意識を飛ばしてしまったギルベルトの寝顔は酷く青褪めて、生気がない。微かに寝息が聞こえていなければ死んでいるのでは、と思ってしまいそうだ。つい先程までその体温を間近で感じていたというのに。
ルートヴィッヒは深い眠りの中にいるギルベルトの頬を優しく撫でる。そこには痛々しい痕が残っていた。己がつけたものだ。
ギルベルトへの愛が薄れた訳ではない。寧ろそれは日に日に強くなる一方だ。そして募りゆく想いは堰を破壊し、彼をここに閉じ込めた。誰にも会わせたくない。その顔を、声を、視線を、何もかもを自分意外には向けて欲しくない。
愛しいから──愛しくて愛しくて、どうしようもないから。醜い、狂気じみた独占欲だと分かっている。けれど、ああ、どうしても。
ルートヴィッヒは細く寝息を立てるギルベルトを見つめ、目を細める。こうして隣に横たわるのはとても久し振りなことだった。一緒に寝たのなど精々小学生の低学年くらいまでだ。無理矢理体を繋げても同じベッドで眠ることは滅多にしなかった。それに、珍しく眠った時は隣にいても、ふと気が付くとギルベルトがベッドから抜け出していることが多かった。
怖かったのだ、とルートヴィッヒは思う。自分も、ギルベルトも。何が、なのかは分からないけれど、確かに。怖かった。
ルートヴィッヒは柔らかな銀糸に指を絡める。
「兄さん」
呼び掛けるが、ギルベルトはぴくりとも動かない。死んだように眠り続けている。
そのことを慎重に確かめてから、ルートヴィッヒは上半身を起こした。ギルベルトに多い被さるようにして、そっと顔を近付ける。滑らかに縮まる唇の距離。
触れそうになったそれは、しかし直前で無粋な電子音に阻害された。誰かがインターホンを鳴らしたのだ。ルートヴィッヒは眉を顰め、倒していっていた体を元に戻す。ベッドの下に落ちているスラックスに足を突っ込んで窓辺に寄り、カーテンを細く開く。ギルベルトの部屋は丁度玄関の上にある為、窓からは門前に立った来訪者の姿を見ることが出来る。
見下ろした先には2つの人影があった。アントーニョと、フランシス。ギルベルトが学校に現れず、かつ連絡もないから心配したのだろう。つるんでいる時の言動は割り切った薄情な部分もある割に、あの2人というのは妙なところで世話焼きの心配屋だ。
全く、面倒な。
ルートヴィッヒはすぐにカーテンを閉め、無視を決め込むことにする。
関わりたくない。関わられたくない。彼らは奪い取ってしまうだろうから、ギルベルトを自分から。
「ん……」
カーテンの隙間から入った夕日が眩しかったのだろうか、微かに声を漏らしたギルベルトが寝返りを打った。窓に外方を向く形になり、自然、ルートヴィッヒからはその顔が窺えなくなる。
その時、だった。ふぅと空気が緩む気配。ギルベルトの口からくすりと零れたのは──微笑。
ルートヴィッヒは目を見張った。この頃彼の笑顔など欠片も見ていない。だがしかし、顔は見えなかったものの、ギルベルトは確かに笑ったのだ。余程楽しい夢でも見ているのだろうか。現実が余りにも辛過ぎる、から?
ルートヴィッヒは我知らずギリ、と歯噛みする。違う。悲しませるつもりでも、苦しませるつもりでも、なかった。ただ──愛して、いるのだ。ギルベルトという一個人を、同時に兄である彼を。だからこうするより他には。
──本当に?
閉鎖した思考に差し込まれる自らの疑念の声を、ルートヴィッヒは聞こえぬ振りをする。こうするより他にはなかった。暗示のように一文字一文字を刻み付ける。
何も間違ってなどいない。何も。
寝顔の見える位置まで移動すると、顔色は先程より幾らかはよくなったようだった。口元に笑みの名残が浮かんでいる。ベッドの脇に膝をつき、ルートヴィッヒはそこに顔を寄せる。唇が触れたのは、眉間。
擽ったさから逃げるようにギルベルトが小さく身を捩る。くふ、と小さく微笑が漏れる。彼はどんな夢を見ているのだろうか。そこに、自分は存在しているのだろうか。
「せめて、夢の中だけは幸せに…」
口の中で呟いて、ルートヴィッヒはもう一度優しく口付けを落とす。
ギルベルト。愛しい愛しい人。
大丈夫。大丈夫だ。間違っている。何もかも、間違っている。
純情と狂気の狭間
(間違ってなどいない、愛している、だから、間違っている)