※いきなりパロ。これの続編っぽい話。






 ギルベルトと俺の関係というのは、実に曖昧なものであると思う。
 書面上では仮釈放中の元犯罪者と保護司という関係になる。だが多分この辺りの住民には家主と居候程度にしか見えていないだろう。そして一旦家の中に入ってしまえば──どういった関係になるのだろう、これは。
 一度抱いてしまってからは俺は中々ギルベルトへの欲望を抑えられず、彼の方も本気で拒まなかった為、ずるずると肉体関係が続いていた。毎度毎度無理をさせている自覚は、ある。あるのだが、それがストッパーになるかといえば否だった。押し倒して貪り尽くしてやりたいという衝動を覚えたら最後、歯止めは利きやしない。
 そんな俺をギルベルトは上手いこと往なして、俺に付き合ってくれていると思う。最近は最中に誘うような仕草も見せるようになって可愛いものだ。涙ながらに懇願されては俺も頑張るよりない。
 おっと、閑話休題。とにかくギルベルトと俺の関係は、一言では言い表し難い。良くも悪くも大雑把なギルベルトは俺との関係が変化してからも特段態度を変えず、お蔭で俺は事ある毎に煽られる羽目になっていた。
 今でもそうだ、何だってそう、着替えながら家の中を歩き回る必要があるんだ。あぁ床に服を放るな、素肌を晒すな、此見よがしに伸びをするなぁあああ! 白い裸体が視界に入るだけでも目に毒なのに、ギルベルトは微塵も気にする素振りがない。そう新陳代謝がいい訳でもないというのに脱ぎ癖があるのはどうかと思う。風邪を引くぞ風邪を。そして俺に襲われもする。
 余り見ないようにしていた筈がいつの間にか俺の視線はギルベルトを追い掛けていた。いつ飛び掛かってやろうかというような獣の表情で。駄目だ、もう色々と駄目過ぎる。どうしてこうも理性が緩いのか、自分でも呆れる程だ。
 頭を振って欲望を追い払おうとする俺に、何とあろうことかギルベルトは近付いてくる。待て待てそれ以上距離を詰めるな。俺が今どういう状態にあるか分かっているのか。頼むから空気を読んでくれ。
 そんな願いはギルベルトに届かず──大抵いつでも届かない──彼は俺のごく間近までやってきてしまう。手を伸ばしたら届く範囲内だ。またやらかすのか、おめでとう理性が最高に緩い俺。有難うごく一部に残った正常な俺。現実逃避をしてどうにかしようとしている俺に向かって、ギルベルトは手を伸ばしてくる。両の掌はぺしりと、俺の頬を挟んだ。無理矢理顔を動かされて盛大に逸らしていた視線を合わされる。
 よし、それは了承の合図ととっていい訳だな?

「ルッツ、俺今から出掛けるんだけど…お前にもついてきて欲しいんだ」
「はぁ?」

 予想だにしなかった言葉に、俺はつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
 ギルベルトは何も俺にばかりかまけているのではなく、他に何人か俺のような奴を担当している。そいつらの様子を見にいったり、はたまた相談事だとかで呼び出されたりと、意外と家を空けることは多い。その間、俺は家に残って家事やらを熟して待っているのが常だ。ついてきてくれと言われたのはこれが、初めてである。
 先程までの衝動も忘れてまじまじと顔を見つめる俺にギルベルトは苦笑した。それから着かけのシャツのボタンを閉めながら、何でもないことのように口を開いた。

「知り合いっつーか友達っつーかに会いにいくんだ」
「それは…俺はいない方がいいんじゃないのか?」
「いていいから言ってんだよ。ついてきてくれるだろ?」

 なぁ、と頼み込むようにして言われれば、俺に拒める筈もない。僅かに顎を引いて承諾すると、ギルベルトは相好を崩した。
 俺は別にいいだろうという彼の言に従って着替えはしない。畏まった格好をしろと言われてもそんな服は持っていないので、ある意味で助かったと言えるだろう。よく見てみればギルベルトもそこまでがちがちな格好にした訳ではなく、シャツの下にはラフなスラックスを穿いていた。知り合いというか友達というか、という言い方が妙に引っ掛かるのだが、どういった関係の人間に会うのだろうか。
 思えばギルベルトの私的な知人というのを俺はちっとも知らなかった。一緒に出歩くのが近所と呼べる範囲内から出ないのだから、それも当たり前と言えようか。ギルベルトに知り合うような年頃の人間が、俺たちが普段出歩くような時間に近所にいる可能性は極めて少ない。皆それぞれの会社で仕事中だろう。
 つらつらと思考を巡らせていると、ギルベルトがショルダーバッグを掛けながら戻ってくる。手には鍵も握られていた。

「よし、行くか」
「あぁ」

 どことなく楽しそうなギルベルトの様子に、俺の気持ちも上向きになる。気付けば押し倒したいなどという邪な欲望はどこかに飛んでいってしまっていた。



 線を乗り換えて30分程、さして遠くもない駅でギルベルトは電車を降りた。官庁街に程よく近い町で、高級そうな住宅が建ち並んでいる。ギルベルトの近所辺りも似たような雰囲気があるが、こことは何となく違う気がする。
 何度も来ているのだろうか、ギルベルトは道を確かめることもなくすたすたと歩いていく。特に意味がある訳ではないが、俺はなるたけ半歩後ろをついていくようにしていた。隣に並ぶのには何となく、躊躇いがあった。近所にいる時はギルベルトが気付いて歩調を合わせてくるのだが、俺が行き先を知らないからか今回は先を行く。
 後ろからついていっているという状態な為、俺の目はついギルベルトを見つめてしまう。夏も終わりに近付いたとはいえまだまだ暑く、ギルベルトの首筋には汗が浮いていた。液体が白い肌を伝って流れ落ちていく様子に、目が釘付けになる。そこにそんな風にして汗が伝うのを見るのは何も初めてのことではない。寧ろ幾度となく見たことがあった。それが、問題なのだ。
 無防備に晒された首に汗が伝う、それを目にするのは大概、情事の真っ最中。決して優しいとは言えない抱き方にギルベルトは震え、悲鳴がかった嬌声を上げる。頭を振る度にシーツに散らされる涙はぞくりとする程に綺麗だった。
 俺の頭は陽光に照らされ鈍く光る汗に、濃厚な行為を思い出していた。それは最早条件反射にも近いものであり、そんな自分を嫌悪する暇もない。気付けば俺は、無意識の内にギルベルトに向かって手を伸ばしていた。何がしたかったのかは、我に返った今は理解し兼ねる。本当は分かっているのだが、それを認めたくはなかった。
 こんな白昼に、しかもこんな場所で、なんて。いい加減にしてくれ。
 自分自身に溜め息を吐き、緩く首を振る。自分の背後でどんな葛藤が行われているのか気付く素振りもないギルベルトが実に羨ましい。未だに危機感を持っていないのだとも、言えなくもないが。ギルベルトが生まれてこの方、俺が見たような無防備な様子で過ごしてきたというなら、何事もなかったというのは奇跡に近いと思う。こんなにも魅力的な獲物を目の前にして我慢が出来る者がいようか。いや、いる筈がない──反語。
 だがギルベルトの自己申告によれば、そのような事態は今まで一度もなかったようなのだ。訊いてみたところ、顔を真っ赤にして「お前が初めてに決まってんだろ!」と怒られたので。俺が初めてということはあれが初めてということだが、どうしてああもイヤらしい反応をしたのやら、気になるところだ。今度体に訊いてみることにしよう。
 などと考えていると、ギルベルトがぴたりと足を止めた。俺も立ち止まって、ギルベルトの向こうに広がる光景に唖然とした。
 …何だ、これは。
 それが何かということは、知識という面では理解出来る。伝統的な平屋の日本家屋である。だが俺が理解出来なかったのは、その広さだ。家の周囲を囲む塀が視界に収まりきっていない。右を見ても左を見ても、ひたすらに長い塀が続いている。その規模は最早広いとかそういうものを超越している気さえした。

「いつ来てもデカい家だな」
「なっ…こ、ここなのか…?!」

 驚いて確認した俺に、ギルベルトはそうだと応じる。余りにもあっさりした答えだった為、からかわれているんじゃないかと思うことも出来なかった。別にギルベルトにそういった知人がいていけない訳ではないし、いたからどうという訳でもないのだが。何というか、こう、気後れしてしまう。
 自分の生まれが特に貧しかったという印象はない。かと言って裕福でもなく、ごく普通の家庭で生まれ育った。俺の金銭的価値観と比べれば、ギルベルトのそれは些か上だろう。だがこの屋敷の主、若しくは住人は、その遥か上を行くのではないか。
 単についてきただけで、要は俺などおまけのようなものなので、今から会う人物と仲良くする必要はないと思う。ないと思う、が、出来れば場違いなところに紛れ込むのは遠慮したい。明らかに自分だけが浮いた状態の中ただひたすら話が終わるのを待つなんて、居心地が悪いだとかそんな問題ではない。
 と考えている俺のことなど、ギルベルトは全く思慮に入れてはいなかった。暑っちぃなーもー、などと言いながら、門のチャイムを押してしまう。どこにでもあるような平凡極まりないそれは、実に耳慣れたピンポーンという音を鳴らした。すぐに応答はない。
 こういう家というのは使用人が何人もいるもんじゃないんだろうか。家族のみで暮らすのには若干…どころではなく大変だと思うんだが。
 3秒程経って漸く、すみません今開けますね、という応答が返ってきた。ギルベルトはおうと返事をして、門を通って中に入る。前庭はよく手入れされた日本庭園で、立派な赤松が植えられていた。日本版のシンボルツリーと言ったところか。この分では中庭に池があって鯉が泳いでいるんじゃないかと言う気がしてくる。実際そうなのだとしたらのんびり見学してみたいものだ。と考えるのは、俺が絶賛現実逃避中だからなのだろう。
 踵を返して門の外で待っていられるならこのくらいの暑さは楽に我慢出来るな。そう心中で呟いた時、タイミングを測ったかのように引き戸がからりと開けられた。
 顔を覗かせたのは着物を身に纏った小柄、な。

「いらっしゃい、ギルベルトさん。それに…ルートヴィッヒさんも」

 そう言ってにこりと微笑んだのは、事件の折に俺を担当した辣腕の──検事だった。名前は本田菊。常のにこやかな顔とは裏腹に、何を考えているやらよく分からない男だ。体躯からして少年に見えないこともないが。
 予想だにしない家の住人の登場に、俺は完全に思考を停止させてしまってた。お蔭で自分がどうやって家に上がって前を行く彼らについていったのか分からなかったくらいである。意外にも家の中は洋間が幾つかあるらしく、通されたのは客間のような場所だった。絨毯が足の下にありソファに座っているのに靴を履いていないというのは、何だか変な気分だ。ギルベルトの隣に腰を落ち着けて漸く少し冷静になれたが、何なんだ、これは。
 正直なところ、俺は事件の関係者には二度と会いたくなかった。それは否応なく奥底に押し込めた記憶を掘り返してしまうから。ただでさえ何かにつけて思い出し憂鬱になっているというのに、あの頃のことを話題にされたりしたら溜まったもんじゃない。必死で視線を逸らし表情を硬くして拒絶の意思を表す俺に、本田はやはりくすりと笑った。
 俺とギルベルトの前に湯飲みを置き、自分のものも置いて向かいに座る。視線は柔らかで、それが記憶の中の彼とは似ても似つかず、俺は違和感を感じずにはいられなかった。

「仲良くやっているようでよかったです。ギルベルトさんが彼の手綱を握れるとは意外でした」
「何だよそれ、俺はそんなに頼りないのかよ。つか別に手綱握ってるつもりはねぇんだけど」
「そうですか? しっかり尻に敷いてるように見えますよ」

 くすくすくす、実におかしそうに本田は笑う。その視線はギルベルトではなく、終始俺に向けられていた。
 居心地が悪い、堪らなく悪い。帰りたいと100回程心の中で唱えたが、了承した以上途中で投げ出す訳にはいかないのが辛いところだ。早く終わらないものか。わざわざ出掛けるくらいなのだから、余程重要な話があるのだろう。早くそれを話して、それじゃあな、ということになればいいのに。
 だが俺の希望に反し、ギルベルトも本田も重要そうな話を切り出す素振りがない。どこからどう見ても、そんな素振りは見出すことが出来ない。お前は一体何をしに来たんだギルベルト。雑談しにとかいう答えが返ってきたらどうしてくれようか。
 恨みがましい目で見ていると、それに気付いたのかたまたまか、ギルベルトが俺を見た。どうかしたのかと問うてくる顔は本当に疑問そうである。深く長い溜め息が出たのは仕方のないことだと思う。

「用事があって来たんじゃないのか」
「だから今お前と一緒にここにいるだろ」

 何を今更、そんな声が聞こえてきそうな表情だった。
 そう言われても俺には全く理解が出来ないのだが、それは俺の理解力が乏しいからか。いやいや、ついてきつくれないかと言われただけで詳しい内容まで推測出来る奴などいる筈がない。予知能力でも持っていない限り無理だ。つまり俺がこの状況になった理由を未だに掴み切れないでいるのは、何もおかしいことではない。よし、証明終了。
 何をやるにつけてもギルベルトは言葉が少な過ぎる。ちゃんと口で言ってくれなくては伝わらないのだと、本当に彼は分かっているのだろうか。その辺りを本気で疑問視したくなる程だ。
 ごちゃごちゃと考えていると、俺を眺めていた本田がやおら口を開いた。

「私が言い出したんです、貴方の様子が見たいと。あぁ別に仕事上必要だったとかではなくて個人的に気になったからですよ。ギルベルトさんと上手くやっているのか心配で」
「だから俺様を信用してねぇんだろそれ」

 ちぇっちぇのちぇー、唇を尖らせてギルベルトが拗ねてみせる。だからそういう可愛らしい行動を気安くするなと言うに。どこで誰が目を光らせているのか分からないんだぞ。手近なところでいけばお前のすぐ隣とかな。
 すっかり慣れた突っ込みを無言で行いながら、俺は家に上がってからほぼ初めて本田の顔を直視した。スーツを来ている時とは大分印象が違うからか、そこまでの緊張は覚えない。それでも心はざわついた。
 思い出しそうに、なる。取り調べよりも法廷よりも、あの瞬間のことを。あいつは確かに、笑って。

「…心配される義理はないと思うがな」
「そう言うなよルッツ、菊は色々協力してくれたんだぜ」
「協力って程でもないです、あれくらい」

 俺の辛辣な言葉にすかさずギルベルトがフォローを入れ、本田が柔らかく返す。妙なところで連携プレーをするな仲良さげなところを見せ付けるな、嫉妬して今すぐここで押し倒すぞ。
 じろりとギルベルトに視線を向ければ、ひぃっと怯えた声を出された。俺はそんなに酷い顔をしていない、筈だ。主観では全くもってそんな顔はしていない。あぁ、していないとも。
 あわあわするギルベルトとにじり寄る俺を、本田は爽やかな笑顔で見守っている。助ける気ゼロである。その態度は実に好ましい、そのまま邪魔をしないでくれ。俺はギルベルトに話がある──主に体で。
 ずずずいっと距離を詰めると、いよいよギルベルトは焦り始める。涙を浮かせて本気で逃げ腰なのがまた宜しい。

「ルッツ落ち着け、物凄く落ち着け。んで取り敢えず離れろ、な?」
「離れる必要はない。それに俺は十二分に落ち着いている」
「どこがだよお前ぇえええ! 菊も見てないで助け、ぁ、うぁ…!」
「あははははすみませんギルベルトさん私のネタの肥やしになって下さい真面目年下×勝気年上萌え!」
「も、マジふざけんじゃね、ルッツっ……せめてこんなとこじゃ嫌だぁあああああ!!」

 ギルベルトの叫びは反響して空しく消えていった。
 …ということには流石にならず、俺は寸止めをくらうことになった。まぁ他人の家の、しかも家主の前では流石に、な。その後どこでギルベルトが甘い声を上げたかは、プライバシー保護の観点から言わないでおいてやろう。
 敢えて付け加えるなら、そう、本田GJ。






1周年企画リク/Vorsicht,bissiger Hund!続編