テーブルの上でウェッジウッドの中の紅茶が冷めていく。その様をぼぅっと眺めながら、アントーニョは深い息を吐き出した。
 フランシスは貸しの返済その1として学園までそれぞれの鞄を取りにいっているから不在。アーサーはギルベルトにあれこれ世話を焼いているので、これまた不在。そんな訳でアントーニョは広い家の中で一人でいることを余儀なくされていた。何か手伝おうにも他人の家では勝手が分からない。
 それにしても広い家だ。旧家だか何だか知らないが、実に掃除が大変そうな面積がある。使用人が何人もいるらしいから家人には何の影響もないだろうが。
 何度も訪れたことがあるフランシスの家も大概広い。しかし、それを上回るのではないだろうか。そんな暇潰しの思考遊戯に勤しんでいると、微かな音を立てて部屋の扉が開かれた。両手に四人分の鞄を抱えたフランシスが入ってくる。

「お疲れさん」
「暇してるなら一緒にきてくれてもいいじゃない」

 ソファからひらひらと手を振ると、フランシスが尤もな突っ込みをしてくる。確かにそうすれば暇ではなかったろう。けれど。

「俺の借りやないもん」

 ということなのである。
 貸しだ、と言われたのはあくまでフランシスだ。アーサーは言及しなかったから、そこには恐らくアントーニョは含まれていない。そのことに安堵する。
 アーサーは歴代稀に見る人気の高い生徒会長だったらしいが、アントーニョにとっては人使いの荒いフランシスの幼馴染みでしかない。毛足の長い絨毯の上に鞄を投げ出して、フランシスが隣に腰を下ろす。そして冷め切った紅茶に口を付ける。

「あー…」

 一口飲んでから気の抜けた声を出すフランシスにアントーニョは視線を向ける。彼は疲れた風であったが、それは決して借りを返す為の行為によるものではないだろう。ギルベルトがああも憔悴したことが堪えているに違いなかった。
 勿論アントーニョとてそれを憂いていない訳ではない。しかし、人がいい分フランシスの方が重く感じるのは必然だ。面倒事を嫌う癖に、一度関わったら最後まで付き合ってしまうのが彼である。何度も辛酸を舐めながらそれでも止められないのだから、生まれ持った性質というのは厄介なことこの上ない。

「ギルちゃん、暫くは休みやんなぁ」
「そりゃな」

 学園に行けば必然的にルートヴィッヒと接触してしまう。今のギルベルトの精神状態では一瞬の邂逅にも耐えられないだろう。だから熱りが冷めて関係が正常になる気配がするまで、学園には行かないのが懸命だ。しかし暫く、と言っていながら、アントーニョはあるいはそれが永遠であるだろうことを分かっている。フランシスとてそうだろう。
 ルートヴィッヒは非常に理知的な判断をする男だ。どうしてこんなことになったのか分からないのは、彼がギルベルトに対して親愛の情以外を見せなかったからである。本心は端正な顔の下に押し隠された。そんな態度をいつからか守り続けていた彼が本心を晒すに至ったのには、それ相応の理由があるに違いない。それが何かは知れないが、じっと内に秘めてきた感情というのは一度爆発してしまえば収まりが利かなくなる。
 ルートヴィッヒがその状態になったからには最早、関係を元に戻すのは不可能だ。無理矢理に修復しても、絶対にどこかで歪みが生まれてしまう。

「気ぃ滅入るわ…」

 仲のよかった兄弟。彼らの間に生まれてしまった亀裂は、為す術もなく広がっていく。それを埋められるかもしれないものは、唯一。
 けれど望みは薄過ぎる。アントーニョの呟きはこの時の誰しもの心境を代弁していた。






部外関係者の憂鬱
(事件を終わらせられるのは実際、事件を始めた者だけなのだ)