俺は恋というものをしたことが、少ないと思う。今まで明確な──告白して承諾をもらうような──恋愛は記憶にある限りはしたことがない。昔は誰かに恋心を抱いていたような気もしないでもなかったが、それももう遥か霧の向こうだ。思い返そうとしてもなかなか出来ない。
 フランシスは恋はいいものだという。恋をしていると何気ないことにも幸せを見出だせるとか何とかかんとか。
 話半分に聞いていたから大半頭から飛んでいるが、あいつの言いたかったことは大体分かる。奴の持論は数百年前から大して変わっちゃいない。その恋多き男の意見に、俺はこれまでのところ共感を抱いたことがなかった。それは恋をすることが少なかったからであり、恋をしている今も──幸せなど感じないからだ。
 何気なく視線を動かすと、俺の視界にはルートヴィッヒの姿が映る。ネクタイを締めて今から世界会議に行くところ、休業中の俺はお家で大人しくお留守番。今日も相変わらずの男前だなぁ。ぼんやりしていても目はちゃんとルートヴィッヒの造作を捉えていて、それを評価する。身内の欲目というよりは、恋い慕う者の欲目で。
 そう、それこそ何百年振りかの俺の恋の相手は、ルートヴィッヒだった。何でそこで弟になるんだよ、と気持ちに気付いた時には自分でも突っ込んだ。でもいつの間にか、確かに恋をしていたのだ。ずっと弟だと思っていたそいつは、その瞬間に一人の男になった。
 以来、俺は胸の中に蟠る感情を持て余し続けている。何かもやもやする、その程度で、その感情が何なのかは分からない。面倒臭いから正しい名称を探り当てようとも思わない。ただルートヴィッヒを見てるとたまに、それがずくりと疼く。堪らなく胸を締め付ける。
 苦しいのは嫌いだ、人並み程度に。だから恋をしているという現実を、俺は出来るだけ自覚しないようにしている。なのにそういう時に限って、ルートヴィッヒは俺に接触してくる。ちょっと過度な、くらい。お互いにブラコンが入っていることは自覚している、だから本当はそこまでの接触じゃあ、ない。でもルートヴィッヒに恋をしている俺にしたら、それはやっぱり過度な接触だった。
 ブラコンの気ってのもまだ存分に残っているのではあるが、それより幾分か恋うる気持ちの方が大きいようで。ちょっとしたことで、この胸はちくちくじくじく、疼き出してしまう。理由は知らない。もしかしたら知りたくないだけかもしれない。本当は、気付いてるのに。

「それじゃあ行ってくる、兄さん」
「おう、頑張ってこいよー」
「フェリシアーノたちと約束があるから夕食はいらないぞ」
「りょーかい」

 ソファの背凭れから顔を覗かせて手を振ってやると、ルートヴィッヒは徐に距離を詰めてきた。それからちゅ、と頬に口付けられる。一人だからといって拗ねるなよ、掛けられる言葉に俺は反射的に唇を尖らせる。
 別に寂しくねぇよ、俺様一人楽し過ぎるんだからな!
 ケセケセ喉を鳴らしながら言えば、ルートヴィッヒはそうかと相好を崩す。だからそうだと笑ってやった。
 出ていく背中を見つめながら、俺はくしゃりとシャツの胸を掻き掴む。ルートヴィッヒは俺のことを兄以上には思っちゃいない。そうだから出来る行為、それにいちいち傷付くなんて馬鹿げてる。
 分かっている。分かってはいるが、割り切ることは出来ない。また傷が開いて血を流し始める。煩わしい痛みに俺は歯噛みし、ずるずるとソファに寝そべった。
 浅く息を吸って吐いて、幻想に近い痛みが鎮まって過ぎ去るのを待つ。時間が経つに従って感じるのは虚脱感と遣る瀬なさだ。一人で舞い上がって落ち込んで、滑稽にも程がある。傷の浅いうちにさっさと諦めちまえばいいのに。
 男同士で、兄弟で、周りにちょっと引かれるくらい仲が良くて。ルートヴィッヒが俺のことを同じ意味で好きになってくれる確率なんて、小指の甘皮程もないってのに。どうしてだろうな、全然、諦められる自信がない。
 他の奴に恋して忘れてみようと思ったこともある。でも駄目だった。ルートヴィッヒ以上に惹かれる奴なんて、女でも男でもいなかった。
 罪の意識の方から攻めて諦めてみようと思ったこともある。そんな意識よりも愛しい気持ちの方が何倍も上で無駄だった。
 どうやら俺は自分で思っている以上にルートヴィッヒを想っていて、所謂恋は盲目状態に陥っているらしい。ならもっと人生薔薇色な気分になってもよさそうなもんだが。ルートヴィッヒに表立って気持ちを伝えられないばっかりに、俺は悶々とした感情を抱え込み続けている。
 ぷつっといって襲っちまったらどうしよう。そうして軽蔑されて嫌われたら、流石に諦めもつくかな。つかなかったら俺はどれだけ未練たらしいんだって話になりそうだ。
 あぁでもそれくらい、本当に。

「好きなんだよ、お前のこと…なぁルッツ」

 いもしない相手に向かって呟く。当然ながら答えは返ってこない。答えが返ってこないからこそ口に出せるとも言える。反応、拒絶が怖くて伝えられないなんて、俺はいつから臆病者になったんだか。
 何も生まない一人相撲、今の関係に安住する状態はいつまで続くのだろう。俺はこんな状態をいつまで、続けるつもりなのだろう。
 一番言いたい言葉はいつだって、喉に張り付いてきちんとした音にならない。ルートヴィッヒがいるとからきし駄目なのだ。一人でいる時はこんなにも簡単に、口を衝いて出るってのに。はぁー、深い溜め息を吐くと余計に気分が落ち込んだ。
 やっぱお前の意見には賛同し兼ねるぜ、フランシス。






恋ってのはもっと華やかで甘美なものだと思っていたよ
(嘘吐きめ、こんなのもどかしくて苦しいばっかじゃねぇかよ)






素敵企画「現在片想い中」様に提出させて頂きました。