雨が、降る。しとしとと雨が降る。雨雲は夜空を覆って、月も星も隠してしまう。彼も見上げているのだろうかと思って眺めた、微かな光を。
ふと書類の日付に目がいって、俺は今日が何の日なのかを思い出した。昔、菊に聞いた話だ。今日──7月7日は七夕と言って、天の川に隔てられている彦星と織姫が1年に一度だけ会える日なのだとか。但し雨が降ると天の川の水かさが増して、2人は川を渡ることが出来ない。だから次に会えるのはまた1年後。そうならないように、彦星と織姫が再会出来るように、七夕の夜が晴れることを祈るのだそうだ。聞いた当時は何ともロマンチックな話だと思っただけだった。
だが今考えると少しだけ、見方が変わる。1年に一度だけ会えることは、果たして2人にとって幸せなことなのだろうか。たった1日を生き甲斐に長い1年を過ごすことは、辛くはないのだろうか。兄さん。俺は口の中で彼を呼ぶ。
兄であり恋人であるギルベルトと引き離されたのは、もう何年前のことだったか。今俺とギルベルトの間には、冷たく分厚い壁が聳えている。まるで彦星と織姫の間に横たわる天の川のように。けれど俺とギルベルトは1年に一度会うことすら敵わない。雨が降ろうと降らまいと、無情な無機物は決して隔てて土地を繋げてはくれないのだ。もし一目でも会えたなら、そう夢想しては俺は深々と溜め息を吐く。
一目会えたなら、もう耐えてはいられなくなる。取り戻さずにはいられなくなる。心はいつでもギルベルトを欲していた。あの冷たい冬の国から救い出してまた2人で、その想いは常に俺の心の奥底に息衝いている。
「向こうは、どうなのだろうな」
窓の外を見遣り、俺は呟く。
日本は晴れているのだろうか。それとも、雨が降っているのだろうか。時差からすると、あちらはまだ夕方くらいの筈だ。晴れているにしろ、星が出るまでにはまだ時間があるに違いない。今日という日に、どんな気持ちで菊は空を見上げるのだろう。俺は、閉ざされた鬱屈とした日々が早く終わればいいと思うばかりだ。
雨が、降る。東にも西にも雨が降る。たとえ晴れていたとしても、俺もギルベルトも間に横たわる天の川を越えられはしない。決して、越えられはしない。一目会うことさえ敵わない。再会の希望もなく生きる一年、また一年。一年にたった一度だけ会うことを許された天の恋人たちは、幸せなのだろうか。俺には分からない。
けれどきっといつか会えるとを信じて生きるのも、一年に一度会えることに縋って生きるのも、結局は同じような気がした。どちらにしろ、現状に止まっていては思い焦がれる相手と共に生きることは出来ない。強く欲するなら、会いたいと思うのなら、自分から行動を起こさなくては。何もしなければ何も始まらない。雨で増水した川とて、決して崩れない壁とて、越えていく術が全くない訳ではないのだから。
俺は処理途中の書類をそのままに席を立つ。傘を手に向かうのは──俺とギルベルトとを隔てる壁だ。雨に濡れて色を濃くしている壁を見つめて、俺は思う。
止まない雨などない。崩れない壁とて、ない。いつか必ず、貴方をそこから救い出してみせる。
「待っていてくれ、兄さん」
触れた壁面はうっすらと冷たくて、愚かな僅かばかりの希望を嘲笑っているようだった。
memoに投下した七夕話でした。