※唐突にパロ。奴隷×ご主人様です。これ以降の話。
「あー……今日もよく働いたぜー」
んんんー、と盛大に伸びをしながらそう言うのは俺の主その人である。
名前はギルベルト・バイルシュミット、歳は24。国内で1、2を争う商社を取り仕切っており、成り上がりではあるが貴族の末席に名を連ねている。そして付け加えておくなら、彼は正真正銘の変態だ。
今日も彼の身を包んでいるのは豪奢なドレスだった。紺碧のそれは色の白い肌によく映える。長袖で露出の少ないものであるのに、そこはかとない色香を感じるのは何故だろう。珍しく完璧に着飾られていないから、だろうか。
今日は外出も来客も予定になかった為に余分な装飾品は控えられていて、家紋が彫り込まれたシールリングが指に嵌っているのみである。ヘッドドレスもチョーカーも手袋もない。俺の眼前にはギルベルトの素に近い姿が晒されている。今更今日の主の無防備加減を意識して、喉がごくりと鳴った。
自分には音が随分と大きく聞こえたから気取られたかと思ったが、椅子に座るギルベルトにその様子はなかった。俺はホッとして少し息を吐く。安堵したこともあるが、何よりも疲労感が体を支配していた。
主人というものの一般的な態度を知らないものだから比較し難いが、ギルベルトというのは人使いが荒いように思う。俺は身の回りの世話から仕事の補佐に至るまで、ほぼ常に彼の側にいることを要求されている。今日も事務仕事を熟す彼の傍らで、ひたすら補佐と茶汲みと話相手である。こんな仕事は、本来は社の人間に任せるべきだろう。否否、彼が俺に指示することの8割以上が、本来ならば俺以外がするべきことだ。この人は俺を何の為に買い上げたのだか忘れているのではないのかと、時折本気で悩んでしまう。
俺とギルベルトの出会いというのは、最悪ではないにしろ悪い部類に入る方だった。何せ俺は奴隷商の売り物で、彼は買い手だったのだから。何故だか気に入られた俺は出会って速攻でギルベルトのものになった。そして気の遠くなるような数日間を経て、この関係は形成された。主人と奴隷──男に好き好んで体を開く女装趣味の変態と、求められればどこまでも従ってしまう無能な犬。
全くどうしようもなく眩暈がする話であるが、現実なのだから受け入れるより仕方がないのだろう。そう考えてから当初よりも抗おうという気持ちが大分萎えてしまっていることに愕然とする。いつの間に俺は諦めたのだ、あれ程屈するものかと思っていたものを。性根の部分まで捩じ曲げられてしまったのか、眉間に皺を寄せる俺の方を、不意にギルベルトが振り返った。
「ん? どうしたよルッツ」
疲れたか、そう笑う人は俺をルッツと呼ばわる。彼が愛称を使って呼ぶのは、囲い者の中では俺だけだ。同じく、彼を名前で呼ぶことを許されているのも俺だけだ。その特別扱いをギルベルトは気にしていない──寧ろ当然だと思っているような気配さえする──が、こちらとしては非常に気にして欲しかった。
俺以外の囲い者は一様に盲目なまでにギルベルトに惚れ込んでいて、それ故に個々の待遇の差には敏感だ。正面な部屋を与えられてからはそう顔を合わせるでもない彼らだが、その代わりに会った時の当たりは相当に強い。俺が何をしたとつい声を荒げたくなる程だ。そんなにも羨ましいのなら代わって欲しいと切実に思う。
俺が好きで気に入られたのだとでも、思っているのだろうか。俺がギルベルトに取り入ったとでも。そんなことをして俺に何のメリットがあるのだか。彼らには呆れを通り越して同情を禁じ得ない。何が彼らにギルベルトを崇拝させるのか、俺には理解不能だ。正常な判断能力を持っている者ならば、まずそんなことにはならないだろう。つまり彼らには正常な判断能力というものが欠けている。それが元からなのかギルベルトの手によるものなのかは、分からないながら。
俺もこれまでかなり価値観やら何やらを弄られて来たように思うが、彼ら程には墜ちなかった。それは良くも悪くもギルベルトに気に入られ、人間らしい生活に復帰出来たからである。俺は情事以外でも主に関わることを許されている。それが請われた時にだけ快楽を提供する為にいる彼らと俺の、決定的な差。
日によって目まぐるしく変わる外部からの刺激は俺に正気を保たせる。自律した思考を保持させる。だがそれが齎すのはいいことばかり、という訳でもない。いっそ他の奴らのように盲目的になれたならと思うことが、これまでになくもなかった。何せ俺の主人というのは、こちらの頭を痛くさせるようなことをするのが得意であるので。
ケセケセと無意味に喉を鳴らすギルベルトが、もっと近くに来いと俺を手招く。元々そう遠くもない位置から一歩踏み出した途端、伸びてきた腕に思い切り引き寄せられた。ドレス姿だというのに腕力は成人男性のそれなのだから、全く、詐欺に近い。誰がこんな細腕がこんな力を出せると思うだろう。既にその力を知っている俺でさえ、こうされると新鮮な驚きを覚えてしまう。
「そんな顔してんなよ、なぁ、ルーッツ。ムラムラするだろうが」
「っ、ギルベ…」
言葉の後半を紡ぐことは適わなかった。ギルベルトの顔が寄ってきたと思っていた瞬間、唇を塞がれてしまう。慎ましやかな婦人の格好をしている割、彼は非常に大胆だ。自分から舌を差し入れて、深くまで侵入させてくる。
それに応える形で口内をなぞれば、ギルベルトはぞくんと体を震わせた。俺を熱っぽく見つめる紅の瞳に見る間に欲情の炎が点る。潤むようなそれに、自分の浅ましい感情に火を点けられるのが分かる。止めてくれと言いたかったが、それは許されなかった。それはいつだって、許されはしない。
逃げないだろうと判断したか、首に絡み付いていた手が離れていく。それはするすると肩から腕へと降りて、俺の指を絡め取った。そうして深く口付けながら、胸元へと導かれる。
そこにはドレスのアクセントになっている編み上げのリボンがあった。解けばドレスを乱して肌を露出させることが出来る。なだらかな胸に手を押し付ける形で動きを止められて、俺は窺うようにギルベルトを見た。確かめる必要など更々ないとは、分かっていたのだが。
くふんと笑みを漏らした彼は、俺の舌に軽く歯を立てる。そのちりりとした痛みに眉を顰めた俺を、紅玉の瞳がじっと見つめている。視線を合わせると魂を絡め取られてしまいそうだ。そう思うのに、逸らしてしまうことは出来ない。何故ならそれは、彼が望まないことであるから。
ゆるりと手が、舌が離れる。俺は視線を外すことが出来ないまま、胸元から手を退かすことが出来ないまま、垂れた唾液を舐め取った。端から見れば挑発的にさえ見えただろうそれに、ギルベルトはくうっと口元を吊り上げた。妖艶な笑みが白い顔容を彩る。
「何を遠慮してる? 喰っちまっていいんだぜ」
「…Ja」
許可のように告げられる言葉は命令だ。決して拒むことを許されないそれ。俺は従順に顎を引いて、そっとリボンの端に手を掛ける。引き抜く音は微かだが、しかし静かな夕暮れ時の室内には大きく響く。朝自分が引き絞ったリボンを緩める毎に滑らかな肌が露出していくのは、何だか妙な気分だ。そしてどうしようもなく、劣情を掻き立てられもする。
思惑通りに動かされていることを自覚しながらも、俺は自分の行動を止めることが出来ない。それは命じられたからだけではなく、己も強く渇望していたからだった。ギルベルトがスイッチを入れれば、呼応するようにして俺にもスイッチが入る。いつの間にかそうなっていた。あんな美しい顔を見せられては、そう思う俺は自分で考えるよりもずっとこの人に毒されているのだろうか。残念ながら今は客観的な判断を持ち込む余裕がない。
編み上げを解いて肩を抜かせれば、いよいよ茜色の陽光の下に肌が晒される。そこに指を滑らせるとギルベルトは熱っぽい息を吐き、言外にもっとと強請ってきた。何も言われなくとも請われていることが分かる程度には、俺も飼い慣らされているらしい。
間違っても傷を付けてしまわないように、気を付けながら肌を弄る。やわりとした刺激にもどかしそうにしながらも、ギルベルトは先を急かしてはこなかった。何か考えがあるのだろうが、それを推測するは俺の仕事ではない。俺がすべきことは彼を悦ばせることだ。はしたない反応を返してくる体を上手く煽って、絶頂まで導く。それが俺の役割だ。
俺に好きにさせておく傍ら、ギルベルトは僅かに腰を浮かせて裾をたくし上げていた。隠されていた、繊細なレースに包まれた脚が目前に投げ出される。あからさまに喉を鳴らしてしまったのは、仕方のないことだったように思う。それはギルベルトに聞き届けられ、彼は笑みをより深くした。誰のどの表情と比べようと人の悪い顔だった。
気まずさに顔を伏せようとする俺の顎を細い指が捉える。そうして2度目の口付け。今度は俺の方が先に歯列を割って舌を差し入れて口内を犯す。そんな筈はないのに絡めて飲み込む唾液は甘かった。ここまで来ると末期だな、と心中で失笑する。そんな俺を見ているギルベルトの瞳は、もっと墜ちてしまえばいいと言っているように見えた。
素敵独普企画「We Love Potatoブラザーズ」様に提出させて頂きました。