霞む、何もかもが。輪郭がぶれて歪んで消えていく。
 もうどれ程になるか、ずっと虚無と現実の境を彷徨っている。目が覚めれば悪夢を見、眠りに落ちれば幸せな日常に還元される。
 気が狂ってしまいそうだ。否否、もう狂っているのかもしれない。目覚めているのに、網膜は確かに夢を映す。夢──白昼夢にして、悪夢。酷く残酷で、哀しい、夢。

「ル、ツ…」

 己の漏らした声に、ギルベルトはびくりと体を震わせた。
 掠れて張りのない声。それは丸きり他人のもののような感触を伴って耳に届く。自分の声を録音したテープを聞いているような。若しくは全く知らない人間の映像を見せられて、これが本来のお前であると言われるような。そんな感覚だ。
 何が起こっているのか理解出来ない。自分の輪郭さえもが曖昧になっていく。否否、受け入れたくないだけだ。信じたくないだけ。現実を直視したくない。見ないで、誰も。こんな姿を──たとえ自分であっても。
 ギルベルトはのたりと目を瞬かせ、室内に視線を巡らせる。けれどそれは上辺を滑っていくだけで、焦点が合うことはない。はぁ、小さな溜め息が口を突いた。閉じ込められている訳ではない。それでも確かに、閉じ込められている。二律背信の事実はじわじわと心を侵していく。
 逃げたい逃げたいこのまま夢の中にいたい。体から完全に切り離された二つの精神が、勝手に論争を続けている。脳内にキンキンと喧しく響くその声さえ正面に聞く気になれない。
 自分は何をしているのだろう。自分は何をしたいのだろう。
 分からない、分からない。
 ゆるゆると首を振ると、お座なりに着ているシャツの襟に擦れた肌が酷く痛んだ。そろりと手を這わす。そこは腫れて、熱を帯びていた。
 どうしてこんな風に、疑問に思って──次の瞬間、ギルベルトはその思考を掻き消す。
 それは無意識の行為だった。思い出したくない記憶を脳は反射的に自らの奥深くへと押し込めたのだ。
 あれは白昼夢、そして悪夢だ。思い出さなくていい思い出したくない思い出せない。
 それでいい、それで。現実を直視するのが辛いのなら、違う世界に逃げ込んでしまえばいい。そこが現実なのだと信じ込んで、現実を夢だと思えばいい。そうしたら心の中に閉じ込めておける。あんなものは一時の夢、目を開いたら消えてしまうのだと、思うことが出来る。

「俺は、」

 ただ、そう続けようとした声は、しかしそれ以上紡がれずに終わる。
 ギルベルトの耳に届いたのは階段が僅かに軋む音。誰かが二階へ、この部屋へやってこようとしている。それを察し、ギルベルトは身を固くする。ここに来る人間など、ただ一人しかいない。
 あぁまた眠りに引き摺り込まれるのだ。まだ眠く、ないのに。諦念にも似た感情と共に、ギルベルトは小さく息を吐き出した。






鮮明過ぎる白昼夢
(夢だ、こんなのは何もかも、夢)