休憩時間が終わりに近付き、各々が会議室に戻っていく。
 フランシスはバルコニーからその様子を眺めていたが、空になった紙コップを手に室内に戻ることにした。アントーニョは一足早く、ロヴィーノに何事か言われて室内に戻っている。仲がよくて羨ましいことだ。
 そんなことを考えると、自分とアーサーの仲の悪さ加減を思い出してまた気分が憂鬱になる。付き合う前から、彼との仲はとても良好とは言えなかった。それは歴史に裏打ちされたものであったが、個人としての関係も大して良好ではなかったように思う。余りに性状が違うが故だろう。
 けれど確かに自分はアーサーを愛しているし、アーサーだってあの時までは控え目にでも応えてくれていた。恋人としての仲なら、まだしも良好だった方なのだ、多分。人並みに喧嘩をしたりはあったけれど。

「あーもう、止め止め」

 ドツボに嵌まりそうになる思考をすんでの所で引き止める。自販機の側にあるゴミ箱に紙コップを放り込んで、フランシスは会議室に戻った。



 会議の後半の議題は──きちんと定められたものがあった筈である。が、参加者のほとんどの関心は、主に議長国殿に向いていた。先程から近くの者同士でひそひそと会話が交わされている。
 原因はアーサーの主に、目元。ついさっきまで泣いていました、と言わんばかりに赤く染まっている粘膜だった。
 フランシスは資料の陰からその様子を眺めて、小さく嘆息する。一体何があったのか知らないが、あんな状態で人前に立つとは珍しい。いつも私的に何があろうとも、それを外に出さずにポーカーフェースを決め込む癖に。
 そこまで考えて──悪戯心が出たのは、完全にいつもの癖だった。思考が追い付くよりも早く、口は言葉を紡いでしまう。

「情けない顔しちゃって。想い人にでもフられたの、坊ちゃん?」

 言ってから、言ってしまってから、フランシスは自分のしでかしたことに青褪めた。周囲は当然アーサーが反撃するものだと思って、事態を見守っている。菊だけは物凄い視線でフランシスを見つめていた。事情を知っているのだろう。お兄さんだってやらかしたと思ってるんだよ──フランシスは心中で必死に弁解する。
 いつまで経っても反撃の怒声は上がらない。アーサーは俯いて卓上に置いた資料に視線を落としている。訝しげな空気が流れ始めた頃、各席に備え付けられているマイクは微かな声を拾った。否、それは、ごくごく小さな嗚咽だった。
 どよめきが室内に広がっていく。

「あのー………アーサー、さん…?」

 フランシスは控え目に声を掛ける。
 キッと睨み付けるように顔を上げたアーサーは、見事と言うより他にないくらいに、瞳から半透明の滴を溢れさせていた。雨に濡れたエメラルドのようなそれは綺麗で、酷く扇情的だ。
 ではなくて。愛しいなぁ、などとしみじみ感じている場合である筈がなくて。
 薄く開かれたアーサーの唇が震える。そこから飛び出した声は、とても怒声とは呼べない類のものだった。

「……るせぇ、よ…っ…ばかぁっ」

 最後だけはやけに明瞭に吐き捨てて、アーサーは会議室の扉に向かって駆け出す。物凄い勢いでそれを押し開けたかと思うと、どこへ向かうつもりなのか飛び出していってしまう。フランシスは声を掛けた状態のまま固まっていた。周りは一体何がどうなっているのか理解不能らしく──当然だが──ぽかんとしていた。
 そんな中、菊だけが憎悪に近い眼差しをフランシスに向けている。声を出さずに、口の動きだけで示される簡単な言葉。「お・え」、つまり、「追え」。
 末代まで祟られそうな雰囲気にがくがくと頷いて、フランシスは席を蹴った。






我ながら馬鹿なことをしたものだ
(あぁどうか泣かないで、どうしたらいいか分からなくなる)