「なぁ、」
俺は隣に座るルートヴィッヒに凭れ掛かりながら声を上げた。書類に目を通しているルートヴィッヒは一瞬こっちに視線を寄越しこそしたが、またすぐに意識を元に戻してしまう。気に入らねぇ。
仕事は家に持って帰らない、客がいても定時に上がる。それが俺たちの国民性だろうが。何で国の化身、一般民衆の代表のお前が仕事持って帰ってんだよ。ふざけるな。一緒にいる時くらいお兄様に構え。
「なーぁ、ヴェスト」
こつん、と肩に額を当てる。無反応。
こつん。無反応。
こつん。無反応。
もう一度こつんとやろうとしたら、流石に鬱陶しかったのかルートヴィッヒが俺の額をぺちりと叩く。邪魔しないでくれ、と言われて俺はむぅと口を尖らせる。昔は俺が帰ってくると「兄さん!」なんて言いながら寄ってきた癖に。むきむきになってから急に冷たくなりやがって。
あれか?俺が開店休業、っていうか国としては失業状態だから構ってる暇がないとかか?いい加減にしないとお兄様は拗ねるぞ。俺が拗ねたら………しまった、ルートヴィッヒには何の支障もない。ただ俺が更に一人楽し過ぎることになるだけじゃねぇか。むむむむむ、と俺は眉間に皺を寄せる。何とかしてつれない弟に打撃を与えることが出来るものはないものか。
「…兄さん、一体何なんだ」
肩に額を預けて考えてこんでいたら、ルートヴィッヒが書類をテーブルに投げ出した。漸く構う気になったか、遅い。俺はぎゅうとルートヴィッヒの腕に抱き付く。男が男に抱き付かれたって嬉しくないだろうが知ったことか。すぐに俺の話を聞かなかったお前が悪い。
「夢、見たんだ」
そう、夢。音楽を聞きながらソファに横になっていたらいつの間にか眠っていて、それで、夢を見た。夢だって分かっているのにやけにリアルだった。鳥肌が立つくらいに。
「お前がさ、俺のこと食べる夢」
そう聞いた途端、ルートヴィッヒが僅かに体を強張らせる。けど俺は話すのを止めない。
夢の中でルートヴィッヒは俺の皮膚も肉も髪も内臓も、引き千切って噛み砕いて飲み込んだ。俺の全てがルートヴィッヒの糧になっていった。意識はあるのに痛みを全く感じなくて、ルートヴィッヒの一部になれるのが無性に嬉しくて、俺はただ笑っていた。
似ていた。あの時の感覚に、似ていた。俺──プロイセンという一つの国家の存在が急速に形骸化し、ルートヴィッヒ──ドイツ帝国に吸収されていった時。その時の感覚に、それは異様に似ていた。領土も国民もルートヴィッヒに引き渡した。俺に残るものはもう、過ぎ去った膨大な過去くらいしかない。それが夢の中で、最終的には骨くらいしか残らなかった俺の状態に重なった。
そうだ、今の俺には動く骸骨程度の価値しかない。国の化身であるのに、その国が既に欠片も残っていないのだ。俺が存在するとこ自体が、奇跡か何かに近い。
「俺が死んで」
「兄さん、」
ルートヴィッヒが窘めるような声を上げる。けど俺は止めてやらない。本当はこんなことまで言うつもりはなかった。それを覆すのは、ルートヴィッヒが俺に構わなかったからだ。だから少しだけ確認しておきたくなった。切っても切れない、俺たちの、俺とルートヴィッヒの関係性。
「もし体が残ったら」
「兄さん!」
ルートヴィッヒの声はもう叱責に近かった。でも俺は止めてやらない。国の化身である俺たちが死んだ時──それは大概国が消滅した時だったが俺は違った──果たして体は残るのだろうか。実際のところどうなのか分からない。けど。ルッツ。ルートヴィッヒ。俺の可愛い弟。我が主。俺が死んでもし体が残ったら、お前は。
「お前は全部食ってくれるよな?」
ドイツ帝国と成った時みたいに、俺の皮膚も脂肪も髪も内臓も、全部。後には骨しか残さないで。全てその腹の中に納めてしまって。ちゃんと、俺を亡きものに、して。
ルートヴィッヒが俺を見つめる。紺碧の瞳。俺と同じ色。俺の培ってきた領土が国民が、ルートヴィッヒに吸収されて定着した証。
ふっとその碧が陰る。同時に眉間に深い皺が刻まれたかと思ったら、俺はルートヴィッヒの腕の中にいた。目にも止まらぬ早業で何が起こったのかよく分からない。きょとんとする俺を、ルートヴィッヒが抱きすくめる。痛い痛い、力入れ過ぎだ馬鹿。今はもうお前の方がデカいんだからちょっとは遠慮しろよ。
「言うな。死ぬなんて、言うな」
俯いたルートヴィッヒが発した言葉に、俺は更にきょとんとする羽目になる。いや、だって、俺は既に死んでなきゃおかしいんだ。今こうして生きていられるのは奇跡みたいなもので。それはお前だって分かってるだろ?いつか俺は死ぬ。亡き国の化身がそういつまでも存在していられる訳がない。だから。
「約束してくれよ、ヴェスト」
俺を全部、お前のものにしてくれるって。
ルートヴィッヒは俯いたまま、俺の耳元で、Nein,das kann ich nicht.と呟いた。
Nein,〜:嫌だ、俺には出来ない