部屋の扉を開けると、ギルベルトは朝と変わらずそこにいた。
 紅い瞳は酷く空ろだ。彼はその目でぼうっと虚空を見つめている。紅には光がなかった。かといって、闇もない。ただただ無機質に無気力に、上質なルビーのようなそれは現実ではないどこかを見つめている。

「ただいま、兄さん」

 返答がないことを承知でルートヴィッヒは声を掛ける。
 ギルベルトが目を瞬かせるが、声に反応したのではないのだろう。その証拠に彼の表情は変化していない。声が届いているかも、正直なところ怪しいくらいだ。
 最近のギルベルトは滅多に反応を返してこなくなった。引き籠もっている、自分の殻に。けれど大人しく家にいてくれるのは嬉しいことだ。
 それに──それに、そんな彼の反応を無理矢理に引き摺り出すのは、何とも堪らない。不意に現実を捉えてしまった瞳が怯えて揺れ惑う様は、他の何よりも扇情的だった。それが自分のみを映していることが、余計にルートヴィッヒの気を高ぶらせた。
 ルートヴィッヒはそっとギルベルトの頬に触れる。そこはうっすらと痣の痕を残している。いつだったか、手を上げた時のものが消えきっていないのだ。
 顔を上げさせるとギルベルトは素直に従う。硝子玉のような瞳が見つめてくる──空ろに、けれど真っ直ぐと。

「大人しくしていたようだな」
「、ぁ」

 言いながらやんわりと肩を押す。所在なくベッドに腰掛けていたギルベルトは、力を掛けられるままに背をシーツにつけた。
 微かに瞳に覗いた感情の揺れ。けれど、彼はまだ「無表情」というに相応しい顔をしたままだ。
 ネクタイのノットに指を掛けながら、ルートヴィッヒはギルベルトに伸し掛かる。唇を合わせると感情の揺れ幅が広くなる。けれど──あぁ、まだだ。まだ、足りない。

「兄さん、」

 耳元に囁き掛けると、ギルベルトはふるりと睫毛を震わせる。泣き腫らした目を縁取る、長い銀。それは直に涙をたっぷりと吸って、如何にも重そうな様相を呈するのだろう。纏り付いた水分に艶めく銀は、まるで水晶か何かのように美しい。その奥に座す血色のルビーは尚のことだ。
 早くその様が見たい、そうしてやりたい、と気が逸る。ルートヴィッヒはその欲求を宥めながら、そっとギルベルトのシャツの襟に手を掛ける。
 露わになる肌には痛々しい痕が無数についている。それは所有──否、占有の証。彼の、愛しい愛しい兄の全てを手に入れたことの、証。
 ルートヴィッヒは慣れた所作で細い首に指を絡めた。指先に少しずつ力を込めていく。

「………っ…、」

 ギルベルトが唇を噛み、上がり掛けた声を押し殺す。最早習慣になっていると言ってもいいそれに、未だ慣れないらしい。じわじわと気道を狭められるのに慣れろ、というのはかなり無理な話ではあるが。
 涙が浮き始めた瞳を覗き込みながら、ルートヴィッヒは極めて穏やかに声を上げる。

「兄さんは、誰のものだ?」
「は……、ぁっ…」

 ギルベルトの唇は返答を紡ぐ為ではなく、酸素を確保しようとして戦慄いた。指が力なくシーツを掻いている。自分の首を締めている腕や手に爪を立てない辺りが、何ともいじらしい。抵抗しても無駄なのだと分かっているから、だろうか。
 力を緩めてやると、ギルベルトはけほけほと噎せる。兄さん、促すように囁くと、彼は知ってか知らずか目を空ろにさせた。浮かんでいた感情が内に鳴りを潜めていく。

「俺は…ルッツ、の……」

 呟くように押し出された言葉に、ルートヴィッヒは満足げに目を細めた。






香しき背信
(その目が声が全てが、俺の感覚を狂わせていく)