アントーニョの視線が痛い。一体何だというんだ。ギルベルトは自分を注視する視線から逃れようと、僅かに鉄柵に凭れている体の位置をずらす。するとアントーニョの視線が追ってくる。
 もうこの流れを3回程繰り返していた。いい加減に鬱陶しくなってきて、ギルベルトは口を開く。

「さっきから何なんだよお前は」
「んー…何か変やなぁ…」

 何かが違う、と言いながらアントーニョの視線が上から下に動く。いつも昼ご飯を食べている屋上の片隅に着いたかと思ったらこれだ。観察する眼差しが気になって食べ始められやしない。フランシスは前の授業が移動教室なのか長引いているのか、まだ来ていないし。誰かこいつに空気を読むスキルをやってくれ。高額で売り付けるんでもいい。そんな風に思っていると、視界の隅で金色が煌めいた。
 あぁ漸く来たか、と呑気に考えられたのは一瞬。

「上までボタン留めてるなんて珍しいな」

 とか言いながら腰にスルリと腕を回されたのだ。ぞわりと嫌な感覚が背筋を舐める。気付けばギルベルトは反射的に腕を思い切り後ろに振って、フランシスの鳩尾に肘をめり込ませていた。息を詰めたフランシスがズルズルと床にへたり込む。振り向けば僅かに涙目になっていた。
 手加減し損ねたかな、とギルベルトは目を逸らす。いきなりセクハラをしてくるフランシスが悪いのだ。反射的にやったことだから自分は悪くない、多分。うんうん、と勝手に納得して、ギルベルトは購買で買ったパンを取り出した。

「ちょ、ギル、お兄さんに対して酷くない?」
「当然の反射だバァカ」

 謝罪の言葉一つもないギルベルトに、フランシスが抗議の声を上げる。ギルベルトはパンの袋を開けながら中指を立てて答えた。いつもと変わらないやり取りだ。ただ、微かな違和感。アントーニョの茶茶が入ってきていないのだ、と気付いたのは一瞬後だった。

「何で留めてんのん? ボタン」

 視線を向ければ興味津々といった様子で、アントーニョが自分のシャツのボタンを示して問うてくる。そのボタンは上からよりも下から数えた方が早いところまで開けられていて、下に着ているTシャツが丸見えだ。いっそTシャツだけ着ればいいのに、と思ってしまうような様相。流石にやり過ぎだ。服装検査に引っ掛かる常連であるだけのことはある。
 対してギルベルトは中にTシャツを仕込む趣味がないから、第二ボタン辺りまで開けている。のだが、今日はぴっちりと一番上までボタンを留めていた。因みに気分でそうしたのではない。

「お前らのせいだろうが」

 ギロリとギルベルトは二人を、特にフランシスの方を睨んだ。いつも通りにボタンを開けるとつけられた痕が見えてしまうのだ。その言葉にアントーニョはたった今気付いたかのような大袈裟な反応をする。フランシスがくる前に鬱陶しかったのもそれか、とギルベルトは合点がいった。
 確かに自分がボタンをきっちり留めているのは珍しい。衣替えで長袖着用になったとはいえ、まだ十分に暑いのだ。それに今までならわざとらしく隠したりはしなかった。いつも開いているボタンが急に閉じられたら、何かあったと言っているようなものだ。特にギルベルトは改心の類をするタイプではない。だが今回は隠さずにはいられなかったのだ。ボタンを外していて一番に見えるのが、ルートヴィッヒのつけた、痕だから。それが何かの烙印な気がしてならなくて、ギルベルトは隠さずにはいられなかった。

「ならタイまでしてた方が決まると思うけどな」

 どこにあるの、お兄さんが締めてあげる。
 人の格好を弄るのが好きなフランシスが言い、アントーニョが勝手に人の鞄を漁る。適当に放り込んだだけのネクタイはすぐに見付かってしまった。遠慮しとく、なんて言う暇はなかった。アントーニョからネクタイを受け取った手が、ギルベルトに向かって伸びてくる。ネクタイを掴む、手。
 ──全く、どうしようもないな。
 脳裏に声が響いて、ざぁ、と頭から血が引いた。ギルベルトは衝動的に伸びてくる腕を払い除ける。視界がグラグラした。気持ち、悪い。

「、……っ、」
「おい、ギル?!」

 込み上げてくる吐き気に耐え切れなくて、ギルベルトはその場から逃げ出した。動揺した声に答えることなんて、出来なかった。






嘲笑うフラッシュバック
(あんな現実は忘れてしまいたいのに、)