「ごめんごめん、待った?」
「めっちゃ待ったわー」
長引きに長引いたホームルームに苛立ちながら慌てて校門に向かうと、アントーニョは壁に背を預けてそこにいた。手には水滴のついた炭酸飲料の缶を持っている。
いっそ清々しいくらいの笑顔で答えられて、フランシスは一気に脱力する。そこは嘘でも「今来たところ」とか言っておくものだろう。そういうところが実にアントーニョらしいというか何というか。
フランシスは気を取り直して、普段とは逆方向に足を向けた。凭れていた壁から体を起こし、アントーニョが隣に並んでくる。
フランシスは短いながら電車通学。アントーニョは目と鼻の先の下宿から徒歩通学。そんな二人の移動手段は当然徒歩、ということになる。ギルベルトの家までの距離を歩くのは少しばかり骨が折れる。だが、その辺りの苦労は本人に愚痴ってやればいいだろう。会えるなら、だが。
嫌な予感がザワザワと心を陰らせる。フランシスはそれに気付かない振りをする為に、無理矢理明るい声を作って言葉を紡ぐ。
「ギルちゃん爆睡してるだけだったりしてね」
「そんなんやったら今度何か奢ってもらわんとな」
心配させた罰や、そう言うアントーニョの声も明るい。
けれどやはり、それは作られたものだ。寝込んでいて連絡が取れない、爆睡しているだけ、そう信じたい。そう信じている。しかし信じていたらそれがいずれ真実になる訳ではないのだ。願望は決して真実になってなどくれない。なり得る筈がない。
だから二人は真実を確かめる為、彼の家へ向かうのだ。無事であることを、何事も起きていないのだということを、本人から確認したくて。心の奥底で、絶対に何かあったのだと確信していても。否、だからこそ。
「さっきな、」
声のトーンを落としたアントーニョが、ぽつりと呟くように言う。フランシスは伏せがちにしていた視線を上げて、それを隣へ向けた。自分から話し出したに拘らず、アントーニョはなかなか先を言おうとしない。軽い所作で先を促すと、彼は言い淀む気配を見せつつも言葉を継ぐ。
「ルートヴィッヒが俺の目の前通ってったんやけど」
「っ…そ、う」
軽く相槌を打とうとして、フランシスはそれを盛大に失敗した。
授業が終われば誰だって帰る。当然のことだ。問題はルートヴィッヒが家にいるとなると、ギルベルトに会える確率が一気に下がるということだった。
ギルベルトが床に伏しているなら、あの弟は決して会わせたりはしないだろう。元より二人が家にやってくるのにいい顔をしなかった彼のことだ。何かあったなら尚更、家に上げるような真似はしまい。
「何で今日に限ってあんな長引くかな…」
遠目に目指す家が見えてきたのを確認しながら、フランシスは溜め息を吐く。基本的にいい担任なのだが、たまに物凄く話が長引くのが玉に瑕だ。喋るならせめて昨日か明日にして欲しかった。ルートヴィッヒがいると思うと非常に気が重いではないか。
フランシスはポケットから携帯を取り出し、フラップを開く。不在着信も新着メールも入ってはいない。ギルベルトからの連絡はない。
ルートヴィッヒが家にいる。ギルベルトは、一体どこにいるのだろう。思えば、彼が家にいるという保証は皆無だ。他に思い付かなかったから家だろう、ということになっただけであって、それ以外がないとは決して言えない。無駄足の可能性がある。ルートヴィッヒに会って現実を突き付けられなくない余り、フランシスの思考は何とか逃げ道を作ろうとする。
しかしその間も勤勉に足を動かしていたお蔭──この場合はせいと言った方がいいかもしれない──で、バイルシュミット兄弟の家の前に辿り着いてしまった。
深刻な表情でフランシスはインターホンを見つめる。その時間、僅かコンマ3秒。するりと脇から伸びた指が、何の躊躇いもなくインターホンを押した。指の主は言わずもがなアントーニョである。
「ちょ、お前…!」
「何?」
悪びれる様子もなく、悪いと思っていないのだから当然だが、アントーニョが首を傾げる。
フランシスは盛大に溜め息を吐いた。まだ心の準備や、心の準備、主に心の準備が全くもって出来ていないのに。けれどまぁ、押してしまったのだからしょうがないだろう。時間を巻き戻してアントーニョを止める、などということは天地が逆転しても不可能なのだ。
二人はそれぞれに違う心持ちで暫く待ったが、静寂が返ってくるばかり。応答の気配はどこを探してもなかった。もう一度インターホンを押そうとする、ともすれば連打しようとするアントーニョを、今度は止められた。フランシスは内心で安堵しながら、ゆっくりと首を振る。
「一回で返事がなきゃ、応える気はないよ。アイツはそういう奴だ」
期待と懐疑そして隠匿
(真実は常に冷酷だから、目を、逸らしてしまう)