ルートヴィッヒはふと、ごく自然に目を覚ました。部屋は真っ暗でまだ夜が明けていないことを示している。それなのに何故起きてしまったのだろう。
ぼんやりと天井を見つめて答えを考える。そうしていると、微かに耳に届いてくるものがあった。何かの、物音だ。どこから発せられているのかはよく分からない。だが確かに、それはどこかから聞こえてくるようだった。
ゆっくりと身を起こし、ルートヴィッヒは寝間着のまま靴に足を突っ込む。普段なら気にしないようにしてもう一度寝てしまうのに、今回はそうすることが出来そうにもなかったのだ。好奇心につき動かされて部屋を出る。ふるりと体が震えたのは、春先の夜気が思いの他冷たかったせいだ。
ルートヴィッヒは努めて足音を殺して廊下を歩き、音の出所を探る。歩みを進める度に音はしっかりと聞き取れるようになっていく。それはルートヴィッヒの兄であるギルベルトの部屋がある方向だった。
ルートヴィッヒはその姿を脳裏に描き、少しばかり躊躇う。この頃身長が伸びて彼の鳩尾辺りまでになったとはいえ、ギルベルトの顔はまだまだ高みにあった。見上げる表情は大抵いつも険しく、厳しいものだ。それでも他人よりも随分と甘やかされているのを知ってはいたが、緊張や畏怖は拭い去れない。けれど足は澱みなく動き、そう遠くないギルベルトの部屋のすぐ側に辿り着いてしまう。
戸は僅かに開いていた。仄明るい光と共に、押し殺したような声が漏れ出ている。いけないことだと分かりつつも、ルートヴィッヒは戸の隙間から部屋を覗き込んだ。ギルベルトはベッドに伏して、顔をシーツに埋めていた。他に人はいない。びく、と時折体が跳ねて荒い呼吸が零される。ルートヴィッヒの頭に瞬時に過ぎったのは、何かの発作だったら、ということだった。戦場で負った傷を誰にも悟らせないように隠すことが度々ある人であったから、人を呼ばないことは容易に想像出来る。
ルートヴィッヒは後のことを考える間もなく、部屋の中に飛び込んでいた。
「兄さん、どこか痛いのか?!」
「っ、ぁ……ルッ、ツ?」
ベッドサイドに膝をついたルートヴィッヒに向けられた視線は、これまでに一度も見たことのないものだった。紅い瞳はじっとりと妖しい色に濡れて、うっすらと涙で潤んでいる。その異様な雰囲気に気圧されてルートヴィッヒは兄の肩に掛けた手を退く。
だが追ってきたギルベルトの手が、ぐっと手首を掴んだ。顔の方に引き寄せられて、ぴちゃりと生暖かいものが這わされる。それは舌、だった。何か別の生き物のように這い回るそれに、ルートヴィッヒは悲鳴に近い声を上げる。
「に、兄さ…何を…!」
「あ…あぁっ…ん、ルツ…ルッツ…っ、も、出るっ、ぁ、ぁ、……!!」
体を強張らせたギルベルトが、髪を振り乱して声を上げる。ルートヴィッヒは呆然とそれを見ていることしか出来なかった。
それが全ての、始まり。
「な、出来るだろ?
ルッツはいい子だもんな?」
足下で零される懇願の言葉に、ルートヴィッヒは耳を塞ぎたくて堪らなくなった。
逸らしていた視線を元に戻せば、ギルベルトが裸身を床に投げ出している。彼の性器は完全に反応して体液を垂れ流していた。そこを兄は、ギルベルトは、踏めと言うのだ。正気の沙汰とは思えない。けれどルートヴィッヒは拒否する術を何一つ持っていなかった。何故なら彼にとって、兄の言葉というのは絶対であったから。そして自分はいい子であらねばならないという思いが、強くあったから。
ごくりと唾を飲み込むと、その音はやけに大きく空気を震わせた。ギルベルトが期待に濡れた息を吐くのが分かる。ルートヴィッヒは目を伏せて、のたりと足を持ち上げた。そっと乗せただけでも、ギルベルトは甘い声を零す。
「ふぁ…あ、ルッツ、」
ギルベルトは口元に笑みを浮かべる。それがルートヴィッヒには理解出来なかった。もっとと強請ように体を擦り寄せてくることも。次第に甲高い声で啼き始めることも。感じ入った様子で、達すること、も。
請われるままに兄を虐げながら、ルートヴィッヒはいつも祈っていた。こんな時間は早く終わればいい、朝が来ればいい。そうすればギルベルトはいつもの、厳しいながら優しさも見せてくれる兄に戻るから。それだけがルートヴィッヒの救いだった。
夜と昼とを切り離して、全くの別人だと思ってしまえば気持ちに一応の整理はつく。気休めにしかならないそれを、ルートヴィッヒは続けるしかなかった。彼の行動は、欲するものは到底理解の範疇ではなく、理解したいとも思えなかった。
「、兄さん…」
「あぁ、ルッツ…ルッツぅ…!」
ルートヴィッヒが唇を噛み締めたのを、ギルベルトは果たして認識していただろうか。その瞳には確かに映っていたのだが、それは甚だ定かではない。
◆ ◇ ◆
「ぁ…あっ、んあぁ…っ」
「本当にどうしようもないな、兄さんは」
嘲る声に身を震わせて、ギルベルトが喘ぐ。
身の丈がもうすぐ兄に追い付く程になっても、それは続けられていた。何十、何百年と変わらない儀式のようなそれ。変わったことがあるとすれば、それはルートヴィッヒが嫌悪感を抱かなくなってきていることだろう。何度も何度も続けられるうちに正常な感覚は摩耗して、その行為を正当化しようとする。それはごく自然な流れだった。
じわりじわりと間違った方向へ足を踏み入れていることを知りながら、戻ることは敵わない。何故ならルートヴィッヒには、兄を拒否するということが出来ないからだ。どんな本性を持っていたとして、それで自分がどんな被害を被ったとして、ギルベルトを嫌うことが出来よう筈がない。その感覚さえ彼に刷り込まれたものだということを、ルートヴィッヒはよく理解している。だが、それが何だというのだろう。
ルートヴィッヒがくっと口の端を吊り上げると、ギルベルトは目元を潤ませた。それは更なる加虐を期待している。切実に待ち望んでいる。目を細め、ルートヴィッヒは優しく問い掛けてやる。
「どうされたいんだ、兄さん。言葉にしてくれなければ分からないよ」
その言葉にふるりと体を震わせたギルベルトは熱の籠った吐息を吐いた。本当に、どうしようもない人なのだ、ギルベルトというのは。
日がとっぷりと暮れて皆が寝静まる頃、彼はその本性を露にする。狡猾で闊達で偉大な兄は、蓋を開けてみればその実、虐げられたくて溜まらないという欲望を内包していた。詰り謗られることに興奮して瞳の色を深くするのには、正直なところ呆れさえ覚えている。部屋に忍び入ってきて勝手に盛られた経験も1度2度どころではない。悪態を吐けばそれに身悶え、かと言って放っておけばそのことに感じて余計に盛り上がる。全く、手の施しようがない。
兄はどうしてこんなことになってしまったのか、ルートヴィッヒはいつも考えるが、答えが出たことはなかった。しっかりと理解出来るのは、ただ、そう、最早手遅れだということだ。自分が幼い頃とて、彼はもう随分と手遅れだった。
ギルベルトがそろりと手を伸ばし、その指が靴に取り縋る。
「ルッツ……もっと、もっとして…」
「それだけか?」
「もっと酷く、して?」
くれるのか、と問い掛けるような視線に、ルートヴィッヒはただ笑ってみせた。答えを口にしない、その代わりにルートヴィッヒは足に掛ける体重を増やす。
ひぅ、と喉を鳴らして、ギルベルトは先走りを零れさせた。眉が寄せられ、苦悶の表情を作る。が、それはそこだけ見ればの話であって、ギルベルトの顔は実に淫靡な笑みに彩られていた。心底から、感じているという表情。ルートヴィッヒは心中で溜め息を吐いて、ぐり、と爪先で円を描く。
「んぁ、あ、ぁアああーっ!」
びん、と背をのけ反らせ、ギルベルトが吐精する。白濁は彼の体ばかりではなく、ルートヴィッヒの靴にまで付着した。こんな刺激で、とルートヴィッヒの視線は自然と鋭くなる。それにさえ嬉しそうに目を細めるのが、ギルベルトの本性で本質である。そう分かっていても、反射的に湧く嫌悪感というのはどうともし難い。というよりは、どうにもならない。
「あ、靴…」
汚してしまった、と気付いたギルベルトの行動はいやに早かった。体を起こして足の下から這い出し、躊躇いも見せずに靴に舌を絡める。常から汚すだけ汚して掃除は使用人任せだというのに、舐め取っていく動きは至極丁寧だ。その心持ちで散らかさないように心掛けたらどうだと思うのだが、言うだけ無駄だろう。ギルベルトが人の注意を素直に聞き入れるような性格なら、今頃ルートヴィッヒは困っていない。
深く長く息を吐けば、ギルベルトが上目遣いに顔を窺ってくる。狙ったつもりはないのだろう。だが性感を煽るようなそれに、ルートヴィッヒは我知らず生唾を飲み込んだ。
◆ ◇ ◆
ルートヴィッヒは戦場にいる時に銃の手入れを欠かしたことがない。
ところが場所が変わって内地にいる時に欠かしたことがないのは、鞭の手入れだった。小忠実にそうしておかなければ、すぐに新しいものを手配しなければならなくなるからだ。出来るだけ手に馴染んでいるものの方が扱いやすい。だから手入れは欠かせなかった。何故かと言えば、恒常的に使う相手がいるからである。しかしそれが打ち据えるのは劣勢種でも囚人でもない。ただ1人だけだ。
足を先に進める度、軍靴がカツカツと硬質な音を立てる。久々に戻ってくる内地は大して何の変化もしていなかった。人員の入れ替わりこそあれど、役職自体に変わりはない。常に血と硝煙と死の臭いがしている場所にいなくてもいいというのは助かるが、内地で事務処理というのもなかなかに骨が折れる。面倒なことも待ち構えているのだし。
思いながら自室の扉を開けると、そこにはギルベルトが立っていた。軍服姿で、手には何やら書類の束を持っている。彼はルートヴィッヒを見留めると、いかにも嬉しそうに破顔する。
「遅かったじゃねぇか、ルッツ。何か問題でも起きたのか?」
「いや、こちらにすぐこなかっただけの話だ」
答えながらルートヴィッヒは後ろ手に扉を閉め──ついでに鍵も掛けた。がちゃりと響く音にギルベルトは体を震わせる。瞳が期待その他諸々で潤むと同時、手から書類が投げ出された。はぁ、と零される息は熱い。
ルートヴィッヒは口元に笑みを浮かべながらソファに腰を下ろす。ゆったりと足を組み、徐に取り出すのは使い込まれた短鞭だ。ぞくぞくと体を震わせたギルベルトがふらりと足を踏み出してくる。今にも頽れてしまいそうな様子、だがルートヴィッヒはそれを許さない。
「服を脱げ。はしたない体を隅々まで見せてみろ」
「…Ja」
首肯と共に、震える指がボタンにかかる。ギルベルトはルートヴィッヒの目前で1枚1枚服を脱いでいった。
上着が放られ、ネクタイが、シャツが床に落ちる。ブーツと靴下から足を抜き、ズボンがもどかしそうにずり下ろされる。ギルベルトのペニスは下着越しでも分かる程に反応していた。ごくりと喉を鳴らし、最後の1枚が取り払われる。
窓から差し込む西日の中に、ギルベルトは無防備な裸身を晒した。肌が赤くなっているのは何も夕日のせいだけではない。羞恥と切望がギルベルトの体を支配しているからだ。目を伏せて視線を逸らしがちにしながら、ギルベルトは足をもじつかせる。その様子に煽られるのは加虐心だ。いつまでも慎ましさを装うのを忘れないのだから、全く可愛らしい。
「もうそんな風にしているのか」
「あ、だって…っ」
「言い訳はいい。ところで俺は隅々まで、と言った筈だが?」
「あぅっ」
ルートヴィッヒはギルベルトの足を蹴りつける。ギルベルトは小さく呻き、ぺたんと床に座り込んだ。窺い見る目線にルートヴィッヒはにこりと笑い掛けてやる。
「さぁ見せてもらおうか、兄さん」
「あ…ぁ、」
目に見えて震えたギルベルトがのろのろと膝を立てる。所謂四つん這いの姿勢、ルートヴィッヒの目前に晒されるのは引き締まった臀部だ。そこにギルベルトの指がかかり、左右に押し開く。顔を覗かせたアヌスは赤く充血していた。時折きゅうと収縮する様が陽光の中で淫靡に映る。
ギルベルトの顔を見ることは出来ないが、恐らく顔を真っ赤にさせているのだろう。ルートヴィッヒはひょいと鞭を持ち上げ、先端で稜線をなぞっていく。軽く振り下ろせばきゃうっと甲高い悲鳴が上がった。だがその声は確かに甘さを含んでいる。呼吸に合わせるようにして口を開閉させるアヌスに、ルートヴィッヒは鞭の先を押し当てる。
「随分と解れているものだな?」
「ル、ツ…」
「俺がいなかった期間は?」
「5ヶ月、と、3日」
「それでその間…一体誰に掘られて善がっていたんだ?」
「っ、そな、そんなことしてな……ひぁあっ?!」
少し力を入れると、鞭は大した抵抗もなく胎内に飲み込まれていく。ギルベルトは戸惑った声を上げたが姿勢を崩すようなことはしなかった。
半分程を飲み込んだところで、軽い抵抗の後にそれ以上進むことを阻まれる。無理に結腸に突っ込むことはせず、ルートヴィッヒは手を止めてやる。その代わり、がくがくとギルベルトが体を震わせるのを見ながらぐるりと鞭を動かした。
「やっ、ぁ、ひ、ひぃいいい!」
得も言われぬ感覚でもするのか、髪を振り乱してギルベルトが身悶える。ここまでアヌスが解れていなければ、ギルベルトは更なる苦痛に苛まれていたことだろう。解れていなかったならそもそもこんな無体を強いられてはいなかったろうが。
実際のところ、ルートヴィッヒは彼が誰かに体を開いたとは思っていない。にも拘らずそう口にしたのは、口実が欲しかったからだ。ギルベルトはいつでも虐げられるのを待っている。ルートヴィッヒに対してだけ、ではあるが。
ぐりぐりと内壁を乱暴になぞり、ルートヴィッヒは笑みを漏らす。顔が見えないのは惜しいが、甘美な悲鳴は耳に心地好かった。
「ならどうしたんだ?」
「、ツ…ルッツが帰ってく、るって聞い、てぇ…!」
「それで?」
「だから…自分、で」
した、という声は消え入りそうだ。
ギルベルトの目に入らないのをいいことに、ルートヴィッヒはくっと目を細める。人の顔を見る度に虐げられる自分を想像しては頬を染めるギルベルトは、その実、健気な部分も持ち合わせている。
ルートヴィッヒが戦場に赴くことになった時には、行かせたくないという顔をしながら笑って送り出してくれた。長々大した連絡を入れなかったというのに、帰ってくると聞けばいそいそと体を清めておく。その割には、自分から強請ってくることはない。逸る心を抑えて仕事を熟している姿には最早尊敬の念さえ感じる程だ。服の下で熱に浮かされた体を持て余している癖に。
奥に向かって鞭を押し出すと、ひっ、とギルベルトが息を詰める。
「ごめ、なさ…っ、や、や、ルツぅ!」
「何に対して詫びている?
俺は別に怒っていないが」
「あっ、あう、あ、アあーっ」
言いながら進める鞭、先端は壁をくいくいと突く。ぞわぞわ背筋を震わせてギルベルトは首を振った。
奥まで突き入れてやったことも何度かあるが、その度にギルベルトは怯えて泣きじゃくった。その様は実に可愛らしく、少しばかりの粗相も気にならない程だった。いつの間にこんな風に感じるようになったのだろう、とルートヴィッヒは心中で独り言ちる。昔はこの兄の姿に、嫌悪感さえ覚えていたような気がするのだが。
まぁ外見はそう変わらずとも何百年も生きているのだ、心境の変化くらいあるか。ルートヴィッヒは適当に結論づけて鞭先を跳ね上げる。
「聞こえているのか、兄さん?」
「うぁあっ、ひぃ、ああぁあ!」
「全く、仕方のない人だ」
わざとらしく溜め息を吐いてみせるが、ギルベルトの反応はない。びくりびくりと背を震わせるだけだ。
ルートヴィッヒはゆっくりと鞭を引き抜いた。腸液を纏ったそれは、夕日の日差しを受けててらてらと光る。ふぁ、と息を吐いて膝を崩しそうになるギルベルトに、ルートヴィッヒはすかさず鞭を振り下ろした。
「んっあぁああ!
は、はひ…っ」
甘く掠れた声を上げたギルベルトは、何とか体勢を立て直す。それでも体が痙攣するように震えているのは隠しようがなかった。ギルベルトには健気さはあっても耐え性はない。一度火がついてしまえば、意識を飛ばす辺りまでいかなければ収まりがつかないのが常だった。
ルートヴィッヒはじわじわと赤くなっていく痕を鞭先でなぞる。ギルベルトの背中には幾重にも打たれた痕が刻まれていた。そのほとんどは治ってうっすらとしか痕跡を見せていないが、比較的新しいものはまだはっきりと見て取れる。最後にしたのはいつだったか──ルートヴィッヒは記憶を手繰る。
戦場に赴く、前日だったろうか。悄気ているギルベルトを、適当に理由をつけて寝室に引き摺り込んだ。彼は目を潤ませてきゅうとしがみついてきた。行ってくれるなという本心は決して言わず、いつも許しを請う唇は加虐を欲した。酷くして、刻み付けて、と譫言のように繰り返すのを口付けで塞いだのは、まだ記憶に新しい。
それから5ヶ月余りだ。目まぐるしい仕事に忙殺され、欲求を解消する暇などありはしなかった。つまり有り体に言えば、色々と溜まっている。
折角用意をしてくれていたのだからご好意に甘えようと、ルートヴィッヒは上着の襟を緩めた。
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