「ルッツ、なぁルッツー?」

 気怠い空気が残る室内。ごろりと横に寝転がっているルートヴィッヒを、ギルベルトは呼ばわった。彼はシーツの上でぱたぱた足を遊ばせながら、目を閉じている弟に顔を近付ける。悪戯に鼻先を舐めてみれば、碧眼はゆっくりと開いてギルベルトを見た。
 ぼんやりとしているようだから、本当に眠りかけていたのかもしれない。僅かに体の向きをずらして顔を向けたルートヴィッヒが、うっすらと口元に笑みを浮かべる。

「どうした、兄さん」

 口調は柔らかく、穏やかだった。強面で通っているルートヴィッヒも、この時ばかりは険が抜ける。彼と体を重ねたのは今のところ自分だけの筈だから、この顔を見たことがあるのも自分だけ。それがギルベルトの密かな自慢だった。
 兄という関係上、他の者たちよりルートヴィッヒのことを知っているのは必然だ。だが家族には到底見せない表情も知っているというのは、何だか嬉しかった。
 しかし同時、それは酷く罪悪感を抱かせる。来歴から来るところが多いのだが、ギルベルトの思考には未だに多少の宗教倫理が入り込んでいる。それは汝隣人を愛せよだったり──または、同性愛の禁止であったり。随分とリベラルになったつもりではいるのだが、短時間では根底に根付いてしまったものは抜け切らないらしい。お蔭でこうして幸せな倦怠感に包まれながら、もやもやとした気持ちを抱えることになっている。
 その辺り、似たような価値観を持っているルートヴィッヒはどうなのだろうか。そう思ったのは半分以上、ただの思い付きだった。

「お前はさ、どう思ってんの?」
「…何を」
「俺たちの関係のこと」

 何気なく出した言葉に、ルートヴィッヒは少しだけ表情を硬くした。それは何から来るものなのだろう。ギルベルトはその変化を見逃してしまわないように、しかしあくまでさり気なく顔を見つめる。

「それは…間違っているだとか、そういうことを言って欲しいのか?」

 努めて感情を消してしまっていて、声からも顔からも本心は窺えない。長年の勘で見抜けないものかと頑張ってみるも、無駄な努力だった。
 ギルベルトはずりずりとベッドの上を這って、ルートヴィッヒのごく近くまで移動する。ぺたりと頬に触れると、彼はそっと手を重ねてきた。どちらからともなく自然に指を絡め合って、時に戯れるように動かす。何の意味もない筈の行為も、この時ばかりは意味を持っていた。

「べっつにそういう訳じゃねぇけど…純粋にお前はどう思ってんのかなーってよ」
「…そうか。俺は特に、」

 言いながら指にすいと顔が寄せられる。ルートヴィッヒは爪先に音を立てて軽く口付けを落とし、そのまま僅かに歯を立てた。子猫の甘噛みにも満たないそれに、ギルベルトはぴくりと反応する。引こうとした手は、がっちりと指を組まれてしまって離せない。
 ルートヴィッヒは意地悪げな色を瞳に浮かべて、くすりと微笑を漏らした。

「罪悪感の類は抱いていない。兄弟として生まれたのも、こうして愛し合っているのも、何か意味があってのことだろう?」

 主は意味のないものを生み落としたりはしない、貴方もそう言っていたしな。
 かなりの過去から引き出された言葉に、ギルベルトは赤面する。幼いルートヴィッヒが悩んでいた時に安心させる為に言った一言は、完全に口から出任せだった。元気をなくしている様子が見ていられなくて、取り敢えずそれらしい言葉を並べたのだ。納得出来たのか妙に晴れやかな顔になっていたが、まさか今日まで覚えていようとは。あぁ早く記憶から抹消して欲しい。
 そうは思えど、ギルベルトは決して口には出さなかった。ルートヴィッヒが聞いたら絶対に忘れないようにすると分かっていたので。そもそも、もしかしたら既に事情を分かっていて持ち出してきたのかもしれない。このドSな弟ならばやり兼ねない、実に。

「貴方はどうなんだ、兄さん」

 問われて、ギルベルトは答えるのを少し躊躇う。
 何と言ったらいいのだろうか。ルートヴィッヒは誰よりも愛しい人で、一緒にいられる時間は幸せだ。けれど付き纏うもやもやとした感情は罪悪感に他ならない。背徳を犯しているという明確な事実、それは不明瞭な痛みを生む。同時に密やかな快楽も。それにうっかり魅了されて、ずるずると引き摺られて。随分なところまで来てしまったものだ。だが後悔はしていない。自分で選んだ、道であるから。
 ギルベルトはもにゅもにゅと口を動かし、相応しい言葉を探す。何と、言ったらいいのだろう。こういう時、もう少し芸術方面にも興味を向けておけばよかったと思う。本は人並みに読むが、文学に目を向けたのは結構最近のことで、昔は戦術書ばかり読んでいたから。それでもどうにかこうにか見付かった言葉は、実に飾り気がなく余りに単刀直入だった。しかし他に表現も見付からないのだから仕方あるまい。
 ギルベルトはルートヴィッヒを見つめて、一言一言をゆっくりと発音する。

「俺は…罪悪感とかそうういうの丸々引っ括めても、今が幸せだから、それでいい」

 言い切った後、気恥ずかしさからギルベルトは微かに赤面した。ルートヴィッヒに比べれば率直に感情を表す方だが、それでも背中がむず痒くなるような言葉を屈託なく言える程ではない。反応がなかなか返ってこないのが余計に恥ずかしさを増長させる。早く、早く何か言って欲しい。
 ギルベルトは知らず伏せていた視線を上げた。そろりと顔を窺えば、ルートヴィッヒが自分以上に顔を真っ赤にさせているのが目に入る。恥ずかしいことを言わせたのはそっちの癖に。しかもその前に結構恥ずかしいことをさらりと言ってのけた癖に。
 やり場のない感情をどうにか逃がそうとうーうー唸ると、ルートヴィッヒが瞳を動かした。逸らす間もなく視線が搗ち合う。途端にぼふんと2人揃って顔の赤を深くしたのは、多分不可抗力だったのだろう。

「……Ich liebe dich」
「Ich liebe dich auch」

 吐息の隙間に差し込むようにルートヴィッヒが漏らした言葉は、その近距離故にしっかりと聞き届けることが出来た。同じようにして返せば、頬の紅潮は濃くなるばかりだ。
 あぁ柄でもない、恥ずかしい。こんな甘い甘い睦言を交わすようになるなんて、少し前までは想像さえ出来なかった。だが、悪い気はしない。ちくちくと胸に刺さる罪悪感を含めても、今この時が幸せであると感じられるから。
 くふ、と笑いを漏らすと、ルートヴィッヒも目元を緩める。最愛の人と、抱き合って笑い合って愛し合って、これ以上の幸福はきっとない。






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