「な、に…してんだよ!」

 そんな声と共に飛び込んできた人影に、フランシスはすんでのところで手を止める。
 微かに息を上げたギルベルトがルートヴィッヒとの間に立ちはだかったからだ。紅い瞳が怒りを込めて見上げてくる。
 フランシスは胸に湧き上がった複雑な感情に顔を歪めた。あぁ、どうしてここでそういうことをするんだろう、ギルベルトは。きっと無意識のことなのだ。だから手に負えない。

「やっぱり、」

 フランシスはそっと溜め息を吐く。ギルベルトの表情から見て取れるのは、恐怖でも苦痛でもなく、自分に対する怒りだけだ。それはルートヴィッヒの兄である彼として当然の反応。
 けれど、ギルベルトはルートヴィッヒによって傷付けられたのだ。被害者が加害者を庇うなんて、そんなのは矛盾し過ぎている。それなのに何の疑いもなくギルベルトがルートヴィッヒを庇えるのは、彼のことを心から愛しているからだろう。それが弟としてのルートヴィッヒへのものでも。

「お前はそういう風に立ちはだかるんだな」
「ふぁ?」

 フランシスは呟くように言う。ギルベルトが訳が分からない、と言った風に気の抜けた声を出した。
 彼はルートヴィッヒに背を向けている。無防備な背中を何の躊躇いもなく晒している。あれだけ苦しめられたのに。ルートヴィッヒではない人間に触れられるのを怯えることさえあるのに。それなのにどうしてそんな風に。そんな風に、ルートヴィッヒを庇えるのだろう。弟として愛していたって、一朝一夕で許せるような行為ではない筈だ。

「ルッツ、」

 フランシスから視線を外したギルベルトが、心配そうに弟の顔を覗き込む。
 ルートヴィッヒはどうしていいか分からないとでも言うように、ギルベルトから視線を逸らした。後ろめたくはあるらしい。何の迷いもなく兄として振る舞われて困っているようにも見える。
 ギルベルトがルートヴィッヒの袖を引き、来た道を戻り始める。ルートヴィッヒは大人しくされるままになっていた。それは一見だけなら元のままの兄弟関係に見える。鷹揚な兄と、真面目な弟。
 しかしそこには確かに以前とは違う歪みが生じているのだ。ギルベルトもルートヴィッヒも、全く同じようには兄と弟に戻れないだろう。本人たちが心の底からそれを望んだとしても。

「いいのか、好きにさせて」
「何かあったら殴り込む」

 アーサーの問いにフランシスは即答した。この期に及んでそんなことをするようなら、うっかり殴り殺してしまいそうだ。あぁけれど、やはりギルベルトは先程のようにルートヴィッヒを庇うのだろうか。自分が唯一無二の家族、兄であるから。
 フランシスは深く溜め息を吐く。
 ギルベルトとルートヴィッヒの関係は、他の兄弟のそれより他人には理解し難い。皆無という訳ではないらしいが、彼らに困った時にすぐ頼よることが出来る親類はないという。その為か兄弟間の結び付きが固く、二人は何かにつけては互いのことを心配する。今となっては遊んでいる印象が強いギルベルトではあるが、中学生時分は全くその気がなかったらしい。羽目を外し始めたのは弟が目を離しても特段心配ではなくなってからだとか。
 何て健気な俺様、と酒を呷りながらギルベルトが漏らしたのを昨日のことのように覚えている。その彼の表情は、弟が立派に育ったことを喜びつつも少しばかり寂しく思っているように、フランシスには見えた。

「ハッピーエンドなんて来るんだか…」

 友達としてはギルベルトに笑っていて欲しい。傷付いて苦しんで、涙など流さないで欲しい。ルートヴィッヒがそれを妨げるというならば、全力で排除することさえ辞さないつもりだ。しかしその行為は脅威を遠ざけるのと同時に、ギルベルトを傷付けるだろう。彼からすれば何があっても、ルートヴィッヒは大切な弟なのだ。そのことは先程の、恐らく反射的な行動であろうそれからも見て取れる。
 幸せを願って取る行動がギルベルトを傷付けるなら、それは果たして正しい対処なのだろうか。それで彼の平穏が保障されるなら、そのくらいの被害は見過ごすべきなのだろうか。分からない。何が正しいことなのか、フランシスには分からない。そもそも正誤などあるのだろうか。第三者から見た最良の選択は、当人にとっても最良の選択たり得るのだろうか。
 ぐるぐると取り留めのない思考が頭の中を巡る。答えは出ない。ただ確かなのは、結局のところ結論を出すのは当人たちだということだ。そこに他人の意見が入り込む余地はない。
 フランシスは二人の姿が消えた辺りを見つめて、ふっと眉を曇らせた。






所詮は無力
(それならせめて画面の前の視聴者でいたかった!)