと、アルフレッドとアーサー。同じ兄弟でも関係は異なる。相手の兄に対する想いを理解することはないだろう、お互いに。
「どこに行こうと勝手だろう。ここは俺の国だ」
「確かにね。占領統治もとっくに終わってる。けど、会議前にふらふらしてるのは感心しないな」
君らしくもない、からかうように付け足される言葉。
らしくないのは、重々承知のことだった。会議のことは頭の隅にはきちんと存在していて、そろそろ行かねばならないと思っていたのだ。だがその頃には疾うに、湧き上がる感情に翻弄されて俺は動けなくなってしまっていた。
会いたいと、思う。ギルベルトに会いたいと、思う。
俺が見たいのは、話したいのは、アルフレッドでもアーサーでもフランシスでもない。たった一人の人だ。大切な大切な、愛しい人。
「分からないな。そんなに恋しいのかい、彼が」
「分かってもらわなくて結構だ」
すぱりと切り捨て、尚も何か言いたそうなアルフレッドを尻目に歩き始める。
向かうのは今日の会合場所だ。まだそう急ぐ必要もない時間だが、ぎりぎりに駆け込むのは性に合わない。それに俺らしくも、ないのだろう。私情に囚われて公務に遅れるなど、本当に。
だから俺は足を動かす。後ろから悠然とアルフレッドがついてくるの気配を捉えながら、振り向きなどしない。壁を振り向くことなどしない。それがギルベルトに背を向けて遠ざかっているように感じられても、決して。
暗い。暗い。
あの日から俺の世界は、光をなくしてしまった。
兄さんと再会出来る日は、果たして来るのだろうか。
会えない日々
(貴方のいない世界などには何の価値も見出だせないよ、)
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