「今日、帰りたくないな…」

 フランシスがそう答えたのは、アントーニョが帰らなくてもいいのかと問うた時だった。
 例によってギルベルトも入れて3人で呑んだ日の夜のことである。時刻は疾うに深夜と呼ばれる頃だ。ギルベルトはほろ酔いになったところを見計らったかのようにルートヴィッヒが迎えにきて、二人で仲良く帰っていった。
 アントーニョは酒瓶を一ヶ所に纏めていた手を止め、フランシスに視線を向ける。彼はソファの上でクッションと一緒に膝を抱えていた。半ばクッションに顔をつけているから、その表情を窺うことは出来ない。

「何かあったん?」

 呑んでいる時は至って普段通りだったのに。アントーニョは内心で首を捻りながらまた片付けに戻る。
 暫く沈黙が続く。その間にアントーニョが思い至ったのは、フランシスの恋人のことだった。あぁ、また彼と喧嘩でもしたんだろうか。でもそれは日常茶飯事の筈だ。フランシスはとっくにやり過ごす術を身に付けていて、深刻に悩むような事態になるのはそうないのに。

「俺さ、別れたんだよね…アーサーと」

 ポツリと呟くように言われた言葉に、アントーニョの手から瓶が滑り落ちる。それは床に当たってゴトン、と鈍い音を立てた。
 今、フランシスは何と言った? アーサーと別れた? 喧嘩する程仲がいい、そんな諺を体現しているような二人だったのに?
 フランシスは特に慰めを欲していないらしく、ぽつりぽつりと言葉を繋いでいく。最初はいつもの喧嘩だった。けれど何故か今回は感情の対立がデッドヒートしてしまった。気付けば隔たりは埋められない程に深くなっていて。別れる、そう宣告されたのがつい、3日前。

「ほら、アーサーの残してった物色々あるからさ、」

 帰り辛くて、と萎れ切った声が言う。
 きっとフランシスのことだから、アーサーを感じさせる物を見る度に胸を痛めるのだろう。かと言って、彼は思い出の詰まった物をそうすぐには捨てられないのだ。全く面倒な性格だと思う。そんなところが好きなのだが。
 アントーニョは落とした瓶を拾い上げようと手を伸ばす。と、背中にそっと体重が掛かった。ふわりと甘い香りが鼻を擽る。
 誰なのか、などと考えるのは余りにも馬鹿げていた。フランシス以外に誰がいると言うのだろう。

「、フランシス」
「……ねぇ、」

 アントーニョが漸く上げた声をフランシスがゆったりと遮る。肩に回された彼の腕は微かに震えている。
 駄目だ。その先を聞いてはいけない。言わせてはいけない。
 そう思うのに、制止の声を上げることが出来ない。腕を振りほどくことが出来ない。頼むからその先を言わないで欲しい。その願いは叶わない。
 フランシスが浅く息を吸う。

「アントーニョ、俺のこと慰めて?」

 そっと耳に注ぎ込まれた囁きに、アントーニョは諦念と共に瞑目した。






その声はまるで魔性
(聞いてしまえば逃れることなど、)