動く度にカチャリカチャリ、音が立つ。外見に似合わずしっとり滑らかな表面は肌を傷付けることはない。ない、けど、何か色々傷付けられている気がする。体裁とかプライドとか、そういうの。
俺は小さく溜め息を吐いて、首に嵌まっているものに触れる。それはエラく上等な本革製で、金具だって真鍮だかを使われている。幾ら掛かったのだか教えてくれないから知らないが、オーダーメイドなだけにやっぱり高価なんだろう。これがチョーカーだったならよかったものを──俺の首に嵌まっているのは、首輪である。
スタッズが打たれていて、リードをつける為の輪があって。リードさえ外されていればパンク系が好む首輪に見えないこともないだけ、まだマシだと考えるべきか。俺としてはリードをつけられたことがあるという事実を盛大に嘆きたい。しかも普通のじゃなくてクソ重たい鎖のだった。
あいつはお兄様をどうしたいのか、俺にはさっぱり分からない。分かりたいとも、あんまり思わない。理解することで自分に迫る危機を回避出来るんだったら考えるけどな。多分無理だろうし。
はぁーと俺は溜め息を吐いて、諸悪の根源を見る。ルートヴィッヒは現在キッチンで楽しくお菓子作り中だ。3時に食べるホットケーキ作り。多分メイプルかけて、アイス乗っけて出てくる。一口食べただけで幸せになれるそれがおやつなのは嬉しいが、上手く飼い慣らされている気がする。
俺っていつからこんな普通に首輪嵌めてるようになったんだっけ。何かあってそん時絆されたような気がする、ような…しないような。あーもー無理だ思い出せねぇ。でもいいか、これしてるとルートヴィッヒの奴、俺に甘くなるし。
って考えるのがいけないのだと分かってる、けど背に腹は代えられない。俺様三食おやつにお昼寝つきの今の生活止めたくねぇんだよ。お昼寝があるのは夜がハードだからとか、そんなのは知らないことにしておく。現実を直視したらいけないと思う、凄く。
……背中痛ぇ。
「兄さん出来たぞ」
「んー。今行く」
「飲み物は?」
「紅茶がいい。メイプル垂らしたの」
そう言うとルートヴィッヒは心得ていたようで、ひょいとカップを差し出してくる。俺はそれを受け取ってすぐに口をつける。淹れられたばかりの紅茶はまだ湯気を立てていたが、火傷しそうな程熱くもなかった。猫舌という訳でもないから、気にせずに飲んでいく。
その間にルートヴィッヒはホットケーキを切り分けて、メイプルを満遍なく絡める。それは自分で食べる為ではなく、俺に食べさせる為だ。そこ、大の男同士であーんとか気持ち悪いって言うんじゃねぇ。俺だってちょっと思ってる。
けど差し出されたら口を開けてしまう、それはもう条件反射だ。俺はカップを置いて目前の魅惑のホットケーキに齧り付く。む、美味い。ルートヴィッヒは器用で色々とそつなく熟せるのだが、その中でも料理の腕は格別だと思う。更に言えばお菓子関係な。流石は俺様栄誉賞最多受賞者だぜ。
もむもむもむ、差し出されるままに口にして噛んで飲み込む俺をルートヴィッヒは見つめている。無表情にも見えるけど、何というかこう、やらしー目で。まぁ結構いつものことなので、俺は気にせずにホットケーキを食べる作業を続ける。あぁマジ美味い。
ルートヴィッヒが作るのは基本何でも美味いけど、幸せのメイプルがかかったホットケーキは最高だ。マシューが進めてくる訳だよなぁ。そろそろストック切れそうだから買いにいった方がいいかもしれない。瓶とかじゃなくてもっとこう、でっかい樽みたいなので売ってねーかな。ちまちま買いにいくの面倒臭過ぎるぜ。
ぱくりと何口目かのホットケーキに食い付くと、特別に沢山メイプルがついていたそれは、机にメイプルを垂らしてしまいそうになった。フォークから机に向かって垂れていく琥珀色の液体を、俺は舌を伸ばして舐め取る。神経質なくらいに綺麗好きなのにこういうとこはいい加減だな、全く。
なんて思っていると、急にルートヴィッヒがフォークから手を放した。口に入れているだけの状態だったから、慌てて歯でフォークを噛む。メイプルが零れたなら拭けば綺麗になるが、フォークで傷が付いたら直しようがない。気にする癖に何やってんだ。俺様が咄嗟の機転でフォークを死守したからいいものを。
むごむごホットケーキを咀嚼しながらルートヴィッヒを見ると、何つーか、非常に凶悪な顔をしていた。しかも俺が酷い目に遭う類のやつ。
「あー…ルートヴィッヒさん?」
「兄さん…」
フォークを咥えたまま喋ってもルートヴィッヒは何も言ってこない。いつもならだらしないだの危ないだの、親みたいに煩いのに。あああぁ寄ってくんな距離詰めんなそんな凶悪極まりない顔で!
そう叫びたいが、フォーク咥えてちゃ無理だ。フォークを放せばそう出来る。けどその間に俺は間違いなくこの悪魔に捕まるだろう。
何がスイッチになったのか丁重にお伺いを立てたい。それを繰り返していけばそのうち立派なマニュアルが出来上がる筈だ。そしてそのマニュアルに従えば、俺は不意のルートヴィッヒ来襲に遭わなくて済む訳である。ただこのプランにおける問題点は、俺自らが実験台にならなければいけないことだ。それさえなければ完璧なのにな。
元気に現実逃避をしている間にもルートヴィッヒは俺に迫っている。迫っている、というよりも、もう目の前にいた。椅子に座ったまま身動きが取れない俺を見下ろすルートヴィッヒの目は、実に邪なことを考えている様子だ。俺は獲物か、そうか幼気ない獲物なのか。
ずり、と椅子の足を擦らせて後退ると、がっと背凭れを掴まれた。ゆっくりと吊り上げられる口元にぞぞぞぞっと悪寒が走る。
あぁ神様、俺の可愛いルートヴィッヒを返してくれ!
「椅子を擦らすな。床に傷が付く」
「俺は床よりも自分にこれ以上傷を付けたくねぇんだよ! にじり寄るな押し倒そうとすんな背中痛ぇ!」
「そんな泣きそうな顔をされてもむらっとくるだけなんだが」
ずずずいっとルートヴィッヒが距離を詰める。いや体の距離はもう十分に詰まってる、正しく言えば顔の距離だ。
俺の至福のおやつタイムを汚すな!という罵声は聞き届けられないばかりか、当然のようにルートヴィッヒを煽っただけだった。
夜まで待てよ!
(もう本当に頼むから昼間っから盛るのは勘弁しろ)
(…ふむ、それは夜ならば何をしても言いと言うことだな?)
1周年企画リク/3秒だけ待つ続編