ルッツ、ルッツ、ルートヴィッヒ。
 俺の兄、ギルベルトは酷く愛しそうに俺の名を呼ぶ。伸ばしてくる指は実に優しく俺に触れる。抱き合って交す体温はこの上なく甘やかだ。だがそれは俺だけのものではない、そのことを俺は嫌と言う程に知っている。ギルベルトというのは実に多気なのだ。好奇心が旺盛だと言えば聞こえはいいが、要は節操がない。あちらこちらで気になった者に手を出して、その間を渡り歩いて。まるで渡り鳥のようだ。同じところに長く止どまれず、常に転々としているその様は。
 ところで世の中には必ず例外や特別が存在する。ギルベルトの数多い止まり木もご多分に漏れず、特別な者が何人か存在していた。それは俺を始めとした、人間ではない範疇の者が大半だ。大抵は体以外の繋がりを持たないギルベルトが、その「特別」とだけは何かしら他のものでも繋がっている。隣国など長年の付き合いなのだから柵があるのは仕方のない話だ。しかしその繋がりはそういった類のものではなく、ごく個人的なものだった。
 俺の知らないギルベルトの思い出、記憶、関わり。それはやけに俺の胸を騒がせた。知らないことは仕方のないことであるのに。

「ルッツー、お兄様のお帰りだぞー!」

 ばーんと盛大な音を立てて部屋の扉を開き、ギルベルトがふらふらと中に入ってくる。人の部屋だというのに、相変わらず遠慮も何も気にしない人だ。足音が暫く前から聞こえていたから、大して驚きもしなかったが。
 酔っ払いは僅かに頬を上気させて服をだらしなく着崩していた。側に寄られると濃厚な酒の臭いが鼻につく。酒にはかなり強い筈のギルベルトがここまで酔うとは、どれだけ呑んだのだろう。
酔うのは別に構わないのだが、人様に迷惑を掛けなかっただろうなこの人は。何分性格が性格なものだから俺は気が気ではない。まぁこんな状態のギルベルトに聞いたところで、正面な答えなど返ってこないから聞かないが。
 えいっと勢いをつけてベッドに座る俺の隣に飛び込んできたギルベルトは、洗い立てのシーツに顔を埋める。あぁこら顔を擦り寄せるな、酒の臭いがつくだろうが。

「兄さん、寝るなら自分のベッドに行ってくれ」
「いーやーだ。俺様ここで寝るー」

 ベッドから剥そうとすると、力が抜けていたギルベルトの体が途端に強張った。がっちりとマットレスにしがみつく様子に、俺は深く溜め息を吐く。何だそれは、年端のいかない子供でもあるまいし。連絡もなしに何日も家を空ける、帰ってきたかと思ったら駄々を捏ねて困らせる。何の変哲もないいつものパターンだが、今日は上手くやり過ごせそうもない。常ならば悪戯に同じベッドで眠ることもするのだが。

「なら貴方のベッドを借りるぞ」

 肩にかけていた手を退けると、途端にギルベルトは跳ね起きる。酔っているとは思えない俊敏な動きだ。まさか酔っている振りをしているんじゃなかろうな。そうは思うが、寄ってくるギルベルトはやはり強烈に酒臭い。流石にこれだけ呑んでいればどんな酒豪とて酔ってしまうに違いないと感じさせる程だ。
 ベッドの上に座り込む形になったギルベルトが、ふにゃりと撓垂れかかってくる。顔が近い、果てしもなく酒臭い。ビール以外にはそうまで強くない俺は、臭いで酔ってしまいそうだ。どれだけ呑めばこんなことななるんだか、全く。

「退いてくれ兄さん」
「一緒に寝ればいいだろぉ?」

 いつもしてるみたいに、そう耳に吹き込んでくる声は熟れている。
 誘いを掛けるような仕草と声音に俺は眉を寄せた。誰かと呑んで、下手をすれば寝て帰ってきたところだというのに。何を考えているんだ、煽るようなことを言ってみせて。そんなことをしても何の得にもならないことは、本人が一番理解しているだろうに。
 視線だけで窺い見ると、ギルベルトは俺の肩口から顔を覗かせていた。濡れた紅が不意にピントを合わせて俺を見る。掠めた捕食者の色にぞくりと背筋が震えた。

「なぁルッツ、ここにいろよ」

 耳に押し込まれる声は低音、ざらついて欲情に塗れている。そんな風に俺を、弟を誘惑するなんて、何という人だ、貴方は。誰にだって媚びて、誘いを掛けて、その足を開く癖に。俺など数ある止まり木のうちの一つで、然したる拘りもない癖に。気に掛けなくてもいつでも存在する、便利な足場くらいにしか思っていない、癖に。
 するりと回された手がシャツのボタンを外していく。俺はその手を止めさせることが出来ない。ギルベルトは俺の背後から身を乗り出して、顔を背けている俺に唇を寄せてくる。薄く触れたそれからは、酒と──甘ったるい毒の味が、した。






キスで殺して
(貴方の持つこの毒が、致死性であればいいのに)






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