朝からずっと体が重い。近頃そんな状態が慢性的になってきた気がする。
抱かれようと抱かれまいと、おちおち寝れやしない。だから朝起きても疲労が取れていない。眠いし、酷く疲れていた。
足を引き摺るようにしてギルベルトは歩く。ここ暫く自転車に触ってさえいなかった。こんな体でペダルを漕ぐよりも、歩いた方が余程速い。早く家に帰ってベッドに潜り込んでしまいたいけれど、ルートヴィッヒはそれを許してくれないだろう。それでも帰らない訳にはいかない。帰らなかったら後が怖い、から。
ギルベルトは目を伏せて小さく溜め息を吐く。
「よぉ」
と、行く手に数人の男が現われた。それぞれ学ランを着ているが、どこをどう見ても柄が悪いようにしか見えない。掛けられた声が余りにも気さくだったから、ギルベルトは首を傾げた。こんな奴知り合いにいただろうか。というか道を塞がないで欲しい。早く帰って寝てしまいたいのだから。
「あの時はよくもやってくれたな」
どこぞの悪役のようにリーダー格らしき男が言う。
だから誰だよ。あの時っていつだ。
全く記憶にないギルベルトは、苛立ちを募らせるばかりだ。体調がよくないこともそれに拍車を掛けていた。
あぁ体が重い。気が沈む。苛々、する。
ギルベルトは立ち止まることなく歩いていく。道を塞いでいる男達の一歩手前で、彼は漸く止まった。
「……退けよ」
口から吐き出されるのは地を這うような低い声。見るからに険悪な表情のギルベルトに、男の一人が軽薄な口笛を吹く。
煩い。黙れ。退けっていってんだろ、クソが。
ゆらりとギルベルトは右手を振り上げた。男の頬にクリーンヒットする筈のそれは、しかし寸前で止められる。ギリ、と手首を折りそうな力で握られた。
──痛い。
「随分弱ってんじゃねぇか」
好都合だと言うような口調だった。どこの誰かは未だに分からない。せめて名乗るくらいしろよ、とギルベルトは内心で毒突く。名前を聞いても十中八九思い出せないだろうが。
歯噛みするギルベルトを男達が嘲笑う。振るわれる拳。口の中に鉄の味が広がった。殴られた拍子に切ったらしい。
あぁ鬱陶しい。もうどうとでも好きにすればいい。
ギルベルトが投げやり気味にそう思った時。
「…何やられっぱなしになってるん、ギル」
珍しく真面目なアントーニョの声が耳に届いた。
視線を上げれば部活で走り込みでもしていたのだろう、ユニフォーム姿のアントーニョがそこにいた。怒ってるな、と殺気立った表情を見てギルベルトはぼんやりと思う。いつもへらへらと脳天気な表情の彼は、それとのギャップで悲しんでいたり怒っていたりするのが分かりやすい。
直情的で自分を偽ることをしないアントーニョの性格がギルベルトは嫌いではなかった。だからつるんでいるのだ。空気の読めなさ具合にたまにイラッとくるが。けれどそれは脳天気なアントーニョの特徴で、怒っている彼にそれは当て嵌まらない。
「ギルに喧嘩売ったってことは…覚悟は出来てんのやんなぁ?」
そう言ったか否か、アントーニョの近くにいた男が塀に激突した。
無造作な蹴り。スパイクを履いているから相当痛いだろうなぁ、なんて他人事のギルベルトは考える。それから喧嘩とも言えない一方的な暴力は暫く続いて、ふと気付いたように止んだ。頬に飛んだ返り血を拭いながらアントーニョが寄ってくる。
地面に座り込んで一部始終を眺めていたギルベルトは、まだ不機嫌顔のアントーニョに苦笑を向けた。
「何で抵抗せぇへんの」
ギルなら楽勝やろ、と彼は続ける。アントーニョがギルベルトを呼び捨てにするのは怒っている時だけだ。まだ怒りは治まり切らないらしい。ギルベルトは問いには答えずに、意識を失って無残に転がっている男達を見遣る。
「お前また出停くらうぞ」
「もう引退してん、関係ないわ」
そう言われてみればそうだ。三年生にとっての最後の大会はもう終わっている。
差し出された手に掴まって立ち上がりながら、ギルベルトは礼を言う。一人なら今頃アスファルトの上で寝ているのは自分の方だ。手当てしたる、とアントーニョに引かれた手を振り解くことは、出来なかった。
波乱の予感
(お前のいる家に帰りたく、なくて)