ぴったりとカーテンを閉じた暗い部屋の中。そこにはかなり前から退廃的な空気が蟠っている。ギシギシ軋むベッド。俺はその上で必死で感情を受け流していた。
 痛い痛い痛い痛い痛い。ずくずく痛む指で、それでも俺はシーツを掻き掴まずにはいられない。あぁクソ、変な方向に曲がったらどうするんだ。泣くつもりなんかないのに勝手に涙があふれて、頬を伝っていく。
 俺は滲んだ視界でヴェストを見上げた。表情は余り見えない。なのに、目だけが愉悦に細められている。綺麗な碧が、嗤う。

「ひっ…ぁっ、あ、ぁ…!」

 弱いところばかりを執拗に突かれて、俺は悲鳴に近い声を上げた。振動が折れた指に伝わって、痛い。痛いのに気持ち、イイ。俺は力なく首を振って、何とか痛みから気を逸らそうとする。けど、ヴェストはそれを許してくれない。
 いつもは沈着な瞳が獰猛に光る。かぷり、と喉元に噛み付かれた。犬歯が皮膚を突き破って浅く肉を抉る。汗の浮いた肌にドロリと伝う液体──きっと血だ。あぁ、鉄錆びた臭いがする。

「ぃ、たぁ…っ…ヴェスト…、」
「兄さん」

 ざらついた低音が耳に押し込まれる。そのまま耳朶にも噛み付かれた。
 サディストもいい加減にして欲しい。こんなのばっかじゃ俺が保たないって、言ってんのに。誤解だって、言ったのに。何でちゃんと聞いてくれないんだよ、ヴェストの馬鹿。
 涙目で睨み上げると、クッとルートヴィッヒの口元が吊り上がる。その顔は嫌いじゃ、ない。

「自業自得、だろう?」
「だから違…、ぁっあぁああ…!」

 言い返そうとしたら、シーツを握り締めている俺の手にルートヴィッヒの手が重なった。指の間に自分の指を割り込ませて、強く握られる。ルートヴィッヒの太い指に挟まれて、折れた骨が悲鳴を上げる。他の、正常な指も痛みを訴えてくる。
 これ以上イっちまったら日常生活に支障が出そうだ。だからもう一本、というのは勘弁して欲しい。本当に痛いんだぜ、これ。それでも利き手の指じゃないのはルートヴィッヒの優しさ、なんだろうか。俺は痛みに赤く染まる思考でそう考える。

「言い訳は聞きたくないな」

 だから言い訳じゃなくて弁解なんだって。俺がフランシスとどうこうとか、何でそういう考えになるんだ。そりゃ尻撫でられたりはしたけど、あいつはアレを挨拶代わりにしてる節があるし。深夜まで酒呑んでてそのまま三人とも寝ちまったんだからしょうがねぇじゃん。って、アントーニョに何もなかったって証言してもらえばいいんじゃねぇか。余り期待は、出来ないけど。

「兄さん……兄さんは、」

 俺だけ見ていればいいんだ。
 ルートヴィッヒの声が聴覚からじわじわと俺を侵していく。その低音に、俺をじっと見据える碧の瞳に囚われる。逃れられる筈がないのだと、誰かが思考の片隅で嘲笑う。
俺はルートヴィッヒの目を見つめ返した。
 俺はどこにも行かない。逃げたりなんかしないよ、ヴェスト。だって、お前は俺の王だから。お前を守って育て上げる為に、俺は生まれたんだから。

「そ…なの、言われなくても……」

 分かってる。
 そう言ったらルートヴィッヒは安心したような泣きそうなような、複雑な顔をした。昔からそうだ。ルートヴィッヒは俺が自分から離れていくのを酷く嫌がる。
恐れているようですらある。だからたまに暴走する。根がサディストだからやられるこっちはかなり辛い。けど、不器用なルートヴィッヒは上手く甘えることが出来ないから、しょうがないのかな、と思ってしまう。俺も相当甘い。甘いと自覚しながら拒まないんだから、筋金入りかもしれない。
 俺は少しだけ笑った。
 ふと、唐突に甘やかな口付けの気配。俺はほぅと息を吐いて、ゆるゆると目を閉じた。






怖がりな君
(お前から逃げる訳ないだろ、我が王よ)