たまの休日に誰かの家に集まって何をするでもなく過ごすのは、もう習慣となってきていることだった。いつも通りのそれにいつもと違うことがあったとすれば、それは集まる人数が1人多いことだろう。ルートヴィッヒはちらりと隣のシート、外を眺めているギルベルトに視線を向ける。
1週間もしないうちにフェリシアーノたちと打ち解けた彼は、1ヶ月経った今では古参のメンバーのようだ。随分と表情も口数も増えて、ルートヴィッヒは人知れず安堵している。引き取った当初のままだったらどうしようかと思ったが、いらない心配だったらしい。生来の性格なのか、慣れた相手に対してはギルベルトはとても気さくだ。活発に動き回るしよく笑う。未だに何かしてもらったりと人に甘えるのには遠慮があるようだけれど。
「お前の家に負けず劣らず大きいのな、フェリシアーノちゃん家って」
ぱたぱたぱた、興味深そうに尻尾を振りながら、ギルベルトがくるりと振り返る。あぁと答えて頭を撫でてやると、ギルベルトは実に気持ち良さそうに表情を緩めた。
窓の外に見えているのはヴァルガス兄弟の家──より正しく言えば本宅である。彼らは本宅が職場から遠い為に普段はマンション住まいをしており、休日にだけ帰るようにしているのだ。因みにその面積はルートヴィッヒの屋敷に負けず劣らずどころか、明らかに広い。ルカーニアに住み着いたヴァルガス家の初代が云々、話し出せば長くなるのだが、事々に質問されて話が進まないのが目に見えているから止めておく。知的好奇心を持ってくれることは嬉しいなれど。
門を潜り玄関が近付くにつれ、ギルベルトのテンションは鰻登りになっていくようだった。ドッグレースに出場する犬の如く、ドアが開かれたら走り出しそうだ。
「余りはしゃぐなよ」
「俺ちゃんといい子にするぞっ」
返ってくる言葉は幼く、信用していいやら疑わしい色を含んでいた。まぁ訪れているのがヴァルガス家なので、そう口煩くしないことにする。ロヴィーノの方は余りいい顔をしないかもしれないが、フェリシアーノとアントーニョは気にもしないだろう。何せ本人たちが似たような言動をする。
車が止まりドアが開かれると、ギルベルトはやはり小走りに先行してしまう。と、ばーん!と玄関が開き、中から出てきたのは2つの人影。
「ヴェー待ってたよギルベルト!」
「遅いやんか待ち草臥れたわぁ!」
「フェリシアーノちゃん!
アントン!」
3人がむぎゅーとハグし合うのを見て、ルートヴィッヒは軽く溜め息を吐く。昨日も会っていただろうが昨日も。
だがギルベルトが屈託なく笑えることが出来るようになったのは喜ばしい。あの時会社に連れていってよかったな、と思う。フェリシアーノたちがああして接してくれなければ、ギルベルトはこんなに早く心を開いてはくれなかったろう。
「ルッツー早く来いよー!」
満面の笑みで手を振ってくるギルベルトにルートヴィッヒは手を振り返す。が、そちらにすぐ行くことは出来なかった。
スーツのポケットの中、携帯に入ったメール。ロヴィーノからのそれは、着いたら自分のところへ来いと告げていた。理由も何も書かれていない短い文面だが、何故呼び出されたかは見当がつく。
リビングの方へ歩いていく3人の様子を目に入れながら、ルートヴィッヒは2階へ足を向ける。そう訪れる訳ではないが、ロヴィーノの部屋はすぐに見付かった。
軽くノックをして扉を開く。
「遅かったな」
フェリシアーノとは違い無駄なものを極力排除したその部屋は、それでも典雅な雰囲気があった。
ロヴィーノはソファに腰掛けて書類を眺めていたが、ルートヴィッヒを見留めるとそれを机に放って立ち上がる。向かう先には棚があり、上に箱が乗せられていた。黒い、宝石箱のようなものだ。布張りのそれをロヴィーノが差し出してくる。ルートヴィッヒは素直にそれを受け取った。
ずしりと実際よりも重いような感覚がしたのは、心理的なものが影響したのだろうか。中には余り気乗りのしないものが納まっているから。
「言われた通り手配しといてやったぞ」
「手間を掛けて済まない。助かった」
礼を言えばロヴィーノは僅かに首肯する。用件が終わればもう興味はないようで、彼の意識はまた書類に戻っていった。
ルートヴィッヒは微苦笑し、室外へ続く扉へ足を向ける。ドアノブに手を掛けた時、ふと思い出したようにロヴィーノが声を上げた。
「どういうつもりか知らねぇが、余り入れ込むなよ」
声音は冷たい色を宿している。足を止め、ルートヴィッヒは振り返る。ロヴィーノは書類の文面を見つめていてこちらに見向きもしない。その様子からは真意を窺うことは出来なかった。
忠告をしてくるなど珍しいこともあるものだ。しかも入れ込むななどと──こちらを気遣うような。ルートヴィッヒは口を開きかけたが、ロヴィーノが先手を打った。追い払うような仕草で退室を促されてしまう。それは食い下がったところで何も言わないという明確な意思表示だ。そう決めたなら彼は梃子でも喋らないに違いない。
軽く溜め息を吐いてルートヴィッヒは部屋を出た。
入れ込むな、か。
廊下を歩きながら口の中で呟く。そんな忠告を受ける程に自分は傾倒しているのだろうか。偶然に出会ったあの、獣人──ギルベルトと名付けた彼に。そんなことはないと否定することは、生憎とルートヴィッヒには出来なかった。
一目見た瞬間に心を動かされた。手に入れなければ、と思ったのだ。
それは欲求などではなく、義務の色を帯びていた。足が手が口が勝手に動いた。己にも理解不能な程の激しい衝動につき動かされて、ふと我に返った時には腕に痩せた体を抱いていた。
様子こそ違えど、それは確かに。脳裏に浮かびかけた思い出の断片をルートヴィッヒは消し去る。懐古している場合ではない。気が乗らないことは抱え込まずに出来るだけ早く処理するに限る。となれば、ギルベルトを探さなければ。フェリシアーノ、アントーニョと一緒にいるだろうから騒がしい部屋を見付ければいい。
階下に足を運びながらルートヴィッヒは耳を澄まそうとし、しかしそうするまでもなくギルベルトを発見した。開けっ放しのリビングの扉から顔を覗かせている。足音を聞き付けたのだろう。彼は尻尾を振りながらぷーっと頬を膨らませてみせる。
「ルッツ遅いー」
おそーい、と室内にいる2人の唱和が飛んでくる。
ルートヴィッヒは苦笑しながらギルベルトを手招いた。何の疑念もなくとてとてと寄ってきた彼は、手中の箱に興味を示したようだった。きょとり、瞳が瞬かれる。だが決して手を伸ばしも中身を尋ねてきもしない。
どの飼い主だか知らないが余程手の込んだ躾をしたものだと、ルートヴィッヒは内心で吐き捨てた。ギルベルトの手前、努めて顔に出さないようにしたが。
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