※色々とイタイ話なので要注意。これの関連っぽい感じ。






 冷たい床に転がっていることにももう大分慣れてしまった。そこかしこが痛む体は全体的に微かな熱を孕んでいる。付けられたばかりの傷が、嘗て付けられた傷が、それぞれの存在を主張して鈍く疼く。微かに開いたままの口から漏れる呼吸は、酷くか細かった。きちんと酸素が取り込めているのが不思議な程に。ぼんやり開けた目が拾う映像は荒れて霞んでいて、ノイズだらけのテレビでも見ているようだ。
 俺は少しずつ、少しずつ意識を取り戻していっていた。それはいやに緩慢でまどろっこしかった。だが一気に覚醒するような体力も気力ももう残ってはいないらしい。それはそうだ、そんなものある訳がない。
 小さく笑いを漏らすと、掠れきった喉はそれを咳に変換した。咳の度に揺れる体が軋みを上げる。それから俺の首にあるものも、ちゃりちゃり音を上げる。エナメルの首輪とそれにつけられた重い鎖は、今の状態では拘束というよりも体力を奪っていく一要因だった。負荷がかかればかかるだけ、残り少ない体力は削り取られていく。このままじっとしていて体力が回復するのを待つのと詮ない抵抗を続けるの、果たしてどっちが俺にとって最良なんだろう。どっちにしたって招く結果は大して変らないような気がする。
 逃れられる訳がないんだ、逃がしてくれる訳がない。のたりと動かす視線、まだはっきりとしない視界は何かを捉える。何だろう、やけに白っぽい──ひか、り?
 見間違えかと瞬きをしてみるが、それは確かにそこにあった。薄暗いのに慣れてしまった目にはその光はキツ過ぎるくらいに眩しい。ドアが細く開いているのだと分かったのは、漸く数瞬後だった。何時間、もしかしたら何日か振りの外の気配に、気が付けば俺は体を動かしていた。
 のろのろと起き上がって、這いずってドアの方に進む。打ちっぱなしのコンクリ床に擦れて痛いだとか、そういうことは感じられなかった。俺はただ衝動的に外を目指していた。この苦痛から逃れる為に。
 けれどやっぱり、物事はそう上手くは運ばないものらしい。

「くぅっ! かは、げほ…っ」

 首輪が思い切り喉に食い込んで思わず噎せる。鎖はどこにも固定されていなかった筈だから、首輪が食い込む可能性は──1つだけ。
 俺は恐る恐る、背後に視線を流す。そこにはルートヴィッヒがいた。鎖の端をしっかりと握って、残酷なまでの優しい微笑を浮かべて。
 ぞぞぞぞっと背筋に悪寒が走る。それは多分正常な反応だったんだろう。でも今のルートヴィッヒの前でそれを晒すのは、明らかに間違っていた。ルートヴィッヒの唇が更なる弧を描く。俺は逆に青褪める。
 しまった、なんて、思う暇も与えられない。思いっ切り鎖を引っ張られ、床に叩き付けるようにして引き倒された。当然首輪が食い込むから、げほごほ咳き込むことになる。
 体を丸めて痛みに耐える俺に寄ってくる硬質な靴音は、冷たいを通り越してもういっそ無機質だった。耳障りな喘鳴を上げる俺、けれどルートヴィッヒは何の反応も示さない。ただただ、俺を見下ろしている。床に丸まって呻いている惨めな姿を、冷え凍った目で。いつもなら大丈夫かと駆け寄ってきて助け起こしてくれるのに。
 そう思って、あぁ今は「いつも」には当たらないのだったと思い出す。ルートヴィッヒは時折、衝動的に凶暴になることがある。きっかけはよく分からない──それでも確かに、何かしらのきっかけはあるのだろう。
 こっちにはさっぱり意味が分からない理不尽な責め文句の後、殴られるとか何とかして、ほぼ毎回この部屋に放り込まれる。その後に待ち受けているのはまちまちだ。攻め具突っ込まれて放置されたり、今回みたいに延々手ずから痛め付けられた、り。
 今の状況を適格に認識すると、痛みは更に増すようだった。俺が何をしたと問うたところで、無駄だ。答えは十中八九返ってこない。精々、己の胸に手を当てて考えてみろ、そう言われるだけ。
 胸に手を当てて考えてみろも何も、心当たりがないから聞いてんだろうが。というか胸に手なんか当てられねぇよ。お前がそう言う時、大抵俺は縛られてるなり何なりして拘束されてるだろうが。物の喩えだって? そんなことくらい分かってるっつーの。
 目前で止まる靴に、俺はぼやりとした視線を向ける。今日はこれから何されんのかな、とかのんきな思考をついでにしてみる。目覚めた直後に振るわれたのは鞭で、それは深く深く俺の肌を傷付けた。人間ならば絶対に傷が残るし、下手をすればショックで死ぬんじゃあないかという程の、激しさ。これくらいでは国である俺に死が訪れることはない。でも流石に、何度か意識は飛ばした。その度により強い力で肌を抉られ、覚醒させられる。
 それは拷問そのものだったのだろうと、思う。滅多なことでは死なないのを恨んだのは初めてかもしれなかった。いっそ最初の一振りで死んでいたら、なんて、らしくない考え。そんなものが頭を過ぎるくらいに、俺は疲弊していた。
 ここまでくると、実は本当は俺の方が悪いんじゃないかという気になってくる。俺の方が悪いのにちっとも自覚しようとしないものだから、ルートヴィッヒはこんなに怒っているのだ、とか。そんな筈は万が一にもないのに。
 コンクリ床から僅かに上がったルートヴィッヒの靴先が、俺の顎を捉える。軽い所作で顔を上げさせられ、のけ反らされる喉にまた軽く咳が出た。首輪を引っ張られなかっただけマシだ、けど、辛いことに変わりはない。俺は荒い息を吐きながら、懸命に声を押し出した。

「ル…ツ、」
「その口で名前を呼ぶな、汚らわしい」

 吐き捨てられる言葉は辛辣で、決して演技の色など含まない。確かにルートヴィッヒが喋っているのだと思うと、吐き気がした。
 どうしたってこんなにも豹変しちまうんだろう。ルートヴィッヒがサディスティックな趣味を持っているのは、こんなことになる前から知っていた。けれど俺にだってサディストの気はあったから、気にも留めていなかった。その性癖が俺に向けられることはなかったし、国なんて程度の差はあれ、皆そんなもんだ。別にルートヴィッヒが特別なんだとは、思わなかった。
 でもある時、ひょんなことで──それがいつでどんな経緯だったのかは忘れた──俺はルートヴィッヒのおかしなスイッチを入れてしまった。以来、スイッチが不意にオンの方へ押し込まれる度に、俺はこうして床に転がる羽目になっている。
 本当に、突然なのだ。兄思いの、神経質気味で苦労性の可愛い弟。それが一変する。人が変わったように、という表現が比喩ではなく当て嵌まるくらいに。ルートヴィッヒは己が内包するサディスティックな衝動に、身を任せてしまう。
 その対象が今のところ俺だけであるのは、幸か不幸か、どちらなのだろう。全て暴かれて犯し尽くされて、与えられるものは鋭い刺に包まれたものばかりで。それでも元に戻ったルートヴィッヒが普通に接してくるのに安堵して、この状況をどうにかしようとしない俺は、何を望んでいるのだろう。閉ざされた暗闇の中で何に期待しているのだろう。
 逃げ出さない、助けを求めない理由はどれだけでも挙げ連ねられる。言葉だから装える。体は反吐が出る程に──正直だ。
 ごろりと仰向けにされて、俺は遥か高みにあるルートヴィッヒの顔を見つめる。可愛い弟と同じ造作がそこにある。そりゃそうだ、態度が違えどそこにいるのは俺の可愛い弟以外の誰でもないんだから。
 あぁ口元に張り付いたあの冷笑を剥ぎ取ってやりたい。冷たい視線も何もかもを。そんな顔で俺を見るな。そんな目で俺を見るな。頼むから、なぁ、ルッツ、ルートヴィッヒ。

「痛がって泣き喚いていた割には、」
「あ、あっひ、ぃぁ!」
「随分とイヤらしい反応をしていることだ」

 無情な靴底に踏み付けられるのは僅かに反応しているペニスだ。ぐりぐり刺激されると、それはすぐに芯を持ち始めてしまう。どれだけ痛みを感じていても、教え込まれた快楽に体は従順だ。先程までとは違う原因で息を荒げる俺を、ルートヴィッヒは嘲るように嗤った。誰のせいでこんな反応するようになったと思ってんだ。お前のせいだよ、十中八九どころか百発百中で!
 心の中で吐き捨てる、口に出す余裕は疾うにない。出したところでより酷くされるだろうから結果オーライだけどな。
 びくりと意思に不随意に体が跳ねる度、ずくずくと傷が痛む。その傷を付けた、言わば加害者にこうして性器を弄られているというのは、変な気分だった。今のルートヴィッヒにとってはこれも、加虐の一部に過ぎないのだが。無論俺にとっても苦痛であることに変わりはない。痛いだけか少しばかり快楽があるかだけの、違いだ。さっきまでと今との違いなんて、本当に、その程度だけ。
 それなのに口から漏れる声が明らかにさっきまでと違うのは、俺が随分と慣らされてしまったからだ。こうして虐げられて、隅から隅まで犯されることに。全くもって、不本意なことながら。
 未だ靴裏に弄ばれているペニスは、ガチガチに硬くなって先走りまで垂らしていた。上手いこと調教されたものだと思う、本当に。そして実に救いようがない──俺も、ルートヴィッヒも。掠れた喉から押し出す声は媚びさえ含む。快楽の捉え方を存分に、分かっているから。

「ふぁ…あっ、ルッツぅ、」
「学習能力がないな、全く…」

 呟きと共に加えられる体重、そのまま踏みつぶされてしまいそうな恐怖感に俺は声を上げる。けどそれが孕んでいるのは純粋な恐怖だけじゃない。やっぱりほんの少し、媚びと期待とが入り交じる。
 それをルートヴィッヒが聞き逃す、なんてことは、きっとこの世の終わりがきても有り得ないんだろう。不快そうに細まる碧眼、更に体重が乗せられる足。
 そして握られたままだった首輪の鎖が、勢いをつけて振り下ろされた。

「あ゛ぁっあああぁあーッ! ぅあ、あ、あぁ…」

 深く付けられた傷を正確になぞる打擲に一瞬意識が白んだ。軽く飛んでいたんだと、思う。
 気が付いた時には俺は自分の腹を精液で汚していた。どこに絶頂に至れる要素があったのか、全く理解不能だ。でも結果的にはどこかにあったんだろう。じゃなきゃこの白濁はどこの誰のだって話だ。
 舌を出してはひはひ荒い呼吸を繰り返しながら、俺は失っていた目の焦点をルートヴィッヒに合わせる。涙や涎を拭う暇も余裕もない。それよりも何よりも確認したかった。今回の無体がこれで終わるのかどうかを。
 淡い希望は、きちりと目がルートヴィッヒを捉えた時に即座に打ち砕かれた。まだだ、と直感が告げてくる。まだ終わらない。こんなことだけでは、許されない。
 それを裏付けるようにルートヴィッヒが動く。足はぞんざいに俺の萎えた脚を開かせ、手は鎖を放り出した。ガシャリと耳障りな音、それと一緒に、チリチリとジッパーを引き下ろす音。最早何が起きているのか確かめる気にもなれない、お定まりの行為。
 何だってこんなボロボロになったお兄様でそんなに興奮するんだ。サディストだとかアドレナリンがどうこうとか、そういうのを差し引いてもちょっと異常な域だと思う。あのデカさと硬さは半端じゃない。本当、あれはただの凶器だ。俺を貫いてぐちゃぐちゃに掻き回しておかしくさせる、凶器。でなけりゃ拷問具か。
 解れていないアヌスに押し当てられる熱い塊に、俺はひくりと喉を引き攣らせる。おい、待て。待て待て待て後生だから待ってくれ。

「…りだ、いきなりそんな、の、むり……いっ、ひぎっぁアああ!」
「はっ…キツい、な」
「いた、いたい、やだルツだめ、うごくなぁあっ」

 内臓を押し上げられるような圧迫感に吐き気がする。液体が尻を伝うどろりとした感触は、多分血だ。あんなぶっといの、解しもせずに突っ込んだら切れるに決まってる。
 奥に奥にと進入しようとするペニスに俺はがくがく首を振る。力を抜いた方が痛くないのは分かっているけど、こんな状況で力を抜くとか無理だ。痛みにビビって体が勝手に強張ってしまう。それが更なる痛みを生むんだから、全く、どうしようもない。

「あっああっあ、あ、ッひぃいいん! やら、いたいっいたいぃっ!!」
「くくっ…いい声で啼く」

 深く裂けた傷に思い切り爪を立てられて、俺は堪らず悲鳴を上げた。それを聞いて愉悦を瞳の奥にちらつかせるルートヴィッヒは、間違いなく真性のサディストなんだろう。突っ込まれてるペニスが腹の中で大きくなるのが分かる。クソ、この変態め。
 身悶えて嫌がる俺など知らぬ顔で、ずるずると結合が深くなる。前立腺を擦られて押し潰されて、それでも痛みは快楽を上回った。がんがん腰をぶつけられる度、口から苦鳴が零れていく。自分の意思とは関係ないそれを止めることは出来ず、徒にルートヴィッヒを煽ってしまう。
 容赦なさ過ぎ、だぜ、マジで。こんなんで気持ち良くとか、なれてんのか?乾いたとこに突っ込んだって自分も痛いだけな気がする。今は諸々の体液でどろどろになってるけど。ぐちゅぐちゃヤらしい音立ってる、けど。
 今の自分の状況を改めて認識すると、ぞくんと項に震えが走った。それは痛みや恐怖のせいではなく、明らかに、快楽からくるものだった。いつの間にかキツく閉じていた目をのろのろと開けると、自分の下肢が目に入った。抱えられて広げられた傷だらけの脚、その間でペニスが緩く頭を擡げている。先走りが浮いているのに呆れを通り越して眩暈がした。
 この行為の一体どの辺りから快楽の糸口を見付け出したのやら、全く理解が出来ない。痛いばっかで感じられる要素なんてどこにも、ないのに。それでも感じてしまっていることは紛れもない事実だ。自覚してしまえば意識は次第に快楽に囚われる。

「あ、あひっ、あ、ぁー、あぅう」
「感じているのか、浅ましい。凄い締め付けだぞ」
「あ、あぁー…ルツ、ルツっ、もやだ、やだ、むりぃ」

 俺の体を散々に痛め付け貪っているルートヴィッヒは、嗤ってまだだと告げる。まだ終わらせない、許さない、こんなことでは貴方はまたすぐに。
 俺の耳は確かにその言葉を聞いている筈なのに、頭は意味を取り零す。あぁ待ってくれルートヴィッヒ、今何て、言ったんだ?そんな顔して、何て。
 答えを求める俺の首にするりとごく自然な動作で指が回される。次第に力を込められて酸素が足りなくなっていく苦しさに、脳裏にちかちかと極彩色の火花が散った。どんどん遠のいていく意識で考えるのは、ルートヴィッヒの俺に対する呼び方だ。
 この状態の時、ルートヴィッヒは絶対に俺を兄とは呼ばない。必ずギルベルトと、呼び捨てにする。それがどんな意味を持っているのか、それとも特に意味などないのか、俺は知らない。知る由もない。訊ける筈がないし、訊いたところで答えは返ってこないだろう。
 そもそも俺はこの状態の時の記憶を常時のルートヴィッヒが有しているのかを確かめたことがない。出来れば知らないでいて、忘れていて欲しいと思う。こんな俺の姿など、優しくて可愛い弟になど知られたくはない。涎も涙も垂れ流しで、暴行そのものの行為に感じて喘ぐみっともない姿など。
 あぁ、早く終わればいいのに。そうして早くいつものルートヴィッヒに戻ればいい。俺の大好きで大切な、俺を愛してくれる弟に、戻ればいい。なぁルートヴィッヒ、お前はどうしてこうなっちまったんだろうな。どうして俺ばっかりを、こんな風に。
 考えている最中にもどんどん酸素は奪われていく。一段と激しくなる律動は俺を追い上げて追い詰めて、壊してしまう。何もかもをばらばらにしてしまう。ふわりと脳が浮くような奇妙でよく知った感覚に俺は体を強張らせる。

「は、ぅ…あ……ル、ツ…」
「……して…る、ギルベルト」

 意識をすっ飛ばす寸前、呟かれた言葉はやはり、不明瞭にしか聞き取ることが出来なかった。






ひろしさん1周年おめでとう御座います!