「新年、ですねぇ」

 炬燵に入ってテレビを眺めていた菊は、緑茶を啜って呟いた。膝に乗っているぽちくんがウトウトと船を漕いでいる。このままぼぅっとテレビを見ているのもいいのだが、近くの神社に初詣でに行ってみようか。最近は年が明けてすぐに詣でることをしなくなっている。それもいいかもしれない、内心で呟いて菊はそろそろとぽちくんを膝から下ろした。
 炬燵はそのままで大丈夫だろうか。多少火事が心配だが、消していくとぽちくんが寒いかもしれない。そんなことを考えながら、着ていた半纏から腕を抜く。そのままで人前に出るのは流石に気が引ける。あぁでもこのまま出ていったら寒いだろうな。上に何か羽織らないと。
 家の鍵を片手に、菊は居間から自分の部屋へ向かおうとする。と、炬燵の上に置いていた携帯の着信メロディが控え目に鳴った。メールではなく電話の着信を告げる音色だ。誰だろう、と不思議に思いながら菊は携帯を手にする。ディスプレイも確認せずに通話ボタンを押した。

「もしもし?」
「、アーサーだが」

 少し言葉に詰まったような気配の後、電波に乗って届いてきたのは聞き慣れた声。かの大英帝国──アーサー・カークランドのものだ。菊は我知らず頬を緩める。新年早々に聞いた声が恋人のものであることが何となく嬉しい。
 もしかして時間を見計らって掛けてくれたのだろうか。アーサーのところは時差からして、まだ午後一時になったところの筈だ。

「明けましておめでとう御座います。そちらはまだですが」

 機嫌よく話ながら菊は再び足を自室へと向ける。ぽちくんを起こさないように極力足音を殺して。
 少しの間の後、いや、と躊躇いがちな声が答えた。菊ははて、と首を傾げる。いつ英国は場所が変わったのだろう。いくら島国だとはいえ、大西洋から太平洋に移動するのは無理だと思うのだが。
 混乱して変な方向に飛び始めた菊の思考をアーサーの声が遮った。

「その、今、日本にいるんだ」
「え?」

 片手仕事でハンガーから外していたコートがバサリと床に落ちる。それを拾い上げるのも忘れて、菊は暫し呆然とした。
 今、日本にいる? アーサーが?
 確かに昔に比べたら随分と渡航時間が短縮されたけれど、それでも彼の国からここに来るにはかなりの時間が掛かる。そしてアーサーは大晦日にも拘わらず、仕事が山積みなのだと嘆いていた筈。去年最後の電話で聞いたのだから間違えない。今年はそっちに行くのが2日になっちまいそうだ、と少し残念そうな声で言っていたのを覚えている。
 だというのに、何故今日本にいるのだ、アーサーは。

「あの、」
「仕事が早く片付いて」

 というか、早く会いたくて、片付けた。
 ボソボソと不明瞭な声がそう続ける。菊は今度は携帯を取り落としそうになった。あぁもう、このツンデレの恋人は。こんなところでデレるなんて、前触れがないにも程がある。
 沈黙に気不味くなったのか、アーサーが言い訳をしようとする気配。しかしそれは意外なものに阻止された。寒風が吹き抜ける音が聞こえたかと思った瞬間の、小さなくしゃみの音。
 今日は相当冷え込んでいる。どこにいるのかは知らないが、相当寒いだろう。

「どこにいらっしゃるんですか? 今、」
「お前ん家に着いた」

 それが真実だということを裏付けるように玄関のチャイムが鳴る。菊はハッとしてコートを拾い、ぱたぱたと軽い足音をさせて玄関に向かった。鍵を外すのがもどかしい。もたつきながら漸く扉を開くと、そこにはスーツをすんなりと着こなしたアーサーの姿。
 よう、と手を上げてツンデレの恋人がはにかんで笑う。つられて笑みを零し、菊はアーサーを家の中に招き入れた。手に持ったコートが目に止まったらしく、どこかに行くのかと尋ねられる。初詣でに行こうかと、と答えれば、アーサーはくるりと踵を返した。

「アーサーさん?」
「行くんだろ、初詣で」

 久し振りに俺も行く。
 そう言われて、菊はアーサーと最後に初詣でに行ったのはいつだろうと思い出す。大分前だったような。記憶が確かでないことから考えると、もしや大戦前?

「早く来いよ……菊」

 照れて滅多に呼んでくれない名前に、菊は弾かれたように現実に回帰する。いそいそと鍵を閉めて、門のところで待っているアーサーの隣に並んだ。
 そうすると彼は先に歩き出してしまうのだけれど、コートのポケットから出ている片手が何を意味しているのか、菊にはちゃんと分かっていた。小走りになって追い付くと、アーサーは紳士らしく歩調を緩めてくれる。菊は微笑んで、彼なりに差し出してくれている手にそっと己の手を重ねた。






謹賀新年
(今年も貴方と並んで歩ける、そんな幸せ)