「またかお前はっ! 済まない兄さん、少し出てくる」
「フェリシアーノちゃんだろ?
行ってこいよ」
前半は電話口に向けて、後半は俺に向けて吐き出される言葉。
ごゆっくり、言って手を振ってやると、ルートヴィッヒは軽く頷いて部屋を出ていく。その歩調は最早走っているのに近い。世話焼きというか何というか、ルートヴィッヒはフェリシアーノには甘い。
それが何の感情から来るものなのか、俺は知っている。知っているから止めないし、寧ろ迷っていれば笑顔で送り出してやる。それくらいの度量は持ち合わせているつもりだ。
けれど。俺は無造作に元の位置に戻された受話器を見つめ、溜め息を吐く。余りいい気分は、しない。
それはルートヴィッヒの中で常にフェリシアーノが優先されるからではない。俺が、俺がルートヴィッヒの気持ちを知りながら、抱いてはいけない感情を持っているから。そう聞けば人は相手はフェリシアーノだと思うだろう。アイドルのような扱いをしている彼を弟に取られて悔しいのだと思うだろう。だが違う。
確かにフェリシアーノは可愛いが、俺の中ではそういう対象にはなり得ないのだ。俺に憂鬱を齎すのはルートヴィッヒの方。男同士ってだけでも不味いのに、糅てて加えて弟ときてる。なのに、あぁ、俺はこの気持ちを抑える術を知らない。どうしたってこんなこと、可愛いばっかりの対象だったのに。
ぐるぐる悩むが、結局答えは1つのところに落ち着いてしまう。男同士だろうが弟だろうが、俺はルートヴィッヒが好きだ。家族という範疇を超えて、愛している。それでもそれを本人に伝えることは、ないのだろう。
「っ……また、来やがった…」
ぜ、と喉が喘鳴を零す。慣れてしまった発作、その始まりは常に唐突だ。始まってしまえば終わるまでじっと苦痛を耐え忍ぶしかない。
ルートヴィッヒがいなくてよかったと、思った。あいつは必要以上に心配するだろうから。つきっきりで看病された日には、自制を利かせられる自身が俺にはない。この時ばかりは昼夜を問わずルートヴィッヒに泣き付いてくるフェリシアーノに感謝した。全く、いい時に電話を掛けてきたものだ。
げほげほと咳き込む、口に当てた掌にかかる息は熱い。ソファに丸まって、俺はひたすらその不随意な咳をやり過ごす。喉痛ぇ、熱でも出てるのか頭がぼぅっとして視界が霞む。途端にぞわりと嫌な感覚が這い上がった。
おいおいおい、冗談じゃあない。
跳ね起きて洗面所に向かおうとするが、俺の回避行動は見事に間に合わなかった。げほり、一際大きな咳と共に、口に当てている手に生温い感触。それはとても片手では受け止めきれず、零れて床に滴った。嗅ぎ慣れたにおいが鼻につく。どろりと赤黒い、血。それは喉に張り付いて、ただでさえ苦しい呼吸を更に苦しくする。あぁクソ、気持ち悪い。何だって内臓もやられてないのに吐血なんか。
そう考えて、俺は自嘲の笑みを漏らす。分かっている筈だ。どうしてかなんて、嫌と言う程に分かっている。ルートヴィッヒに引っ掛かって長らえるのも、もう限界なのだ。精神はともかく、無理矢理この世に止どめられた体は保ちやしない。内側からじわじわと破滅に向かっていく。分かっていたこととはいえ、俺には到底受け入れられない事態だった。
よりによってこんな時に来なくてもいいだろう。大戦中、しかも状勢が悪い方に転がり始めているこの時に。降伏しようという動きも少しばかり見られてきている。それは主戦派にすぐさま潰されるが、水面下で少しずつ勢力を拡大しているに違いない。
「せめて…せめて、この戦争が終わるまでは…」
声に出して呟く。
粗方仕込みはしたが、ルートヴィッヒはまだ危なっかしいところがある。出来るならこの大戦が終わるまでは、側にいてやりたい。こんな体じゃあ正面に戦えなくなることは見えている。それでも。
託されたのだ──あの人に、託されたのだ。後は頼むと、言葉少なに、それでも確かに。俺は胸を張って頷いた。絶対に守り通す、途中で滅びるようなことはさせない。今度こそは、必ずその頭上に輝かしい王冠を。
その願いは叶った、だがこの大戦に負ければ、存続は危ぶまれる。四方八方から分割されるなんて、想像しただけでも反吐が出る。ルートヴィッヒは健やかにあらねばならないのだ。それが先人たちの夢だった。叶えられなかった、夢だった。だから何を犠牲にしても、どんな苦汁を舐めることになろうとも。ルートヴィッヒだけは、必ず守る。俺のこの手で、可愛くて、愛しくてどうしようもない弟、だけは。
込み上げる吐き気、溢れ出す血は俺の決意を嘲笑っているかのようだった。
流転に頸を絞められて
(あぁあぁ俺は死んでいく)
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