乱戦、だった。敵も味方も分からないような状況の中、ギルベルトは必死で一人の人間を探していた。否──正確には己と同じ存在、一つの国の化身を。次から次へと押し寄せてくる兵を斬り倒しつつ、周囲に視線を走らせる。
屈強な男に紛れた少年剣士の姿はよく目立つ筈だった。それは背格好のせいでもあるが、滲み出ている雰囲気のせいでもある。何というか、彼はそこらの粗野な輩とは隔絶したものを持っているのだ。お坊ちゃん育ちが透けて見える、と言わなくもない。
しかしそれを舐めてかかると酷い目に合うことを、少なくとも味方は心得始めている。手ずから扱いたのだから当然だとギルベルトは思うものだが、どうも元から素質があったらしい。それと彼には強さを支えているものがある──大切な人との、約束。それが何なのか、何度聞き出そうとしても答えは濁されるばかりだった。照れているのだとすると意外に年相応の部分があって可愛いものだ。普段は仏頂面に近い、無駄に大人びた表情をしているものだから。
「ったく、勝手に一人で行くなっつーのに…よっ!」
愚痴を口にしながらギルベルトは剣を振るう。返り血が跳ねて服を汚すが、知ったことではない。最近体調が不安定な彼を見付けるのが最優先だ。あんな少年の姿でも盟主なのだから、単独行動は慎んでもらわなければ。ギルベルトも人のことを言えた義理ではないのだが。
血振りをしつつふと視線を上げると、遥か向こうに小柄な人影が見えた。雲の間から差し込む光に鈍く輝く金髪。漸く見付けた、ギルベルトは唇に苦笑を浮かべてそちらに向かう。彼は脇目も振らずに敵を倒していっていた。これぞ正に鬼神と言うべき凄まじさだ。かなり疲れも溜まってきているだろうに、彼はそれを全く感じさせない動きを見せている。瞬く間に周りには屍が積み上げられ、まだ生きている者は彼から遠ざかった。
ギルベルトは間合いには踏み込まない位置から声を上げる。
「おい、神せ………」
が、それは途中で尻すぼみになり消えてしまった。
一瞬のこと、だった。どこからともなく飛来した弾丸が、彼の胸を貫いたのは。
ぐらり、ギルベルトに顔を向けようとしていた少年の体が傾ぐ。口から零れた血が服についた返り血を上塗りしていく。彼も信じられないという表情をしていた。驚きを表して見開かれた碧眼と僅かばかり、目が合う。
ギルベルトはその時漸く自失状態から立ち直った。地を蹴り彼の元へ走る。だが彼が地面に倒れ込む方が、ギルベルトが駆け付けるより数瞬早かった。剣が投げ出される重い音が戦場に響く。
「おい、しっかりしろ!」
「……フ………ァ、ーノ…」
ギルベルトは彼を抱き起こす。第二撃が自分を狙うかもしれないとは考えもしなかった。
彼は天へ、届かないどこかへ、手を伸ばした。血を吐きながら、誰かの名を呼んで。ギルベルトは聞き返そうとしたが、その時にはもう遅かった。ふっと体から力が抜けて、瞳から次第に光が失われていく。
ギルベルトには信じられなかった。腕の中の彼が、雄々しき帝国が、このようなことで死に至るなど。どこの誰とも知らない者の一撃で滅びてしまうなど。そんなことを、信じられる筈もなかった。
「騎士は主がいなけりゃ用なしじゃねぇかよ…」
これからどうしろってんだ、ギルベルトはうなだれて呟く。彼がその問いに答えることは終ぞなかった。
それから何年の時が経ったろうか、ギルベルトはある場所を訪れていた。
小高い丘の上、月桂樹の古木が葉を茂らせている。その梢を見上げ、ギルベルトは微笑を浮かべる。辛くも戦火を免れたらしい木は、疾うに樹齢100年を超えている。所々に瘤のあるその姿はか弱い苗木しか知らないギルベルトにとっては別物に見えた。しかし染み付いた感覚が確かにここがあの場所なのだと主張していた。だから間違いではないのだろう。
時間は流れた、残酷なまでに連綿と。時代が変わり人が変わり世界が変わり、それでもまだ歴史は続いていく。ギルベルトも今や新しい主を頂いていた。彼によく似た、生真面目な──弟。彼は死になどしなかったのではないかと、両者を知る者はよく言う。だがギルベルトは知っている、その可能性は万が一にもないと。
月桂樹を見つめ、久し振りだなとギルベルトは心の中で告げる。失われてしまった嘗ての主はやはり何も答えない。その代わりをするように、ざわざわと木が葉擦れの音を立てた。
20000hit企画