アーサー・カークランド、という名の彼、大英帝国その人は、とても紳士だ。いつだってきっちりとした服を着ていて、仕草も洗練されていて。優雅なフランシスさんとはまた違う意味で、私はアーサーさんに憬れていた。
同盟を組んでからたまに私の家に訪ねてきてくれるようになったが、その時は必ず手土産と言って何かもってきてくれる。彼お手製のスコーンには流石の私も舌を巻いたが、気遣いは単純に嬉しかった。遠い遠い距離を気にせずやってきてくれるのも、最初は気兼ねしたものだったが、彼が気にするなと言うので最近は慣れてきた。天気のいい日は縁側に隣り合ってお茶を飲みながら談笑する、そんな時間が密かに楽しみになっている程だ。
彼が話す欧州のことというのは、国の発展云々を差し置いてもとても興味を引くものだったから。彼の方も私の話す日本のことは新鮮だったようで、少年のように興味津々に聞いてくれた。その様がいつもとは大分違うものだから、私は驚かされると共に可愛い人だと思った。思った、し、確かに彼に好意を寄せていた、けれど。
何だこれ。何なんだ、これ。
「本田、」
目の前には多少緊張した面持ちのアーサーさん。あぁ駄目だ、頭が上手く回らない。一から考え直してみよう。
予め到着する時間を聞いていたから、私はその時間まで忙しなく用意をしていた。それはたとえば夕食の食材の買い足しだったり、客間の準備だったり、色々だ。予定より少し早い時間にきっちり全部支度を終えて、私はポチ君と居間で寛いでいた。否、いつもの調子でアーサーさんが玄関の戸を叩くのを待っていた。
彼はこれもいつも通りに、聞いていた時間より数分遅れて到着した。私は出迎えて、コートを衣紋掛けに掛けて、居間に招き入れて。お茶とお茶菓子を持って居間に戻って、いつも通りにお喋りを始めた。そう、これまでの流れはそんな感じの筈だ。その筈、だのに。
何だってアーサーさんはそんな顔をしているのだろう。会話の中には、こんな緊迫するような空気になる言葉は、含まれていなかった。ように、私は思う。知らず知らずのうちに、気に触るようなことを言ってしまっていたのだろうか。だとしたら早く謝らなければ。
言葉を紡ごうと口を動かすけれど、意に反して舌は上手く動いてくれない。だってアーサーさんが、そんな顔を、する、から。どうしよう。私は、どうしたら。
これまでにこんなに静かに慌てたことはないだろう。一人もやもやぐるぐると思考を巡らせる私を見据えて、アーサーさんがもう一度声を上げる。
「…本田」
真向かいから見つめてくるその綺麗な萌葱の瞳に、私は射竦められる。何も言えなくなってしまう。しっかりと相手の目を捉えて話すのが苦手なのはいつものことながら、彼から滲み出す感情に圧倒されて。
あぁ、こんな時はどうやってやり過ごせばいいんだったか。空気を読むことや本音を隠して受け答えることは、他国にも認められている私の特技である筈なのに。アーサーさんに対しては、どうにもきちんと対応出来ないようだ。
それは私が、他の人には抱いていない感情を、彼に対しては抱いているから、だろうか。染み付いた生来の癖のようなものを歪ませる程の、感情。それはたとえば。名付けるのならば、そう。
「お前が好きだ…って言ったら、迷惑、か?」
「アーサー、さん」
余りに突飛な言葉に固まる私に、アーサーさんは手を伸ばしてくる。卓袱台の縁に掛けていた指に彼の指が重なって、少し、ほんの少しだけ、絡められる。単純な好意じゃない、そういう意味で好きだ、と彼は補足のように付け加える。繋いだみたいになった指から体温が伝わってきて、私はいよいよ本格的に混乱してしまう。
こんなことになるようなきっかけも、今までの会話には含まれていなかったと思う。思う、思うけれど。現実にこうなってしまっていて、彼の言葉は疑問系で、ということは私は答えなければならない訳で。絡まった毛糸のようにごちゃごちゃと収拾がつかない脳内を引っ掻き回し、どうにか言葉を探す。
こんな時、何て言えばいいんだったろう。こんな時、どんな反応をすればいいんだったろう。
相手が他の人だったなら、きっと上手く出来た。内心でどう思っていようと、ちゃんと対処出来た。でも相手はアーサーさんで。今私の手を取っているのは、アーサーさん、で。
途端にどうしたらいいか分からなくなってしまう。言うべき言葉はいつまで経っても見付からない。だから私は、自分の気持ちを表現する為に、手を動かした。緩く、本当に緩く絡められている指に、自分から力を込める。アーサーさんの方へ伸ばして、ちゃんと、深く、絡める。
知らない間に落としていた視線を上げると、アーサーさんは少し驚いたような顔でこちらを見ていた。それから、破顔。私はその表情に心臓を打ち抜かれて、ぼふんっ、と思いっ切り赤面した。
相変わらず言葉は何も出てこない。それなのにもにゅもにゅと動いてしまう口元を、必死で着物の袂で隠す。けれど絡めた指だけは、ずっと、そのままだった。
この手を離さないで
(言い表せない気持ちを、どうか受け取って下さい)
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