その日、ルートヴィッヒは彼にしては珍しく落ち着きがなかった。というのも土曜日以来、彼の最愛の兄に会っていないからだ。彼は余程ショックだったのか──ショックを受けるなという方が無理だが──部屋から出てこようとしなかった。一応何か口にしているようではあったが、今朝も起きてくる気配はなかった。
 自分が原因を作ったことは分かっている。あの時自制すれば、こんなことにはならなかったろう。またいつも通りの一週間が始まった筈だ。けれど、いくらルートヴィッヒが我慢強いとはいえ、限界は存在するのだ。あんな風に無防備なギルベルトを目にして、欲望を押さえ付け続けることなど出来ない。ルートヴィッヒはその程度には、彼を愛していた。

「ただいま」

 答えがないのを知りつつ、ルートヴィッヒはそう言いながら玄関を開ける。てっきり今日はサボったのだろうと思っていたが、ギルベルトは登校していたらしい。朝とは明らかに違う状態の靴がルートヴィッヒにそれを教えた。脱ぎ捨てられた革靴。
 その様子がどこかいつもと違うような気がして、ルートヴィッヒは首を傾げる。具合が悪いのだろうか。ならば無理をして登校しなければいいのに。ギルベルトの靴をきっちりと揃えてから、ルートヴィッヒは自分の靴をその隣に並べた。鞄を置くよりも制服から着替えるよりも早く、足は自然に兄の部屋に向かう。
 ルートヴィッヒは努めて平静に扉をノックした。返事はない。

「兄さん?」

 控え目に声を掛けてもやはり返事はない。あるのは応答でも拒否でもなく、ただ静寂だった。ルートヴィッヒはその様子を訝る。常ならばたとえ壮絶な喧嘩の真っ最中でも、何かしらの反応があるのだ。ギルベルトが返事をしないのは、大抵。
 少しだけ躊躇した後、ルートヴィッヒはそろそろと扉を押し開けた。瞬間的に目に飛び込んできたのは、ベッドに突っ伏したギルベルトの姿。思わず声を上げそうになったが、すんでのところで思い止どまる。息を殺して近付けば、微かに寝息が聞こえてきた。ルートヴィッヒはそのことに安堵する。

「兄さん」

 深い眠りの中にいるらしく、呼び声に応じる気配はない。規則正しい浅い寝息だけが続いていく。
 ルートヴィッヒはそっとギルベルトの頬に指で触れる。僅かに湿った感触。一人泣いていたのだろうか。ルートヴィッヒは目を伏せる。
 自分の想いがきっと彼を傷付けるだろうと、そう分かっていた。だから何かにつけて疼く気持ちから目を逸らして、弟であろうとした。近しい血縁者であるからこそ得られる無償の愛。それで満足していた筈だった。けれど本当は、心の底では、それ以上を望んでいた。しかしそれは決して得られない。彼との血縁が、それを邪魔するのだ。彼が兄であるばかりに、想いを伝えることが出来ない。愛を囁けない。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、ルートヴィッヒにはいまいち分からない。
 兄と弟という関係が変わることは生涯ない。だがそれでは、ギルベルトを手に入れることも一生出来ないのだ。あぁ何という矛盾。運命の悪戯をこれ程までに憎んだことはない。大切な兄と最愛の人が一緒だなんて。それでも。

「愛しているんだ」

 涙の跡を撫でながら、ルートヴィッヒは告げる。拒まれるであろう告白。だから決して、ギルベルトの意識があるうちには言わない。今この時だけは、特別だ。

「兄さん…ギルベルト…俺は貴方を愛してる」






決して告げない本心
(貴方の拒絶、それが俺には怖いのだ)