ルートヴィッヒが俺を抱く手付きは大抵においてひどく、優しい。愛おしむように指先に肌を辿られ、沢山の口付けを降らされる。押し入ってくる剛直さえ甘い声を上げる助けにしかならない程だ。何度も名前を呼ばれて抱き締められるのは心地好い。
 だから俺はこの状態に甘んじている。逃げ出さない、逃げ出せないまま、ずっと。

「な、ルッツ…」
「どうした、兄さん?」

 事後の気怠い空気が流れる室内。俺はごろりと寝返りを打ち、声を上げた。
 意識を飛ばして幾分か経ってから目を覚ました時にルートヴィッヒがまだ部屋にいるのは、比較的珍しいことだ。今日は失神してる時間が短かったのかもしれない。
 激しい快楽の波間から放り出されて思考が冷静になってくると、俺の関心はすぐに自分の足首に向く。そこに嵌められているものに。冷たく重苦しい──足枷に。
 動く度にかしゃかしゃ煩い音を上げるそれにも、大分慣れてしまった。視界に入れて憂鬱な気分になることももう余りない。けれど疎ましく思うのは、相変わらずだった。
 こんなものがなくたって、俺はいなくなったりしないのに。お前の側から消えてしまったりしないのに。なぁ、ルートヴィッヒ。俺はとっくにお前に囚われちまってるんだ。だからこんな風にして繋いでおかなくたって、大丈夫なんだよ。
 ベッドに腰掛けて俺の寝顔を眺めていたらしいルートヴィッヒに向かって、俺はのたりと手を伸ばす。ぺたりと触れるのは厚い胸板、そこにかかった鉄十字。肌の熱さと金属の冷たさ、そのギャップに俺の指は僅かに震えた。

「足の、外してくんね?」

 口に出してそう言うのは初めてだ。
 柔らかい顔をしていたルートヴィッヒは、途端に表情を硬くした。俺はそれにぎくりとする。やっぱ言ったら、拙かった、かな。そうは思うけれど、1度口にしてしまったものはなかったことには出来ない。俺は内心びくびくしながら──態度にも少し出ていたかもしれない──ルートヴィッヒを見つめた。
 俺の言葉に固まった弟殿は、まだその動きを止めたままだ。瞬きさえする様子がないのがいっそ不気味である。真っ青と言うに過不足ない碧眼は、食い入るようにして俺を注視していた。その鬼気迫るまでの様子に、呼吸を奪われるような心地がする。
 早く怒るなり何なり反応をしてくれればいいのに、ルートヴィッヒは黙っている。ただただ黙って、俺を見ている。ルートヴィッヒの周りだけ時間が止まってしまったか、ゆっくりと流れているようで、その不自然さに落ち着きを失する自分がいる。
 どうして何も言わない、どうして何の反応もしない。疑問は口に出来ないまま、心の中に沈殿していく。
 凍り付いた空気にいい加減に息苦しくなってきた頃、ルートヴィッヒは漸く動きを見せた。ゆっくり、実にゆっくりと瞬きを1つ。それから吐かれる息は長く、諦念に満ちているようでさえあった。
 存外恐れたような心境ではないのかもしれない、そんな俺の安堵は、残念なことにすぐに打ち消された。

「兄さん……今の状態に何の不満があると言うんだ?」

 声はひたすらに抑揚がなく、無機質だった。だからこそ余計に、詰問されているように感じられた。
 否、事実それは詰問だったのだろう。
 ルートヴィッヒは全く疑っていないのだ。俺をここに閉じ込めていることが、正しいことだということを。
 明らかに間違っている認識を、だがルートヴィッヒは正しいと思っている。思っているというよりは寧ろ、信じ込んでいる。それが純粋にそうであるのか、自分自身に言い聞かせているのかは、俺の知り得ないところだ。
 だが確かに、ルートヴィッヒは俺を監禁しているこの状態に疑念を抱いていない。その状況下における俺のあの発言というのは──穏やかな水面に特大の岩を落としたようなものだったのだろう。水面には波紋が生まれるどころではなく、思い切り大きな波が立った。故にルートヴィッヒは動停止し、詰問をするに至っている。
 きちんと前置きをすべきだったかな、などと今更のように後悔の念が頭を過ぎる。後から悔いると言うだけあって、言ってしまった後でそう思っても何の意味もないのだが。

「強いて言うならこの枷が重くてしょうがないことくらいだぜ、俺はこん」
「ギルベルト」

 言っている最中にやけに重たい声で遮られた。ルートヴィッヒの目はやはり、怖いまでに俺を真っ直ぐに見つめている。その目に──歯にではなく目に、喰い殺されてしまいそうだと思う。
 不自然なまでに透き通った湖を見ているような、そこに引き込まれそうになるような、危うい感覚だ。ぞくりと背筋を泡立たせる俺に向かって、ルートヴィッヒは手を伸ばしてくる。
 次の瞬間、俺はベッドに押しつけられていた。荒々しい様子なんてどこにも見受けられなかったのに。ルートヴィッヒの手は酷く強い力で、俺の体を押さえ付けて放さない。
 俯せに寝ているから力を込められる毎に肺から空気が押し出される。窒息させるのが目的みたいなそれに俺は藻掻いた。でもルートヴィッヒはびくりともせず、当然に力も弱まらない。

「ル、ツ…ルッツ、」
「何が── 一体何が、不満だと言うんだ? 俺はこんなにも譲歩してやっているというのに。本当ならば全身拘束して俺以外にその姿を晒すこともその声を聞かすこともその目を向けることも何もかもを封じてしまいたいのに。ギル、ギルベルト、愛しい兄さん。貴方は何がそんなにも不満なんだ?」
「……ぁ…か…、くは…」
「答えてくれ、なぁ、ギルベルト。そもそも俺に応えてくれる貴方のその態度は演技で内心では俺を疎ましく思っているのか? それとも馬鹿な奴だとせせら笑っているのか? あぁギルベルト俺に見せるどこまでが貴方の本心なんだ貴方は人を欺くのが上手い人だから俺には判断がつかないよ。兄さん兄さん俺の俺だけの──」

 くらりくらり、視界はどんどん歪み始める。
 意識を飛ばしたら駄目だと思うのに、体力が回復しきっていない体は限界に近かった。ルートヴィッヒが何かを言っている、その声さえ遠のく。言葉の意味は半ばより前から理解出来ていなかった。
 俺はルートヴィッヒを愛してる。こんな枷がなくたって離れたりしないと断言出来る程に、愛している。けれどそれは正しくルートヴィッヒに伝わらず、結果、こんな事態を招いている。
 あぁルートヴィッヒ、お前は何がそんなに不安なのだろうな。捕まえておかなければ消えてしまうなんて、そんなこと有り得ないのに。俺がお前の前から消え失せてしまうなんて、そんなことをする筈がないのに。どうしたら俺はルートヴィッヒの不安を、この枷を、取り除くことが出来るのだろう。せめてこの気持ちが正しく届いたのなら、ルートヴィッヒも認識を改めてくれるのだろうか。
 ひゅく、空気を欲して喘ぐ喉が引き攣れて変な喘鳴を上げる。薄れていく意識の中、俺は必死でルートヴィッヒの方へ手を伸ばした。
 俺はちゃんとここにいる、口に出したかった言葉は、遂には音にならなかった。






1周年企画リク/枷なんていらない続編