敢えて改稿なしで載せたので、久住と馨の苦心の跡と臨場感をお楽しみ下さい(笑)
煙草を口から離し、少しばかり秋めいてきた風に紫煙を吐き出す。アーサーは路肩に停めたパトカーに凭れ掛かって、ぼんやりと夜空を見つめていた。
最近よく世間を騒がせている怪盗から予告状が届いたのは、ほんの3時間ほど前だった。予告時間は今夜の23時。何度も取り逃がしている為、警察の面子にかけて今回こそは何としてでも捕まえようと現場に向かっている最中だ。にも拘らず。
「何やってんだアルの奴…」
途中で夜食を買っていこうと騒ぎ出したアルフレッドが、コンビニに入ってから一向に出てこない。もう何分が過ぎただろうか。暇潰しに取り出した煙草が随分と短くなってしまった。苛々と短くなった煙草を足ですり潰していると、両手にバーガーを抱えたアルフレッドがご満悦な様子でコンビニから出てきた。その量はなんだ、その量は。
「君携帯の灰皿くらい持ってなよ。俺にマナーが云々言うくせにいつまでたってもヤンキーが抜けないんだから」
びしりと指の間の煙草を指差すアルフレッドに、アーサーは少しばかり眉を寄せた。お前が待たせるのが悪いんだろうという言葉をどうにか飲み込んで、運転席のドアを開ける。
「車に灰皿ついてんだからいいだろ、別に」
言いながら開いた灰皿に煙草を捻じ込んだ。そこにはいつ掃除をしたんだと目を疑うくらいの吸殻が詰まっている。自分が掃除をしてやろうという献身的な人間は署にいないらしい。
アーサーは満杯の吸殻を見なかったことにして、灰皿の蓋を無理矢理閉めた。アーサーが車に乗り込めば、遅れてアルフレッドも助手席に乗り込む。ちらりとアーサーが目を遣ると、両手いっぱいのバーガーは膝に乗せ、早速ひとつ袋の中から取り出していた。躊躇いなく口にバーガーを頬張るアルフレッドを横目にアーサーはギアを入れアクセルを踏み出した。
「ほころで今度は何を盗みにふるんだい?」
「口に物入れてしゃべんなばか」
進行方向へ視線を向けたままアーサーはアルフレッドを窘める。
「というかお前、また話聞いてなかったな?」
声に険を含ませると、アルフレッドはふいっとそっぽを向く。窓の外を見つめる瞳は少しばかり拗ねたような色を映していた。
相変わらずバーガーを口に入れたまま、言葉が紡がれる。
「折角の非番に緊急招集されて話聞く気になれると思うのかい?」
「聞けよ仕事だろ」
「聞いてなかったんだからしょうがないじゃないか! で、今度の目当ては何なんだい?」
開き直ってBoooo!とブーイングを始めるアルフレッドに、アーサーは重い溜め息を吐き出した。仕方ないから説明してやるか。
「いいか、奴が狙っているのは“薔薇の花嫁”だ」
宝石自体はダイアモンドほどの価値はないが、今回狙われた宝石はその加工技術がすごかった。職人の手によって繊細な薔薇の姿をを象った“薔薇の花嫁”はその付加価値によりあの気に食わない怪盗の目に留まってしまったのだ。
ふーん、と気のない返事をして、アルフレッドは抱えたバーガーをまじまじと見つめる。黙り込んだのを不思議に思って様子を窺ってみると、その横顔は意外なほどに真剣だった。久々に見る彼のそんな顔にアーサーは目を奪われた。だがまだ事故に遭いたくはない、無理矢理視線を引き剥がす。
と、不意にアルフレッドが呟いた。
「その宝石ってバーガー何個分の価値があるのかな?」
こんのバーガー馬鹿がっ。
コツ、コツ、コツ。
足を踏み出す毎に靴は規則的なリズムを刻み、その音を廊下に響かせる。
フランシスはとある商用ビルの廊下を歩いていた。入っているオフィスの就業時間をとっくに過ぎている為に廊下は既に電気を落とされていて、彼以外がそこを通る気配はない。淀みなく足を動かしていたフランシスは突然ぴたりと動きを止める。
目的の扉の少し手前に、壁に寄り添うような人影があった。
「こんばんは、フランシスさん」
小柄な人影はにこやかに声を掛けてきた。それが馴染みの探偵の声であることを確認して、フランシスは漸く肩の力を抜く。
「驚かせないでよ、菊…張り込まれてたのかと思っちゃったじゃない」
菊はにこりと笑みを作ると、ぱちりと携帯電話を開いた。
「駄目ですよ、私に動きが読まれているようでは」
ボタンを押そうとする動きに慌ててフランシスは菊の名前を呼んだ。
「今度は何がお望み?菊ちゃん」
すると菊は爛々と目を輝かせた。その様は普段よく見ているものだ。主に共通の趣味の話を喜々としてしている時にする目。なんだか嫌な予感がした。
「○パン三世の2○話で彼がやったみたいにして脱出してください!リアルルパンテラ萌え!」
両手を拳にしてぶんぶん縦に振る様子はとても真面目な探偵には見えなかった。怪盗の仕事を見逃す時点で真面目ではないが…。
「やってくれなきゃアーサーさんたちの味方になっちゃいますよ?」
可愛く笑いながら首を傾げる菊は実は小悪魔なんじゃないかとフランシスは引き攣った顔を戻せずにいた。
2○話、2○話ね…とそのシーンを思い出して、フランシスは半眼になる。アレをリアルでやれというのか、菊は。それは何というか、非常に酷だと思うのだが。第一華麗に盗み出した感じが台無しになるんじゃ…とぶつぶつ言いながら、フランシスは恨めしそうに菊を見る。
しかしやらない訳にはいかないのだろう。やらなかったなら絶対に、菊はアジトの場所を警察に垂れ込む。彼はそれくらいはする、本当に。
「精一杯努力するよ…」
曖昧に笑うと、それでこそフランシスさん、と満面の笑みが返ってきた。
車を停めて外へ出ると、飛び回るサーチライトが荘厳な博物館を照らし出していた。
にしても、右を見ても左を見ても警察官警察官。こんなに人員を割いては捕まるものも捕まらないのではないか。これだけの広さなのだから宝石のある部屋に警備を絞ったほうが遥かにマシだ。これだから頭の固い上の連中の言うことを聞くのは嫌なのだ。
アーサーは何度目かの深い溜息を吐いた。そこにひょこりとアルフレッドが顔を出す。
「気が滅入るから溜め息とか止めてくれよ。今更自分の眉毛に絶望したのかい?」
「…ヤキ入れるぞてめぇ」
唸るように吐き捨てると、アルフレッドは怖いなぁと肩を竦めて見せる。反省の色は全くもってない。
アーサーは苛付きを抑えようと煙草を取り出したが、口に咥える前に伸びてきた手に奪い取れれてしまう。
「博物館は禁煙なんだぞ」
ほら、とアルフレッドが小さなプレート指す。そこには確かに禁煙のマークが表示されていた。気を紛らわせる為にアーサーは口を開く。彼は車を降りて早々、アルフレッドに警備体勢を確認しにいかせていたのだ。
「で、どうだったんだ?」
「外が50、中が20、内セキュリティ室に4人と宝石のある部屋に6人」
アルフレッドがぺらぺらとメモを読み上げるが、透けて見える文字は本人のものではなかった。メモを取るのを面倒臭がって聞いた人間に書かせたのだろう。アーサーはもうこの際細かいところは(細かいとはこれっぽっちも思っていないが)目を瞑ることにした。
「外に人を置き過ぎだろう…。俺たちは宝石の展示室に行くぞ。直接叩く」
展示室に向けて足を踏み出しながら、アーサーは懐にそっと手を遣る。脇の下には固い感触──使い込んだグロックがホルスターの中に納まっている。
博物館や美術館での無闇な発砲は禁止されているが、そんなのは知ったことではない。撃たなければ宝石はまんまと奪われてしまうだろう。あの怪盗は撃つ気のない者が銃を向けて脅しただけでは怯みもしないのだ。いざとなったら脚でも狙って逃げられないようにしてやろうと、アーサーは不穏な思考を脳内で展開させる。
「君顔怖いよ」
目が据わり始めたアーサーを半眼で見つめアルフレッドが呆れたように声にした。
聞こえていない振りをしているのか聞こえていないのか、アーサーはセキュリティ室を素通りして展示室へ向かう歩を早めた。どうせセキュリティ室は怪盗には開けられない。アーサーはそう確信していた。
「駄目だねー油断しちゃって」
最新の設備が揃うセキュリティ室も一度開いてしまえば此方の有利。ましてや密室。催涙煙幕でも催眠ガスでも放り込めば一発だ。フランシスは横たわる警察官や警備員を尻目に堂々と足を組んでコントロールパネルの前に陣取っていた。
カタカタと慣れた手つきでキーボードを弄り、警備の状況を確認していく。複数あるモニターに博物館の様々な場所が映し出されてはまた消える。そのうちの一つを掠めた影にフランシスは目を留めた。そこだけを元の画面に戻すと、2人の警察官が展示室の中に入っていくところだった。アーサーとアルフレッドだ。
「懲りないねぇ…」
呟いてフランシスは口元に笑みを浮かばせる。
「ま、お兄さんは予告時刻までここでのんびりさせてもらおうかな」
死角を作らないために“薔薇の花嫁”は展示室のほぼ中央に置かれていた。赤外線は以前見事に破られたため今回は設置せずに別のセキュリティシステムを使用している。警報はもちろんだが、宝石を持ち上げた途端に博物館全ての出入り口が封鎖され中からは一切開けられなくなるのだ。敵味方共に閉じ込められ、中からの怪盗捕獲報告があるまでは缶詰状態の耐久戦というわけだ。広いとはいえ密室空間で多数対一の状況になれば、怪盗とてそのうち捕まるに違いない。ただの鬼ごっこや隠れん坊ならば数が多いほうが有利に決まっている。
アーサーはちらりと腕時計に視線を落とした。予告の23時まで後15分弱ある。油断させる為に多少時間をずらして来るかもしれないということで、室内には既に緊張した空気が満ちている。ただ1人を除いては。アーサーの隣でアルフレッドがふぁあと盛大な欠伸をした。
あと三分。
もう既にアルフレッドは持ち込んだバーガーを三個も食べ終わっている。アーサーはもう呆れて注意することすら諦めていた。…そろそろ来る頃だろうか。今か今かと銃に手を何度もかけながらあの憎たらしい怪盗の登場を待つ。その時だった。
バンッと扉が開いて、何者かが転がり込んでくる。その場にいた警察官は皆一斉にその人物に向かって銃を構えた。アルフレッドだけが悠然とバーガーを食べ続けている。
「今日こそ観念しやが……れ?」
アーサーが意気込んで発した言葉は尻すぼみになり、最後には疑問系になる。
入ってきた人間は明らかに怪盗ではなかったのだ。小柄で華奢なその人物は。
「菊、君こんなとこで何してるんだい?」
アルフレッドがバーガーを飲み込みながら尋ねる。
現れたのはアーサーが何度も怪盗の逮捕の協力を要請しているがいつも断られる名の知れた探偵、本田菊だった。彼は何食わぬ顔で中央に近づいていく。
「微力ながら今回はお手伝いしようかと思いまして」
宝石に近い位置に立つアーサーににこりと笑いかけた後、菊はまじまじとケースの中の宝石を見つめた。
「これが“薔薇の花嫁”ですか。確かに綺麗ですね」
菊がその美しさに魅了されたようについと“薔薇の花嫁”に向かって手を伸ばす。アーサーは反射的に“薔薇の花嫁”と菊の手との間に銃を差し込んだ。
「どうしたんですか、カークランドさん?」
不思議そうに聞いてくる菊をアーサーはまじまじと見つめる。いつもの彼とは何かが違う気がした。引っかかるのだ、具体的に何が、とは言えないが。警戒する様子もないアルフレッドを横目に、アーサーは躊躇いがちに口を開く。
「なぁ、お前…」
アーサーの言葉を遮るように、突然証明が落ちた。ざわりと周りが警戒するが、間髪入れずに非常用の薄暗い照明が辺りを照らす。
「菊!?」
突然菊がアーサーの手首を掴み、銃口をやんわりとアルフレッドのほうへ向けたのだ。アーサーは相手が菊とあって乱暴に振り払うことができなかった。
「油断は禁物ですよ」
突如菊の着物の裾から物凄い勢いで真っ白な煙が噴き出した。
「何だ!?」
視界が奪われていく中、アーサーはお馴染みの怪盗の声を聞いた。
「“薔薇の花嫁”はいただいていくよ坊ちゃん」
声の方に銃口を向けたが、もうそこには菊も宝石も存在しなかった。白煙が晴れた後には呆然としている警察官たちと、主を失ってしまった陳列台が存在するのみ。
アーサーは舌打ちをして周囲を見回した。まだそう遠くには行っていない筈だ。今から適切な方向へ人間を動かせば捕まえられる。だが、どっちへ向かった?
そこでアーサーはふと気が付いた。セキュリティシステムが作動していない。
「おい、セキュリティはどうなってる…!」
「カークランド警部、セキュリティ室の奴らが…」
全員眠らされてます、報告を受けてアーサーは歯噛みする。
一体いつの間にそんなところに入り込んでいたのだ、あの髭は。
「いつまでも食ってんじゃねぇアル! 行くぞ!」
セキュリティシステムが作動していないとなると出口はいくらでもある。走りながら無線でとにかく出口を固めろと指示を出すが、効果があるとは思えない。アーサーは階段の前で一瞬止まってしまった。上か、下か、迷っている暇はないがどちらかわからない。
アルフレッドと二手に分かれるという選択肢が浮かんだ時、後ろからだるそうについてきたアルフレッドが口を開いた。
「上だよ、アーサー」
「な…」
「いいから信じてよ。あの派手好きの怪盗のことだからどうせ上だよ」
面倒そうな声音と違って眼鏡の奥の青い瞳が真摯な光を帯びているのをアーサーは感じ取った。もう足は迷うことなく上に続く階段へ踏み出していた。1段飛ばしに階段を駆け上がり、廊下に躍り出る。左右に目を走らせると右手にバルコニーへと続く扉があるのが見えた。その扉は開け放たれている。
見付けた!
にやりとどちらが悪人だか分からない笑みを刻んで、アーサーはバルコニーへと踏み込んだ。そこには相変わらずの悪目立ちする白スーツに身を包んだ怪盗が、“薔薇の花嫁”を片手に悠然と佇んでいる。
「やれやれ、上手く撒いたつもりだったんだけどな」
「はっ。残念ながらチェックメイトだ」
ガチリとスライドを引いて銃をいつでも撃てるようにして、アーサーは手を差し出す。
「さぁ、まずはそいつを返してもらおうか」
「それで返す怪盗がいるわけないだろう?撃ちたいなら撃ってごらん?ベーベちゃん?」
舐めるんじゃねぇ!
アーサーは迷わず怪盗の足を狙って発砲した。だが奴は全く動く素振りを見せず、狙い通り弾は白スーツに穴を空け太腿を貫通する。その衝撃で怪盗がその場に蹲る、はずだった。
実際は、怪盗は間抜けな音をたてて夜空に向かって勢いよく萎みながら飛んでいってしまったのだ。
「くそっ、バルーンか!!」
「あれ?あんなとこに菊がいる…」
やっと追いついたらしいアルフレッドが後ろから星が瞬く夜空を指差した。
「ぁ゛?!」
視線だけで人を殺せそうな勢いでアーサーはアルフレッドが指差した方を睨め付ける。そこには確かに菊がいた。ハングライダーに乗って、着物の裾をはためかせている。
何をやっているんだあいつは、そう思っている間にもその姿はどんどん遠ざかっていく。肉眼では視認することが難しくなると、アルフレッドはどこから取り出したのか双眼鏡まで使ってその姿を追っている。
「アル!今は菊じゃなくてあの野郎を…」
「…アーサー、見てご覧よ」
声を荒げるアーサーに、心底嫌そうな顔でアルフレッドは双眼鏡を渡した。
受け取って彼方へ消えていく菊を見て、アーサーは愕然とする。ハングライダーの乗員はいつの間にか菊から怪盗に変わっていた。その手にはしっかりと“薔薇の花嫁”が握られている。
見られていることに気付いているのだろうか、怪盗の口がいやに艶っぽく「アデュー」と動く。
「ふっ、ふざけんなぁあああああ!!!」
アーサーの絶叫は虚しく夜空に吸い込まれていった。
おまけ
「流石ですフランシスさん!!変装とパラグライダーにバルーン人形!!素晴らしい合わせ技!!もうかっこいいですー!!」
「喜んでいただけて光栄だけどね。菊ちゃん?せめて用意する時間をちょうだいよ…。無茶ぶりはもう勘弁して…」
9/9 某所で開催された絵チャで展開していたリレー小説/ほぼ打ち合わせなしの即興