1989年11月9日
後生大事にとってあったから、また今日から日記をつけることにした。
色々変わっちまってどうしようかと思ってたけど、ルッツが兄さんって呼んで抱き締めてきたからどうでもよくなった。どこがどう変わろうと俺は俺だからな。俺様今日もやっぱり格好良いぜ!
今夜は食って呑んで語って、そのまま寝ちまいそうだ。ルッツとまたそういう風に過ごせるのが嬉しくてならない。
俺は今日という日を決して忘れないだろう。
◆ ◇ ◆
2009年11月9日
今年もまたこの日がやってきた。
…のはいいが、日付跨いだ直後にこれはないと思う。本当に本気で。情緒とか雰囲気とかそういうの大切にしようぜ、頼むから。
「ルッツ、ルートヴィッヒさん、そこ退いてくれませんか」
「断る」
「いい笑顔だな畜生!
0時になった瞬間に夜這いにくるってどういうことだ!」
そう、俺の眼前、というか上には、ルートヴィッヒがいる。いるというよりも、押し倒してるとか伸し掛かってるとかいう表現の方がより正しいのだが。普通に安眠していた俺は何か異様な気配に目が覚めて、その数瞬後、この状況を認識したのだ。反射的に思ったことは──何してるんだこいつは。それに尽きる。
いつもだったら朝からのんびり2人で過ごして、夕飯食いながら呑んで、それからベッドに縺れ込んで…というパターンを踏む。最近は大体そんな感じだった。にも拘らず、今年は何なんだ。
熱っぽい目でそんな風に見つめるなよ、セックス覚えたての餓鬼じゃあるまいし。上に乗っかっていて重たい胸板をぐいぐい押すけど、押し返すという状況に持ち込めない。このガチムキめ、本気で押さえ込みにかかるんじゃねぇ。そう来られたら俺がどうにか出来ると思ってんのか。
って、どうにも出来ないと思ってるからしてんのか。だよな、そうだよな、は、ははは。笑い事じゃねぇんだけど、実際。
「今年は特段気分が高揚しているんだ…20年になるだろう」
「それを俺で晴らしにくるな。帰れ!
Haus!」
ビシッと部屋の扉を指してみるが、効果はゼロ。ルートヴィッヒは俺しか見ていない。他のものなんか全然見えてない。俺が抵抗しようと何をしようと襲う気満々だ。無事に逃げられる確立は、残念ながら極めて低い。寧ろ無理に近い。
俺はうーうー唸って、ルートヴィッヒを睨み付ける。実力行使で逃げられないような状況に追い込めば俺は諦める、そう読んでの行動だろう。当たっている辺り実に憎たらしい。
「…兄さん」
ぐぐぐぐっとルートヴィッヒが顔を近付けてくる。体重掛けんな重い重い潰れる圧死する! 死亡フラグをへし折ろうと藻掻きながら、俺は顔の前に手を差し入れる。迫ってきていた唇は指に阻まれて、目標には到達出来ない。ざまあ見ろ。
む、とルートヴィッヒが眉間に皺を寄せる。俺は相変わらず潰れそうなまま、ケセッと笑ってみせてやった。
そう簡単に襲われてたまるか。というかそもそも襲うな、ちゃんと許可を得ろ。恋人だろうと夫婦だろうと成立するんだぞ、強姦罪。
「お前が条件飲むならヤってもいいけど」
「条件?」
「サド行為全般禁止」
強めの語調で言うと、ルートヴィッヒはひくりと口元を引き攣らせた。
お前が24時間全自動ドSなのはお兄様よぉく分かってるんだけど、な。毎回あんなの無理。死にはしないけど体が持たない。喉とかもう何回痛めてると思ってるんだ。俺はマゾっ気なんかないから、正直なところ毎回それがいい。けどルートヴィッヒが了承する訳がない。
だからせめて今日、今日くらいは、ちゃんとくっつき合ってお互いの体温を感じられるのがいい。俺様ってかなり控え目だよな、これくらいの願い叶ってもいいよな。な、ルートヴィッヒ。
俺はちらりと視線を流す。
ごく近い距離で顔を顰めていたルートヴィッヒは、それを受けてより一層渋面を作った。多分性欲と加虐欲が脳内で戦ってんだろう。俺としては前者に勝たれた方がまだ、救われる。はーっと長い溜め息を吐いて、ルートヴィッヒが体を起こす。
お、もしかしてヤること自体諦めたか?
「条件を飲もう。…だが貴方から強請ってきたらその時点から解禁するぞ」
「絶対しねぇ」
どうだか、言いながら近寄ってきた唇が、今度はちゃんと重なった。
「んっ…ん、ぁ……あは…あっ」
ちゃんと慣らしてから入れられる指、その指もしつこいくらいに中を解していく。俺は実に久し振りに、きちんと状況を把握して喘いでいた。
ほぼいつも切羽詰まって訳分かんない状態でどうこうされるから、全てを理解出来るのは終わった後。つまり何を思っても後の祭りな時だ。漸く認識出来た事実に俺は何回もヘコまされた。あの時の衝撃というのは、本人以外にはなかなか分かり得ないものだと思う。だからルートヴィッヒもご多分に漏れずに分からず、俺を毎回毎回ぎりぎりまで追い詰める。
何度も言う、何度だって言ってやるが、俺はマゾヒストじゃあないんだ。意識飛ばすまで好き勝手に攻められて、気持ちいいとかそういうのを、感じられる訳がない。
やっぱりこうじゃないとな、俺はうっとりと息を吐く。ちゃんと慣らして解してもらえるのって素晴らしい。痛くないし、何より地味な努力とかしなくていいし。ヤバそうな日は自分で下準備してたとか、ルートヴィッヒは知ってるんだろうか。あぁ、何か──期待していたのか淫乱、とか何とか、罵られたような記憶がぼんやりあるような。なら知ってるのか。それもそれで何か複雑な気分だな。
「ぁ、ふぁっ!
あ…あぁ…」
ほんの少し、ルートヴィッヒの指の先が前立腺を引っ掻いていく。俺はついぞくんと背筋を跳ねさせて、甲高い声を上げた。戦慄く腰はがっちりホールドされていて、梃子でも動かなさそうだ。
ルートヴィッヒは、というと、何か悩ましげな顔をしている。おい、そんなに不満か。お兄様を苛められないのがそんなに不満なのか。親の顔が見たいぜ。って言うと十中八九、鏡見ろって言われるんだよな…親になった覚えはないんだが。ついでにこんなドSに育てた覚えもちっともこれっぽっちも、ない。
はぁ、と吐息に溜め息を混ぜると、ルートヴィッヒが怪訝な顔をする。
「どうした、兄さん?」
「何でもねぇ、こっちの話」
ちゃんと答えられるのが新鮮だ。
本当、いつもどれだけ切羽詰まってるんだ俺は。そりゃあこのドSに攻められて切羽詰まらない方がおかしいんだけど。だって、信じられるか? こいつときたら拘束なんて序の口で、延々道具責めとか平気でするし、鞭とか蝋燭とか針とかとんでもないもの取り出してくるし。いくら寛大で懐が広い俺様だって、それは受け入れられない。いや受け入れちまってるんだが、実際のところは。
でもそれは俺の意志じゃない、受け入れざるを得ない状況に追い込まれて勝手にされただけだ。毎回拒否してんのにな、クソ。心中で悪態を吐いた瞬間に、またルートヴィッヒの指先が前立腺を掠めていく。
「ぁ…っ、あ、ぁっ…ルツ、」
ぐりぐり中で指を動かされて、それでも明確に気持ちいいところばかりは刺激してくれなくて。俺はもどかしさに腰を捩って声を上げる。もっとちゃんといいとこ、して欲しいのに。いっつも狂いそうになるくらいキツい刺激を与えてくる癖に、何だって今日はこんな。
そこまで思って俺は首を捻る。待て待て待て、それじゃあ俺が酷くされたいみたいじゃないか。違うぞ、断じて違う。俺はただもっと気持ち良くなりたいだけで、苛められたい訳じゃない。
もっと一杯、奥まで欲しい、だけ。それだけ、だ。
「ルッツ、もっと…もっとちゃんと、」
そうして声を上げると、ルートヴィッヒは実に嬉しそうに口の端を吊り上げた。それは俺から見れば悪魔の哄笑に他ならない。何つー顔すんの、お前。というか何が嬉しいの。
混乱する俺を余所に、ルートヴィッヒは一気に指を増やしてくる。それが中を目茶苦茶に刺激して、俺は悲鳴に近い声を上げた。
「あ、ぁあ!
何す…やぁっ」
「言っただろう? 貴方が強請ってきたら解禁するぞ、と」
「は?!
ちが、さっきのはそういう意味じゃ」
「貴方は了承した。言い訳は聞かん」
おいおいおいおい、何でそうなるんだよ! というか何、まさか俺ハメられたのか。強請るように仕向けられたとか、そういうことか、これ。マジで? 狡猾だ何だと散々言われた俺様が?
信じたくない、凄く信じたくない。それにルートヴィッヒが凄く楽しそうな笑顔を浮かべてるのも信じたくない。
なぁ、これって俺様どうなるの。どうされんの。今日という日を祝えるのか、無事に。…多分無理なんだろうな。だってルートヴィッヒが持ってんのが、さぁ。
全力で現実から目を背けながら俺は思った。俺は今日という日を決して忘れないだろう。
「兄さん、あの」
「煩い黙れ馬鹿あっち行け」
「俺が悪かった…機嫌を直してくれないか」
俺が悪かった?
そんなの当たり前だろうが! 俺が何だってこんなめでたい日にベッドで蹲ってなきゃいけないのか、胸に手を当ててよーく考えやがれ。ううクソ、腰痛い喉痛い背中も痛い。
俺は毛布にくるまって、刺々しい目でルートヴィッヒを睨み付けていた。対するルートヴィッヒは、何とも微妙な困り顔だ。部屋の入口辺りに立ってそこから動かないのは偏に、俺が威嚇してそれ以上近付かせないからだ。また何かされたら堪ったもんじゃない。空が白むまであんな、あんなの。
やだって言ったのに。無理とも言ったのに。変にギラギラした目で舌舐め摺りして、寧ろ嬉々としてやってくるとかどういうことだ。お前は言葉を理解してんのかと言いたい。理解した上でやったんなら、俺様暫く口利いてやらねぇ。というか家出するぞフランシスん家辺りに。
「このドS鬼畜人でなしっ俺様今日という今日は許さねぇからな!」
「…兄さん、」
額に手を遣って長く息を吐いたルートヴィッヒは、次の瞬間にこっちに向かって足を踏み出してきた。精一杯来るなと威嚇してみるけど、あっさり無視される。あれ、もしかして今までのもあんまり利いてなかったのか。来ようと思えばいつでも来れたって訳か。
あぁあああちっこい頃は俺がちょっと怖い顔してるだけで怯えてたのに。何だこの変わり様は。ガチムキか、ガチムキのせいなのか。俺がどうしたって対抗出来ないのは衰えたせいか。ははははは、そんなの分かったぜ今更だ今更。
って目を逸らしてる場合じゃなかった。ルートヴィッヒがこっちに…!
バッと顔を上げたら、件の弟はもうすぐ脇に来ていた。
こんにちは死亡フラグ。
「本当に済まない。貴方が側にいるのが嬉しくて…その、どうにも抑えが利かなかったんだ」
言いながら、やんわりと腕が回される。毛布の上から抱き締められて、こつりと頭に額が預けられた。温もりが伝わってくるのが少しだけ心地好い。耳元を掠める吐息に、あぁ近くにいるんだな、としみじみ思う。
こっちに帰ってきてから20年。短いんだか長いんだか、いまいち分からない年月だ。色々なことがあった。俺はまだ銀髪紅瞳のままで──もしかしたらもうずっとこのままなのかもしれない。
でもルートヴィッヒは相変わらず俺のことを兄さんと呼ぶ、呼んでくれる。だから俺はルートヴィッヒの側にいられるし、つい、色々許してしまう。許しちゃ駄目だと思うことまで、許してしまう。付け込まれんの、分かってんのになぁ。
「俺様ホットケーキ食べたい。メープルたっぷりかかったの」
ぼそっと漏らせば、ルートヴィッヒは目を瞬かせた。
けど聡い弟はすぐに合点がいったらしく、Jaと答えて立ち上がる。去り際に落とされた口付けに幸せを感じたから、これでいいのだということにしておこう。
たまにはこんな11月9日も悪くない。
壁崩壊おめでとう!