上官、と声を掛けられたのはある夕暮れ、本部に戻ってすぐのことだった。これ以上汚れてしまわぬようにと鳥籠に閉じ込めた弟が、未だ下らない俗世に未練を残していることを憂いている、丁度その時。
ギルベルトは思案に伏せがちにしていた、長い睫毛に縁取られた目をのたりと持ち上げた。瞬いて照準を会わせれば、そこには見慣れた一人の部下の顔がある。名前は、何といったか。上に立つ者として当然に一人一人の名を覚えているが、どっぷりと自らの思考に沈んでいた頭にはなかなか浮かんでこない。
「…どうした、何か進展があったか」
そう問えば男は軽く顎を引き──ギルベルトの意識は唐突に闇に落ちた。
目を覚ますと体は冷たい床に横たわっていた。感触から古い建築物の、大理石の石畳だと分かる。どうしてこんな場所に。思いながら体を起こそうとし、ギルベルトはそれが適わないことに愕然とした。両の手首と足首に重たい鎖が繋げられ、体を起こすことを阻んでいる。長い眠りから目覚めた体には、まだその重量は重過ぎた。
こんな不届きなことを一体誰がしたのか。ギルベルトはギリと奥歯を噛み締めた。
辺りを見回してみると、置いてある物からどうやら地下室の一つであることが見て取れた。愛しい弟を放り込んだ部屋のいくつか隣に似たような部屋があったことが、朧気ながら記憶に残っている。確か嘗ては拷問が行われた場所だったか。
自分が一体どこに転がされているのかを認識すると、それを行った者への怒りが頭を擡げた。誰に何の権利があってこんな真似をするのか。自分は弟の為、この国の為に身を捧げて生きているというのに、こんな扱いは余りに不躾に過ぎる。犯人が分かり次第城壁にその首を晒してやる。心中で悪態を吐いた時、ギルベルトの耳に複数の靴音が飛び込んできた。それは少しずつ近付いてきて、ぴたりと部屋の前で止まる。それから古い鍵を開ける音がし、蝶番が重苦しい軋みを上げた。
体を捩り首を捻ってそちらを向けば、よく見知った制服を身に纏った男が数人入ってきたところだった。並ぶ顔はどれも部下のものだ。そこには先程声を掛けてきた男もいる。──先程。
そうだ、意識を失うその前に、自分はあの男に話し掛けられている。そして気が付けばこんなところに転がされていたのだ。彼が何らかの鍵を握っていることはまず間違いない。
鋭い視線で睨め上げると、彼らはそれぞれに嫌な笑みを浮かべた。本能的な嫌悪感にぞわりと背筋に震えが走る。こうして拘束されたくらいのことはどうだっていい。だがもしも奴らがルートヴィッヒに手を出していたなら。
そう仮定するだけでも堪らない怒りが湧き上がる。叫びたいのを抑え、ギルベルトはじっと相手の出方を窺った。こちらから下手に動いて情報を与えるのは得策ではない。特に明らかにこちらに悪意を向けている奴らに対しては。
「いつもの饒舌はどうしたんですか?」
「あの美しい声で囀って下さいよ、上官」
「怖くて声が出せないなんてことはないでしょう、貴方に限って」
口々に言いながら男達はゆっくりと距離を詰めてくる。間に横たわる空間が狭まる度、睨む視線の角度を上げなければならないのがどうしようもなく癪に障った。何様になったつもりでそんな口の聞き方を、振る舞いをしているのか。俺を誰だと心得ている。
ギルベルトはあらんかぎりの眼力で彼らを睨み据えるが、効果は薄かった。常ならばいつ恫喝され激昂のままに首を刎ねられるかとびくびくしている癖に。体の動きを封じただけで反撃の手を封じたと思うとは、何とも底が知れる。
ギルベルトは失笑を漏らし、薄く開いた唇から声を押し出す。
「貴様ら、こんな真似をしてよもや無事でいられるとは思っていなかろうな」
凄みを聞かせたその声も、やはり効果は見られない。ただただ不遜な笑みを濃くされるばかりだ。
とうとう男達が触れられる距離に到達する。獣であったなら、ギルベルトは間違いなく威嚇の唸り声を発していただろう。彼らの態度にはそこはかとない恐怖を掻き立てるような何かが確かに存在していた。
一人がすとんと顔の脇に腰を下ろし、顔を覗き込んでくる。その笑みはどこか得体が知れず、空恐ろしく感じられた。
「無事でいられる見込みはありますよ……ほらこれ、何だか分かります?」
「っ!
貴様ッ、ヴェストにな、っぐぅ…!」
「そうそう、貴方の大好きな弟殿が入っている鳥籠の鍵です」
「出来るだけその小綺麗な顔を傷付けたくないので抵抗しないでもらえますか、上官?」
「何も捕って食おうって訳じゃないんですから」
くすくすくす。勘に障る笑いを漏らしながら男達の手が体に掛かる。服を剥ぎ取られていく。
ギルベルトは床に押さえ付けられてじんじんと痛む頬にかぁっと熱を昇らせた。ここまでくれば彼らの目的が何であるのか、手に取るように分かる。そんな下卑た欲望を自分に向けるなど、愚かしいにも程がある。今すぐにでも撥ね除けて括り殺してやりたい。けれど。
もし万が一、失敗するようなことがあればどうする。これみよがしに眼前にちらつかされた鍵が脳裏に過ぎる。ルートヴィッヒに危害を加えられたら。否、それ以前にその汚らわしい手がルートヴィッヒに触れるようなことがあったら。あぁ、そんなことには耐えられない。正気を保っていられる筈がない。そんなことになるくらいならいっそ、我が身が汚される方が何倍もマシだ。比べるにも値しないレベルで。
ギルベルトは細く息を吐き、ゆっくりと目を閉じた。そうして外部からの刺激や情報を全て締め出すことに徹する。じっと耐え忍ぶのは好きではないが、明確な目的があるならば苦にはならない。特にそれがルートヴィッヒに関わる事項であれば尚更に。
ひやりと地下の冷たい空気が素肌に触れる。その次の瞬間には他人の無遠慮な手がぞろりと肌を撫で上げた。肌理を確かめるような手付きだ。気持ち悪さに眉間に皺が寄る。が、ギルベルトは努めて表情を消した。反応を見せればこの手の輩は調子に乗る。
「それですよ…その取り澄ました顔」
そう1人の男が声を上げたのはその時だった。どこの位置にいて何をしている奴だか知らないが──確かめる気も起きない──その言葉はするりと耳に入り込んできた。
「その顔をずっと汚してやりたくて堪らなかった」
「ひ…っ、」
続く言葉はやけに生々しい重みを持って耳朶に押し込まれた。それとほぼ同時、肌を弄っていた手が思い切り乳首に爪を立てる。思わず漏れた声をギルベルトは慌てて押し殺した。それは平静を装い続ける為ではなく、音になった声が存外に女々しかったからだ。甲高い悲鳴のようなそれは到底自分の声には聞こえず、違和感が先行する。情けなくて聞き苦しい。
だが男たちはそうは思わなかったようだ。あからさまにより声を上げそうな場所を探して手が蠢く。それが下半身に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。
下着の中に手が入り込んでくる。ギルベルトは思わず腰を引いたが、逃れることは適わなかった。何の躊躇いもなくペニスを握り込まれ、息が詰まる。急所の一つを押さえられたことによる反射的な恐怖と反抗心がざわりと波打った。本当にこのまま大人しくやられているつもりなのかと、脳内で妙に冷静な自分が囁き掛けてくる。こんな奴らなど敵ではないだろう、と。
その通りだと肯定するのをギルベルトは躊躇った。たとえそうだったとして、この場にいる人間だけが仲間だとどうして言えるだろう。こいつら全員の息の根を止めて、ルートヴィッヒの安全が確保されるという保証がどこにある。もしも他の場所に仲間なり協力者がいたならば。その報復の手がもしもルートヴィッヒに向かったならば。そんなのは冗談ではない。
唇をキツく噛む。漏れ出そうになる呻きと罵倒を飲み下す。何も感じるな何も思うな──自分に言い聞かせひたすら時が過ぎるのを待つ。もっと堪える凌辱を受けたことがある筈だ。それに比べれば体を犯される如きのことが何だというのだ。
だがいくら精神的な平静を保とうとも、刺激を受ければ体は反応してしまう。粘着質な水音を上げ始めたペニスにギルベルトは眉を顰めた。下衆の手によって高められたのかと思うとその反応が疎ましくてしょうがない。
必死で辱めに耐えるギルベルトを嘲笑うかのように、一人の指が双丘を撫で上げた。それは擽るようにして入口の粘膜に触れたかと思うと、ゆっくりと中に押し入ってくる。何の滑りもない指をいきなりアヌスに突き立てられ、さしものギルベルトも目を見開いた。解けた唇から意味を成さない音の羅列が零れ落ちる。
「いっぁ…!
ひ、く、ぅああ…ッ」
意思とは関係なしにびくびくと体が跳ねて、筋肉が強張る。そうすると余計に苦しみが増すのだが、自分ではどうしようもなかった。未知の感覚に体は完全に怯え、怖じ気付いてしまっている。
反射的に逃げを打とうとする体を四方八方から伸びてきた腕が押さえ付ける。それはそれぞれにギルベルトの動きを封じながらも、性感帯を愛撫し続けていた。堪らない気持ち悪さに淡く快楽が混ざる。感覚の把握などさせないとでもいうように、体が慣れ切らないうちから2本目、3本目と指が増やされる。異物を排除しようと粘膜が蠕動を繰り返すが、詮ない抵抗だった。
意識が混濁していく、何もかもが綯い交ぜになる。それに止どめを刺すかの如く、指とは比べ物にならない太さのものが胎内に押し込まれる。
「あ゛っッや、ぃぎ、あァっああああ?!」
目の前が一瞬真っ赤に染まった。体を激しく痙攣させ、ギルベルトは声を上げる。首を振ると生理的に溢れた涙が頬を伝い落ちていった。苦しいだとか痛いだとか、最早そういう次元ではない。余りに強い衝撃に何も考えることが出来ない。
無理な質量を咥え込まされたアヌスは、僅かに裂けて鮮血を流していた。しかしそれを気遣われることはない。ずるりと腰を引かれ、奥まで突き込まれ、身勝手な抽挿に体を揺らされる。ぐちゅぐちゅと耳を覆いたくなるような淫隈な音が立ったが、ギルベルトの耳には届いていなかった。常に冷徹な光を宿していた瞳は焦点を失って、ぼんやりと虚空に投げ出されている。
「はっ……狭くて堪んねぇな…」
「俺のも咥えて下さいよ、こっちのお口でいいんで」
「あっ、ぁあ、んぐっ…ふッ…んぅう!
う゛ー!」
「おいおい、あんまり壊さないうちに回してくれよ」
交わされる言葉が全て意識を素通りしていく。確かに耳には入っているのに上手く意味を取ることが出来ない。こんな奴らの話すことなど聞く価値もないが。
ギルベルトは脳裏に浮かぶ愛しい面影に向かって手を伸ばした。だが届く訳もなく、指は虚しく宙を掻くばかりだ。ルートヴィッヒ。心中でそっと呟く。お前さえ健やかならば俺は。
眼前の男の目に映るギルベルトの姿は、瞳の紅だけが生々しく浮かび上がっていた。