「げ、坊ちゃん」
「人の顔を見るなり失礼な反応ですね、貴方は」

 チャイムが鳴ったから出てみると、そこには因縁の仲と言えなくもない奴がいた。
 玄関先に立っていたローデリヒは、失礼しますよ、と言うなり勝手に家に上がり込んでくる。勝手知ったる他人の家とはよく言ったもんだ。ルートヴィッヒの姿もエリザベータの姿もないのだが、一体こいつはどうやってやって来たんだろう。
 もし一人で来たんなら、迷わずに家に辿り着くとか、高熱でもあるんじゃねぇのか? それとも迷いに迷って漸く辿り着いたんだろうか。それにしては早くもなく遅くもない、誰かを訪問するには丁度いい時間帯に過ぎる。
 そのままつらつら思考を重ねていると、いつまでそうしているのですお馬鹿さん!とリビングの方から声が飛んできた。俺は入れる気なんかなかったんだ、勝手に入るなリビングに落ち着くな俺は馬鹿じゃない。
 脳内で一頻り突っ込みを入れた後、ドアを閉めて鍵を掛ける。怪しい奴が来たら3頭いる飼い犬の誰か一匹は吠えるだろうが、まぁ用心するに越したことはない。そういえばローデリヒの奴には吠えないんだな、あいつら。いつの間に慣れたんだ。

「遅いですよギルベルト。早くお茶を淹れなさい」
「あ゛?」
「トルテを持ってきたんです。お茶がある方が美味しく頂けるでしょう」

 さも当然のように言うローデリヒに、俺はひくりと口の端をひくつかせる。いきなり人の家に押し掛けてきて、更に茶を要求するとはどういう了見だ。何がしたい坊ちゃん。まさかお茶の時間を楽しみにきたとか言うんじゃねぇよな。
 いやないないない、こいつに限って有り得ない。それなら明らかにエリザベータのところにでも行くだろう。
 だとしたら何なんだ。何で俺がターゲットなんだ。折角一人を満喫してたってのに。ぶつぶつ口の中で呟きながら、俺は仕方なく湯を沸かす。
 ティーバックにしてやろうかとも思ったがそれは流石に止めて、普段は余り使わない紅茶の缶を手に取る。妙に優雅っぽい雰囲気のそれは、確か前に来た時にローデリヒが置いていったんだったか。この家には紅茶の買い置きもないのですか、とか何とか言いながら。
 そりゃねぇさ、俺もルートヴィッヒもコーヒー党だもんよ。この家にきて紅茶を飲む奴なんざ、ローデリヒくらいしかいない。分けて淹れるのが面倒だから、こいつが来ていると全員紅茶を飲むことになるのだが。
 普段はルートヴィッヒに任せっきりだが、昔取った杵柄で手は澱みなく動く。俺様の紅茶を飲んだことがある奴はそういないんだ、感謝しろ。咽び泣いて喜びやがれ。
 かしゃん、と音を立ててテーブルにカップを置く。品も愛想もない俺の様子に何か言い掛けて、だがローデリヒは何も言わずに口を閉じた。小姑みたいなこと言われるかと思ったぜ。こいつやっぱ調子悪いのか?

「ギルベルト、」
「…何だよ」

 向かい合わせに座るソファ、会話は決して弾まない。啀み合い衝突していた時代から随分と経ったが、俺とローデリヒとは個人的にも余り仲がよくない。よかったら気持ち悪い。反りが合わないのだ、基本的なところで。
 ローデリヒは自分から声を上げた癖に、言葉でも探すように次を言い淀む。何なんだよ全く。言いたいことはずけずけ言うタイプだろ、お前。言い出し難い悩みでも抱えてんのか、自分から弱点晒しにくるとは思わなかったぜ。
 ケセ、薄く笑うと柳眉が微かに顰められる。坊ちゃんになんか睨まれても怖くねぇな、ルートヴィッヒに比べれば誰だってそうだと思う。

「……貴方、何か忘れていませんか?」

 軽く溜め息を吐いたローデリヒが、諦めたように言う。忘れてないかって…約束とか貸し借りとか、そういうのか? 他の奴ならまだしも、こいつにはそんなことしない気がするんだが。
 何かあったかな。最近はそもそも会ってもいないから、とすると有り得るのはこっちに帰ってくる前か。…心当たりとか見付かりそうにもないんだが。俺は何を忘れてるっていうんだ? あっちに行く直前のばたばたしてた時に何か頼んだとかだろうか。いや、あの時ローデリヒはいなかった気がする。
 じゃあ俺は一体いつどこで、こいつに「忘れてないか」とか言われなきゃいけないことをしたんだ。分からねぇ。全くもって分からねぇ。

「お馬鹿さんが。これですよ」
「だから誰が馬………っ、ぁー」

 怒鳴りは途中で萎んで、意味を成さない声が代わりに口から零れた。
 テーブルの上に置かれたもの。古い紙の束と布。手紙と、下着。それは──それは、俺がルートヴィッヒから隠し続けていたものだった。
 今からいけば大分昔に、フェリシアーノからルートヴィッヒの前身に渡されたもの。しまい込んであったのだが、あっちに行く直前になって俺はその存在を思い出した。もし何かの拍子にルートヴィッヒが見つけたら、知ってしまったら。俺は慌てて、フェリシアーノもルートヴィッヒの前身も知る奴にそれを押し付けた。俺が帰ってくるまで、お前が預かっていろと。
 そいつが、何とまぁ、ローデリヒだったって訳だ。
 あぁ、全部思い出したぜ。してたな、坊ちゃんと約束。あっちにいる間、思い出す暇なんてなかったんだからしょうがないだろ。俺は悪くない。

「保管していたなんて、正直なところ意外でした」
「…捨てるに捨てられなかったんだよ」
「そういうことにしておいて差し上げます」
「嫌味な言い方だな。けどまぁ何だ、その…有難う」

 最後をぼそりと呟いて、俺はそっと彼の遺物を手にする。そしてそれをルートヴィッヒに見付からない場所にしまう為に席を立った。
 ローデリヒから何か言いたげな視線が注がれていることは分かっていたが、俺は絶対に振り向いてやらなかった。






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