ルートヴィッヒと離れてもう一週間になる。
 学園には行かないでいるから、考える時間は無駄にあった。思い出すのは最後に囁かれた言葉ばかりだ。
 ──兄さん。
 呼び掛け以上の意味を持たない筈のその言葉が、やけに心に引っ掛かっている。どうしてあんな声で、あんな調子で、呼ぶのだろう。それではまるで、まるで。
 ギルベルトは窓辺から庭を眺めて小さく溜め息を吐く。たまに訪ねてくるフランシスとアントーニョ、家の住人であるアーサーを除けば、接する人間はごく限られた。それはギルベルトを安堵させたが、同時に不安にもさせる。このまま元の生活に戻れない気がして、それが、怖い。

「……ルッツ、」

 フランシスの、アーサーの金髪を見る度に、脳裏に蘇るのはルートヴィッヒの姿。目の中に入れても痛くない程に可愛い弟の姿。けれどそれは、自分を凌辱した彼のものに相違なかった。幼い頃の、自分の腕にすっぽりと収まってしまうようなものではない。ギルベルトにとって、ルートヴィッヒは今も昔も変わらず弟だ。たとえ自分より逞しくなったとて、認識は変わらない。その筈、だった。
 しかし少しずつ、変わり始めているような気がするのだ。あの声を聞いた時の胸の震えは、決して畏怖からくるものではなかった。寧ろそれは同調しているようでさえあって。酷く、胸の奥が苦しくなった。未だにその感覚は心に絡み付いて、離れることを知らない。
 ルートヴィッヒが一体何を思いながらあの言葉を紡いだのか、ギルベルトにはいまいち分からない。それでもそれは確かに、ギルベルトの心を揺り動かした。

「ルートヴィッヒ…」

 ギルベルトは己が身を掻き抱く。怖い。漠然とした恐怖が全身を支配していた。
 ルートヴィッヒに会って話し合いたいと思うのに、もう一方で絶対に会いたくないと思っている自分もいる。彼に会うのが怖いのか、彼と話し合ってその本心を知るのが怖いのか。判断がつかない。どちらでもあるのかもしれないし、どちらでもないのかもしれない。曖昧でもどかしくて、考えることを放棄してしまいたくなる。
 一週間という日数はギルベルトに考える時間を十分に与えたが、結論を導き出すにはまだ時間が掛かりそうだった。体調の面でもそれは言える。睡眠をきっちりと摂れるようになったというのに、気力は一向に回復しないままだ。ルートヴィッヒに、弟に虐げられたことが、未だに堪えているのだろう。もう大丈夫なつもりでいると、ふとした時に感情が制御出来なくなる。取り乱してしまうことも少なくない。
 あぁ胸が、苦しい。自分は一体どうしたいのだろう、とギルベルトはぼんやりと考える。
 こうしていつまでもアーサーの厄介になっている訳にもいかない。いずれは出ていかなければ。けれど、頼れる親類はルートヴィッヒを措いていないのだ。帰る場所は一つしかない。それなのに、その場所はまだ怖かった。
 気が急けば急く程、どうしたらいいのか分からなくなる。知らず、己を抱いた指に力が籠る。ギルベルトは窓にこつりと額を当てて、目を閉じた。






揺れ惑う心
(会いたい、会いたくない、考えるのはお前のことばかり)