俺様は気高き吸血鬼である。名前はギルベルト・バイルシュミット。
この穴蔵と言っても過言でない場所に住み始めてから数百年が経った。近くの街の奴らはこんな森の深くまで入ってこない。俺を襲うような不届きな野生動物は存在しない。俺の快適ライフは延々と続く──筈だった。
だってのに、あぁ、何だって俺は真夜中に柩から引き摺り出されてんだ。俺のいる岩室の深くまで太陽の光が差し込むことはない。だが今の時間が夜だってことは分かるし、力ももりもり減退中だ。頭がくらくらする。呼吸がどうしようもなく、荒い。
ぜぇ、とざらついた息を零す。俺の快適な眠りを妨げた奴に視線を向ける。そこにはぬらりと静かに、だが炯々と光る、碧い目があった。
ゾッとすると同時、全身に震えが走る。俺は上がりそうになる声を必死で抑えた。こいつの目的ってのはいつだって、俺を痛め付けて報復することだ。それ以外のことは考えちゃいない。声を抑え苦痛を押し殺すのは、そういう奴に対しては逆効果だ。だがせめてもの抵抗さえしないなど、どうして出来るだろう。
逃れようと身を捩ると、強い力で柩の底に敷いたマットレスに押さえ付けられる。外に伸ばしていた腕、丁度手首ががつんと柩の縁にぶつかった。痛みに呻くと、碧眼が歪な笑みの形に細まる。
くそ、変態め。ふざけるな。朝になったら絶対殺してやる。
そんな思いを込めて力の限り睨み付ける。果たして内容が伝わったか否か、首筋に思い切り歯を立てられた。ぶわりと抑えていたものが膨らむ。耐え切れなくなる。俺の喉は勝手に声を発していた。
「ぁ、あぁあああッ!
ひあっ、あ、あ、あー!」
それは紛れもなく、嬌声だった。
当たり前といえば当たり前だ。何故なら俺のアヌスには凶器じみたデカさのペニスが突っ込まれているからである。遠慮杓子なくがんがん奥を突かれて、ここまで声を我慢するのはなかなかの苦行だった。体はもう大分前から蟠る熱を吐き出したくて悲鳴を上げている。
俺のペニスに填められているのは、小さなリングだ。但し、銀製の。すぐさま肌を灼かれることはないものの、じわじわと痛みが伝わってくる。それよりも射精を塞き止められてるのが辛い。そっちの方が断然痛い。
だが銀に手を伸ばす気にはなれなかった。触れば痛いし、第一普通にしたんじゃ取れねぇし。この忌々しい輪を填められるのも外せるのも、俺を痛め付ける真っ最中の奴だけだ。
俺に伸し掛かってるクソ野郎は、名前をルートヴィッヒという。人の形を取っちゃいるが本性は数百年だか数千年だか生きているドラゴンで、ついでに俺の遣い魔である。遣い魔。遣い魔なんだが、なぁ。
力で捩じ伏せて無理矢理に契約を結んだのはいつのことだったか。今は遠い昔だ。昔過ぎてきっかけとかその辺りは忘れちまった。こんな無体な真似をされるようになったのも随分昔だ。こっちのきっかけも今じゃさっぱり忘却した。元々お堅くてキレやすい奴だったから、俺が言った冗談を本気にしたとかそんなとこだろう。
事の起こりはともかく、ルートヴィッヒは何かあるとその度に実力行使に出るようになった。憎らしい太陽が姿を消した昼間なら簡単に撥ね除けられるが、狙われるのは必ず夜中だ。柩の中に引っ込んでから。俺が抵抗出来ない時間帯をしっかり狙ってくる辺り、最悪な奴だと思う。それでもお前は遣い魔か。
余りに目に余ったから自衛の為に柩に鍵付けてみたりもしたんだが、見事に全滅した。ドラゴンの能力がどうのこうのと言う前に、単純に力が強いのだこのムキムキ馬鹿は。合金の錠前が紙屑同然ってどういうことだよ畜生。今日だって内側から厳重な三重ロックを掛けたってのに、敢えなく突破された。
宙を仰ぐ。俺の瞳はルートヴィッヒ、その端整な顔立ちを捉える。ドラゴンの顔立ちが男前かどうかなんて俺には分らないが、この顔を見る分にはいい方に分類されるんだと思われる。その整った顔の中、目だけがやたらギラギラしていた。ストイックな面差しに似合わない、獣の瞳。瞳孔かっ開いてんぞくそったれ。それに爪もぎちぎち食い込んでる。
「んぁあっ…ひ、ぁ…ッ!
も、やめ、やめろ…あぐ、ぅ!」
「……煩い」
思わず身震いするような低い声だった。柩の蓋をひっ剥してから初めて喋った言葉にしては愛想がなさ過ぎだろう。お前は俺を何だと思ってんだ。今この時は精々憂さ晴らしの相手でしかないんだろうな…はぁ。
ぐうっと奥まで突っ込まれるペニスに悲鳴に近い嬌声が漏れた。痛いし苦しいし気持ちいい要素なんてどこにもないのに感じてしまうのは、最早刷り込みだ。ガチガチの太いのを受け入れたら、ほんの僅かな快楽でさえも感じ取ってそれを全てにしてしまう。そういう風になった体。若しくはそういう風に、させられた。
興奮して人の形を保てなくなってきているのか、俺の腰を掴むのは手と言うより鋭い爪だ。肌も心なしかざらざらして、目を凝らせば鱗が見えそうである。息も何となく獣臭い。犬歯にしては凶悪過ぎる牙が俺を睥睨して、ぬらりと光る。
そのうち尻尾とか角とか出てきそうな勢いだなこりゃ。何でこんな興奮してんのこいつ。って、あ、クソ、デカくすんな。それ以上反り返らせんな馬鹿。
既にキツいアヌスの中で元気に育つペニスをへし折ってやりたくなる。というか俺にはその権利が十分にあると思う。日々俺を狙う凶器を被害者である俺が排除しちゃいけないって理由が見当たらねぇ。不穏な思考はすぐさま快楽に攫われていく。
脚をびくりと跳ねさせると、存外狭い柩の横板にぶつかった。割と派手な音がして、ルートヴィッヒがそちらにちらりと目を向ける。冷たい視線は空恐ろしいものを感じさせた。例えば脚をもぎ取られるんじゃないか、とか。
ルートヴィッヒの力からすればそれは十分に可能だ。そして俺様は、脚の1本や2本もがれたところで死にやしない。精々急激な失血で究極的に腹が空くくらいだ。
なんてことはルートヴィッヒもよく分かっている。分かっているということは、実行され兼ねないということだ。何せご機嫌斜めなルートヴィッヒはご主人様に手を上げるのを厭わない。寧ろ喜んでやる。そういう奴なのだこいつってのは。
鋭い爪を生やした、もう半分くらい爬虫類──っていうと怒るけど、ドラゴンって羽根生えたトカゲだろ?──になっている手が俺の太股を撫でる。デカい動脈が通っているところを選ぶのは、かなりわざとなんだろう。脅しのつもりか。それともぶち切る場所を見定めているのか。計り切れなくて少しばかり怖い。いや大分怖い。死ななくても痛みはあるんだ、そんでもって俺様は痛いのは嫌いだ。
僅かにそんな感情が視線に乗ったのだろうか、ルートヴィッヒは眉間の皺を緩くする。口元がくっと歪むのは、一般的に言えば笑ったからなんだろう。こいつのこの表情で笑ったって分かる奴いたら奇跡だな。精々悪魔の嘲笑くらいにしか見えねぇ。
ぎりぎりのところで意識を保ちながら、俺の思考はいつだってどこか冷静だ。他人事のようであるとさえ、思う。遣い魔に組み敷かれていいようにされてるのを傍観しているもう一人の自分がいる気になってくる。何つーのか、長生きするってのもいいことじゃないな。何事にも動じなくなるというか、無感動になるというか。こういうことがあったって本気では腹を立てることが出来なくて、結果ずるずると処分を引き伸ばしている。
はぁっ、と吐き出されるルートヴィッヒの息が熱い。それは興奮云々というよりは、単純に抑えが利かなくなってきているからなんだろう。普段はきちりと隠している本性、ドラゴンの吐息が漏れ出してきているのだ。ルートヴィッヒの吐く炎は、基本的に超高温だ。金属を軽く融解させる。微調整すればクーヘンを焼くのに適した温度にもなるんだが、基本的には超高温の方が吐き出される。つまり俺様炭化フラグだ。いや、跡形も残らねぇかも。
自分で最悪の想像をしておきながら、縁起でもないと思う。契約で縛られているから、流石にそんなご無体は出来ない筈だ。出来ない、よな?
先に言った通り俺は契約当時のことを明瞭に覚えていないから、どういう内容にしたんだかも当然に分らない。分らないから怖い。流石にこんな状態で最期を迎えるとか嫌過ぎるぜ。
冷や汗を浮かべる俺を一瞥し、ルートヴィッヒはぽふんと小さく煙を吐いた。パイプを燻らせるかのようなそれ、独特な臭いに俺は噎せる。けふけふ空咳をする度にその刺激が伝わるのだろう。アヌスの中でびくんとペニスが反応するのが分かる。あぁクソ、この変態遅漏野郎。
喘鳴を漏らす俺の喉に、鋭く尖った牙が当てられる。野菜やらを摂ることをまるで考えていない歯は総じて犬歯のようだ。肉を食い千切るのに無駄に適している。その中でも最も凶悪なのを喉笛に触れさせられて、俺はひゅっと喉を鳴らした。
「…暴れるな。このまま食い破ってやってもいいんだぞ」
「っけんな……テメェ、殺すっ…!」
「はっ」
やってみろとでも言うように喉を鳴らされる。俺が何も出来ないのを分かっているんだろう。何せ俺の遣い魔らしい遣い魔はこいつだけだ。そして俺は日常生活の大部分の雑務をルートヴィッヒに丸投げしている。つまりルートヴィッヒがいなくなると色々と困る。別に暮らしていけないことはないんだが、面倒臭くて無精しそうだ。
ぐっと口を噤むと、ルートヴィッヒの表情から微かに険が抜ける。それでも眼光は酷く鋭いままだ。弱っちい魔物ならそれだけで射殺せそうな視線。背筋がぞわぞわして、変な震えが体を駆け抜ける。思わず顔を背けると奥を突き上げられた。鋭い快楽が跳ねる。
どんな抵抗をしようと逃れられない。そうと知りながら俺は身を捩った。いっそ変身でもすればいいのかもしれないが、試してみたことはない。
だって体の中に異物がある状態だぞ。そんな時に変身したことなんてない。どうなるのか──若しくはどうもならないのか、全く分らないのだ。どうにかなってから慌てたんじゃ困る。だから俺はそんな無謀なことは試さない。
流石は俺様、よく考えてるぜ。ケセッと笑おうとしたら、そこを狙ったかのような突き上げがきた。喉が引き攣って、代わりに飛び出すのは甲高い声だ。まるで女みたいな、それ。
眉を顰める俺の表情に反比例してルートヴィッヒは口元を緩める。その男臭い顔容、勝ち誇ったような様子にイラッとくる。だが噛み付いてやろうと首を擡げるも、あっさりと体を引かれてしまった。獲物に到達出来なかった牙が空しく噛み合わさり、がちんと音を立てる。俺は小さく喉を鳴らした。ほとんど唸り声のそれが、ルートヴィッヒを余計に焚き付けると知りながら。
「懲りない奴だ」
「んあっ!
ひ、ぁ、あ、あ──っッ!!」
グラインドされる腰、最も弱い場所を強かに突かれて、俺はばつんと意識を飛ばした。
◆ ◇ ◆
俺の主は吸血鬼である。名前をギルベルト・バイルシュミットという。
正直なところ、とっととくたばれこのクソ野郎、というのが俺の心情だ。無理矢理遣い魔の契約を結ばせられて早数百年、どれだけうんざりする命令をされたことか。頭に来ることこの上ない。俺を何だと思っているんだ。そう問えば、答えはきっとげんなりするものなのだろう。遣い魔だと返ってくれば御の字、下手をすれば奴隷などと言うのではないかとさえ思う。そういう扱いをされているのだ、日々。
俺は魔物の中でも高等な部類に入るドラゴンの、その一匹だ。普段は主に倣って人型に変じているが、本性は全長5メートルを越す古龍である。何年生きているものか、自分でもいまいち分からない。それ程に長い年月を重ねている。一口にドラゴンと言っても色々なタイプがいるもので、例えば俺は火と金属の扱いに長けている。元々鉱物の多い高山に暮らしていたことが起因なのか逆なのかは、余り考えたことがない。
そんな俺が叩きのめされて従わざるを得ない状況に置かれた。それ程にギルベルトの力は強かった──出会った当時は。
当時とわざわざ言うのは、最近はその力が衰えているからである。吸血鬼であるギルベルトの主要な栄養源は、人間の血液だ。別に吸わなくても生きていることは可能らしいが、吸わないと魔的な力は消耗したまま回復しない。そしてギルベルトはここ数百年、血液を接種する頻度が落ちている。理由は至って簡単だ。吸いにいく気力と体力がないのだ。何故かと言えば、半分以上俺のせいである。
ある時、余りに理不尽な命令に耐え兼ねた俺は、ギルベルトの言うところの真夜中に彼を襲撃した。具体的にどうしたのかと言えば、柩の蓋を引っ剥がして首をへし折ってやろうとした。した、のだが。目論見は見事に失敗した。寝惚け眼で俺を見上げたギルベルトは余りにも、性的だった。
骨肉を裂こうとしていた爪は、その代わりに薄紙のような服を破り捨てた。彼が獲物にそうするように首に牙を立ててやると、ひっと喉が鳴った。紅はじっとりと熱を孕んでいて、俺は思いがけず岩の間に宝石を見付けたような気分になった。暴れる細い手足を封じ、噛み付いてこようとする牙を避け、体の最奥を暴く。俺の下で乱れ悶える姿態は、屈辱に塗れていながらも美しかった。そのらしくない顔をもっと見たいと思った。溺れるのは、簡単だった。
とはいえ、それ以来いつでもギルベルトが魅惑的に見えるかといえば答えは否だった。それよりも憎らしいやら鬱陶しいやらが先に立つ。それらが存分に体に溜め込まれ止どまっていられない頃になると、その凶暴な欲望は発露するのだ。
そうなればすることはただ一つ。夜になるのを待ち、柩に引っ込んだギルベルトを引き摺り出す。鍵を掛けてみたりと抵抗をされることもあったが、俺にとってはあってないような障害だった。詮のない抵抗、それは憎たらしいことこの上ない我が主殿が本気で嫌がっていることを意味する。その事実は俺をいとも簡単に煽り立てた。全く、堪らない。
そして今日も俺は柩の蓋を、ギルベルトの淫らな体を抉じ開ける。
無理矢理に侵入するアヌスは未だ狭く、俺を拒んでぎちぎちと締め上げてくる。だがそれさえもが欲望を増長させる起爆剤にしかならない。苦しそうな呼吸を無視して最奥を突き上げると、艶が混じった悲鳴が上がる。唾液が込み上げて、思わず滑らかな白い肌に滴らせそうになった。喉を鳴らして飲み込むと、それはギルベルトに聞き咎められる。顰められる眉、視線は零度だ。
意識を飛ばした後は大抵イきっ放しのような状態になって、乱れ善がることしか出来なくなるのだが。今日は僅かばかり、理性を残しているようだ。珍しいな。すぐに崩壊させてやる自信は、あるが。
「あ゛ひっ!
ひ、ぁっ、あああぁ!」
射精したそうにびくびくと跳ねるペニス、尿道口に俺は爪先を捩じ込む。背をのけ反らせ、ギルベルトは目を剥いた。口の端から唾液が伝って、柩に押し込まれたマットレスに染みを描いていく。こいつを引っこ抜いて新しいのを押し込むのは俺の役目なんだろうな、とぼんやり思った。ギルベルトがそんな労働をする訳がない。俺のせいで使い物にならなくなったマットレスを取り替えるなんてのは特に。
とすると、少し汚れるのも沢山汚れるのも同じか。俺が使うことになる労力は変わらない。そこまで考えて、俺は徐にギルベルトの腰を掴んだ。力を入れ過ぎると砕いてしまいそうな細さを感じながら、ぐるりと体をひっくり返す。
上がった声は甲高く、同時に戸惑ったものだった。アヌスがきゅんと収縮してキツく締め付けられる。俺は短く息を吐き、ギルベルトを後ろから抱くようにしてペニスに──そこに嵌まったリングに触れる。爪を軽く当てると、硬質だった金属はするりと熔解した。重力に従って俺の手の中で小さな銀の球になる。
戒めが外れると同時、ギルベルトは体をぶるりと震わせ吐精した。内壁が熱くうねって危うく持っていかれそうになる。目を眇めてその衝動に耐え、俺は息を吐く。抑えの利かない本性が滲み出して微かに炎が混じった。超高温のそれは緑だ。視界に光が入り込んだか、ギルベルトはぎくりと背を強張らせる。
いい加減なこいつのことだ、無理矢理結んだ契約の細かい内容など疾うに忘れてしまっているのだろう。細かいこと、といっても、ギルベルトの場合はそうも細かく定めてはいない。自分の命に拘わることなど、ほんの一言くらいしか言い寄越さなかった。当たり前だが命を狙うようなことはするな、とそれだけだ。それ、だけ。命を奪わないぎりぎりの行為を俺は許されている。例えばこの艶めかしい体の一部を、欠損させてしまうだとか。
いい加減にイラッときてそうしてやろうかと思ったことが何度もある。だが結局はいつも実行に移さずに終わっている。それは怖じ気付いたのでも後のことを面倒に思ったのでもなく。ただ単に──。
自覚しているばかりに鬱積が募る。何だってよりにもよってこいつなんだ。自分で自分が理解出来ない。全く、苛々する。
当たるべき対象が目の前で無抵抗状態にあるから、俺はもう少し無体を働くことにする。まだ絶頂感が治まっていないのを知りながら腰を叩き付ける。奥の壁を突けばギルベルトはがくがくと体を跳ねさせた。声にならない悲鳴が吐息と共に漏れる。じわりと汗の溜まる首裏に舌を這わせると、切なげな震えが走った。
「どうしようもないな…」
「あ、ああぁっ、うあ、ぁー!」
「俺も、お前も」
溜め息が口を突く。それは俺の心情の表れであり、同時に肉体の方の反応でもあった。拒絶するかのように締め付けてくるアヌスの心地好さに、絶頂が近い。
ぐっと腰を押し付ける。肩口に噛み付けばギルベルトは過剰な程に反応を寄越した。嫌だ止めろと言う割、ギルベルトにはマゾヒストの気がある。滅多に怪我など負わないせいなのか、少しの戯れに酷く敏感だ。
柔い肉に牙を食い込ませる。薄い皮膚の下、血管が脈打っているのが感じられた。食い千切ってしまいたいという欲求を宥め賺す。気付かない振りをする。そうして俺は、主の奥深くに欲を吐き出す。ゆるゆると小刻みに腰を動かし、残滓の一滴まで注いでやる。びくりびくりと痙攣する粘膜は白濁を飲み込んでいくようだった。
体の反応と同じくらいに性格が素直だったなら、こんな無体を働きたくもならないだろうにな。そんなことを思いながら萎えたペニスを引き抜く。腰に回していた手を外すと、ギルベルトはくたりとマットレスに沈み込んだ。泥のように深い眠りに落ちていて、朝まで起きない様子だ。呼吸は細いが規則正しい。
中途半端に飛び出した爪やら牙やらを引っ込めながら、俺はお座なりにギルベルトの服を整える。前に肌のまま柩の蓋も閉めずに放っておいたら風邪を引かれて面倒なことになったのだ。あんな苦労は一度で十分過ぎる。
そろそろ冷え込む時期だ、どこかに仕舞い込んだ毛布を引っ張り出す頃合かもしれない。体温の低いギルベルトは、自分で熱を作り出すことが不得手らしい。真冬に毛布もなしに寝させると大抵風邪を引く。軟弱な、と思う。だが吸血鬼は割に人間に近い種だ、仕方がない気がしなくもない。逆に魔物特有の病には懸かり難いのだからある意味で羨ましいものだ。
しかし今日のところはこのままでも平気だろう。ぴたりと蓋を閉じれば、柩の中は存外温かい。今は一時的に体温も上がっているから、冷めないうちに閉じてしまえばある程度暖かさが持続する筈だ。
俺は自分の衣服も整えてから、漸く柩から外に出た。適当に投げ捨てた蓋を拾い上げ、出来るだけ静かに閉じる。ずしりと重いそれはきっちりと柩に被さった。黒々しい細長い箱が洞窟の中にぽつんと横たわる構図になる。いつも通りだ。
違和感を感じないか──何か妙なものか侵入してきていないか確かめる。異常なし。この薄暗い穴の中には俺とギルベルトしかいない。
その結果に満足し、俺は足を踏み出す。入口の方へと向かって歩きながら、次第に変化を解いていく。勝手に出てきてしまった、要は中途半端な解放と自発的な解放はやはり違うものだ。後者の方が格段にすっきりしている。
ゆるりと尾を振ると大きな欠伸が口を突いた。主にとっては夜でも俺にとっては昼の筈なのだが、どうやら大分感化されてきているらしい。何百年も同じ生活リズムで過ごしていたらそうもなるか。僅かにヘコんでいる、長年の定位置に腰を下ろす。脚を畳んで尾を体に添わせれば、森の獣たちが眠るのと同じような格好になった。また欠伸が込み上げてくる。俺は外の陽の明るさに一瞬視線を向けてから、ゆっくりと目を閉じた。
◆ ◇ ◆
腰が痛い。尻が痛い。喉が痛い。
昏睡のような眠りから起きると、目覚めは実に最悪だった。閉じられた柩の中には生臭い臭気が充満している。新鮮な空気を取り入れようと思うが、変に酷使された体はなかなか言うことを聞いてくれなかった。いつも軽々持ち上げられる蓋が分厚い岩盤か何かに思えてくる。クソ、開かねぇ。
暫くがたがた格闘していると、漸く少しだけ蓋をずらすことが出来た。空いた隙間に手を突っ込み、擦らす要領で一気に蓋を横に落とす。重いそれはがたんと派手な音を立てた。
俺がここまで四苦八苦しなければいけないのは、柩に一人分のスペースしかないからだ。力を入れ易い体勢になどなれたもんじゃない。だが気に入っているから変えるという選択肢は皆無だ。
もう一つの原因は、当然あいつだ。あの野郎が夜中に襲い腐るのがいけない。お陰で体中痛くて堪らない。同じ目に合わせてやろうか畜生め。
恨み言をつらつら考えながら、俺はのたりと柩の外に両腕を出す。掌はすぐに冷たい岩の感触を捉えた。上半身を柩の縁に凭せ掛け、手を前の方に突く。渾身の力で体を手に引き付ける。それをちまちまと繰り返していく。
簡単に言えば匍匐前進、オプションに柩付きだ。腹が減り過ぎてて正面に立てないのは分かっている。これはそんな時にも動けるよう、長年の間に俺が編み出した秘策だ。流石俺様、頭よさ過ぎるぜ!
がたがた底板を鳴らしながら食事に行くべく出口を目指していると、不意に背後に何かの気配が出現した。そしていくら力を入れても柩が前に進まなくなる。俺はぎぎぎぎっと油が足りないブリキ人形のように首だけで背後を振り返った。そこにはルートヴィッヒがいる。足を柩の角に掛けて、俺の動きを止めている。本性がドラゴンであるから、柩に掛かる体重も当然にドラゴンのものだ。馬鹿程重い。疲れが溜まっている上に空腹な俺がその重さを振り払える訳もない。
「足退けろふざけるな馬鹿遣い魔一回死んでこい畜生」
枯れた喉で悪態を吐く。言葉というよりは低い唸り声のようだったが、ルートヴィッヒは聞き取れたらしい。微かに肩を竦めて、足を浮かせた。昼間のうちは結構言うこと聞くんだよな、こいつ。そう思いながら俺は微々たる前進を再開しようとし──体が宙に浮いた。
おいおい待て、どうなってんだ。脚をばたつかせてみるが床が遠くて届きそうにもない。前にも横にも動けない。つーことは、だな。
またも首だけ動かして後ろを見ると、やはりルートヴィッヒがドラゴンの姿に立ち返っていた。俺はその鉤爪に摘まれて宙に浮いているのだ。ぷらーんと。まるで捕獲された獲物のように。何か実に情けない感じの格好で。
「何をしてやがるんだてめぇは…っ!」
「動けないのなら連れていってやろうかと」
「こんな格好でかよ?!
激しく遠慮する!」
言い様、俺はくるりと姿を変えた。恥ずかしいにも程がある。あんな状態で運ばれるくらいなら自分で飛んだ方が何倍もマシだ。と、思った、の、だが。しかし。
格好いいことこの上ない蝙蝠になる筈だった俺は、何故だか掌サイズの可愛らしい蝙蝠になっていた。おい、どういうことだこれ。サイズが違うぞ明らかに。
何回か変身し直してみるのだが、一向にサイズは変わらない。寧ろ魔力が徒に減って疲れるだけだった。何だよ、こんなとこにまで空腹とか諸々の影響が出てきてんのかよ。俺様の格好よさが半減じゃねぇか。
ちぇー、と唇を尖らせてぱたぱた羽を動かす。無意識にルートヴィッヒの顔の周りを旋回していると、尻尾で思いっ切りぶっ叩かれた。代わりになる遣い魔見付かったら即刻首にしてやる、この野郎!
Happy Halloween!!